アヌラーダプラとミヒンタレー

スリランカ中央部の文化三角地帯内の北に位置するアヌラーダプラ。
シンハラ王朝最初の都であり、スリランカの仏教はここから始まりました。
近くには仏教伝来の聖地ミヒンタレーもあります。
2011年5月訪問

写真はアヌラーダプラのイスルムニヤ精舎



アヌラーダプラ

アヌラーダプラはシンハラ王朝の最初の都です。紀元前4世紀に街が開かれ、後9〜10世紀に南インドのチョーラ朝による侵略を受けるまで1400年もの間、都であり続けました。
前3世紀に仏教が伝来し、シンハラ王朝は仏教を国教としたため、仏教はアヌラーダプラから全スリランカへ、更には東南アジアへと伝播します。紀元前からの古都アヌラーダプラはスリランカの仏教発祥の地でもあります。

イスルムニヤ精舎



イスルムニヤ精舎はスリランカ最初の仏教寺院と言われています。現在の本堂は最近のものながら、長い伝統を持つ寺院だけあって、寺院につながる岩山には古いレリーフも残っています。

本堂横の馬と火の神とも言われる男のレリーフ(左)、寺院前の池に面した岩山の象のレリーフ(右)
   


イスルムニヤ精舎は元々はスリランカに仏教が伝来して間もない紀元前3世紀に建てられた石窟の僧院だったそうです。

僧院は後に寺院とされ、更に、比較的最近になって石窟を覆うような形で、今の本堂の建物が建てられました。

本堂に入るとびっくり。
色の鮮やかさに目がくらくらします。

本堂内には巨大で色鮮やかな涅槃仏を始め、多くのカラフルな仏像が立ち並び、天井も極採色に彩られ、壁画も鮮やかに描かれています。

日本人だと、ちょっとたじろぎますが、これがスリランカなのでしょう。

なんでも日本の浅草寺の援助で、仏像の色を塗り替えたのだそうです。

日本の寺院もかっては色鮮やかだったといいますが、色が褪せていくことによるわび・さびを重んじる日本と違い、スリランカでは、最初通りの色鮮やかさを保つことが重んじられるんでしょうね。
それにしても・・・派手です。

本堂内には様々な仏像が並びます。チープと感じてしまうのは日本人だから?
   


歴史ある寺院だけあって博物館も併設されていました。
インドの影響が強いと思われる美しいレリーフが多数残されています(左)が、
有名なのが右の恋人のレリーフ。「イスルムニヤの恋人」と呼ばれています。
   

恋人の像は、紀元前2世紀のドゥッタガーマニー王の息子サーリヤ王子と恋人マーラを彫ったもの。マーラが低い身分のカーストだったため、本来許されない恋でしたが、王子は身分を捨ててマーラと結婚したのだそうです。カーストを否定する仏教ですが、やはり身分違いの恋は許されなかったということなのか、身分が違うのに結婚できたということが仏教伝来の結果なのか・・・。

王子がマーラと結婚した後の王家のレリーフもあります。中央がドゥッタガーマニー王で右に王の妻、王の左にサーリヤ王子、王の妻の横に小さく彫られているのがサーリヤ王子の妻となったマーラ。マーラの身分から彼女は小さく描かれているのだそうです。






スリー・マハー菩提樹

スリー・マハー菩提樹はスリランカの聖地ともいうべき場です。


仏陀はインド・ブッタガヤの菩提樹の下で悟りを開いたとされますが、このスリー・マハー菩提樹の菩提樹は仏陀が悟りを開いた場所の菩提樹の分け木を植樹したもの。スリランカに仏教が伝わって間もない紀元前3世紀に、インドのアショカ王の王女が分け木を運んだとされています。ブッダガヤの菩提樹は初代が既に枯れてしまっていますが、ここの菩提樹は枯れることなく今もあります。

菩提樹は野生の象などの動物から守るため柵で囲まれ、近づくことはできません。しかし、多くの信者が参詣し、病気の平癒を願う布を菩提樹の周りに奉納しています。旗みたいで綺麗でした。



ルワンウェリ・サーヤ大塔

スリー・マハー菩提樹のそばにルワンウェリ・サーヤ大塔はあります。
写真はスリー・マハー菩提樹への参道から見た大塔。


白いサリーの女性が多いので聞いてみたら、白い服が参拝するときの正装なのだそうです。

ルワンウェリ・サーヤ大塔はアヌラーダプラのシンボルとも言うべき仏塔です。

現在でも55mという巨大さですが、元々は100mを越える大きさだったそうで、現在の姿は19世紀に再建されたもの。
5年ごとに修理して白い色を保たせているのだそうです。

建造を始めたのは、恋人の像でも出てきたドゥッタガーマニー王。
この王はインドの侵略を食い止めた王でもあり、スリランカでは有名な王様だそうです。

王は仏塔の完成前に亡くなり、息子のサッダーティッサ王子(サーリヤ王子じゃない息子ですね)が完成させたのだとか。

このような仏塔をスリランカではダーガバと言いますが、仏舎利を入れているというのですから、インドでストゥーパと言われているものと同じですね。

このルワンウェリ・サーヤ大塔にはスリランカで1番多くの仏舎利が収められているのだそうです。


大塔への入口(左)と大塔の基壇に並ぶ象のレリーフ(中央)。右は大塔周辺。
     


大塔の近くにある看板は自動で表示が変わります。
左はライトアップした大塔。右は仏舎利を入れる容器。金銀宝石で飾られています。
   



トゥーパーラーマ・ダーガバ

ルワンウェリ・サーヤ大塔の北にトゥーパーラーマ・ダーガバはあります。
これも19世紀の再建で釣鐘型。高さは19m。
元々はスリランカ最古の仏塔で、釈迦の右鎖骨が祀られていると言われています。




ムーンストーン・サイト

アヌラーダプラ遺跡地区北側に美しいムーンストーンがあります。
   

ムーンストーンというのはスリランカ建築の特徴のひとつで、寺院の入口、数段の階段の下に置かれます。神聖な場所に入る前に、信者が身を清めるという意味が込められているそうですが、これはスリランカで最も美しいと言われるムーンストーン。
一番外側には人の物欲を示す炎の舌、その内側には象・馬・ライオン・牡牛、これは象が誕生、馬が老齢、ライオンが病気、牡牛が死を意味するということで、生老病死という仏陀の四苦を表しています。その次は花弁のない花心、その次は蓮の花を加えるガチョウ。これは家族を捨てて出家した釈迦を表すそうです。そして、中央は蓮の花。



アバヤギリ大塔と沐浴場

アバヤギリ大塔はかってスリランカにあった大乗仏教の総本山。
大塔は紀元前1世紀に建てられたもので、僧達の沐浴場も残っています。
しかし、スリランカは12世紀以降上座部仏教(小乗仏教)となったため、現在はすっかりさびれています。
大塔も残念ながら修復中でした。
   




ミヒンタレー

アヌラーダプラから車で30分ほどのところにあるミヒンタレーはスリランカに最初に仏教が伝えられた聖地です。
伝説によれば、紀元前3世紀、シンハラ王朝のデーワーナンビヤ・ティッサ王は鹿狩りのためミヒンタレーを訪れ、山の神デーヴァが変身した鹿を追って、インドのアショカ王の息子マヒンダと出会います。王はマヒンダとの問答の結果、仏教に帰依します。これはスリランカで最初の伝道であり、以後、仏教はスリランカ全土に広がっていきます。

左は王とマヒンダが出会った時、マヒンダが瞑想していた場所に建てられた仏塔。
右は僧院の食堂の跡。
   


実は王がマヒンダと会ったとされる場所は丘というか山の上にあります。
長い階段を延々登らないといけません(左)。途中で野生の猿などに会えたりもしますが結構ハードです。
しかも、山の頂上には更にマヒンダが瞑想をしていたという岩山インビデーション・ロックがあります。
この岩は滑るし、足場は悪いし、登るのは大変。お助けマンがいますが、それでも危ないかも(右)。
   

ただ、インビデーション・ロックからの眺めは素晴らしい。
   



仏教伝来の地は、かなりハードな場所にありました。
お助けマンは助かりますが、チップでトラブルになることが多いので気を付けてください。


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参考文献

スリランカ日本語版(BONECHI)
世界遺産を旅する8(近畿日本ツーリスト)
21世紀世界遺産の旅(小学館)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。