ホジャンド
タジキスタン第二の街ホジャンド
シルダリヤ川が流れるタジキスタン北西部の街。
タジキスタンで最も歴史ある街でもあります。
2015年9月訪問

写真は街の中心バザール広場と金曜モスク


タジキスタン北西部のホジャンドは肥沃なフェルガナ盆地に位置し、また、古来からシルクロードの要衝として栄えた街で、タジキスタン第二の都市でもあります。・・・と、言っても人口は約17万人。日本だと地方都市のレベル。でも、そもそもタジキスタンの国土は日本の40%ほどで、その9割が山岳地帯、しかも山岳地帯の50%は標高3000mで、国全体の人口も約820万人なのです。

街の中心はバザールとバザールに面したバザール広場。現在のタジキスタンはイスラム国家なのでバザール広場には金曜モスクが建てられています。青いドームの金曜モスクは1986年に街の建設2500年祭の時に建てられたもの。その前のミナレットは19世紀の金曜モスクのミナレット。また、ホジャンドという名前もイスラム時代に入ってからのもので、「良い人々が集まる場所」という意味だとか、イスラム神学のエリートである「ホージャの領土」という意味だと言われています。

広場中央にある噴水



金曜モスクの横にはシャイフ・ムスリヒディンモスクと神学校
シャイフ・ムスリヒディンは13世紀のホジャンドの支配者で詩人。
13世紀に建てられたモスクはモンゴルに破壊されましたが
その後16世紀に再建。モスクのドームには鳩がいっぱい。



広場に面するバザール入口
広場にもお店がいっぱい


このバザールはパンジャンベバザールと言う名前で、パンジャンベというのは木曜日という意味。
元々木曜日に市がたったことに由来するそうです。街もタジキスタン第一の古さですが、このバザールもタジキスタンで最も古い歴史があるんだとか。

ご存じシシカバブ
 
 大きなナン(パン)

真ん中にあるのは、なんと羊のお尻
一番おいしいと人気なんだとか
 
 ヨーグルトを固めたヨーグルトボール
食べてみると、かなりしょっぱい


肥沃なフェルガナ盆地の農作物もたくさん

色々なドライフルーツ
 
 各種お豆



シルダリヤ川



シルダリヤ川は天山山脈からキルギス・ウズベキスタン・カザフスタン・タジキスタンを通り、北アラル海に注ぐ全長2212qの大河です。ホジャンドが位置する上流のフェルガナ盆地は肥沃な土地で、古代から多くの街が栄えました。また、現在はキルギス・ウズベキスタン・カザフスタン・タジキスタンの国境が複雑に入り混じる場所でもあります。
このシルダリヤ川とタジキスタンの南、アフガニスタンとの国境付近を流れるアムダリヤ川は中央アジアを代表する二大大河。この2つの川なくして中央アジアの人々の生活は成り立たなかったといっても良いと思います。そして、北のシルダリヤ川と南のアムダリヤ川の間の地域は、かってソグディアナと呼ばれたソグド人の暮らす場所でした。ホジャンドはソグド州の州都ですが、州名の由来はもちろん、このソグド人。

かってアケメネス朝ペルシャの時代、アムダリヤ川とシルダリヤ川は世界を区切るものでした。アムダリヤの手前はペルシャ農耕民の世界。アムダリヤ川からシルダリヤ川の間はイラン系のソグド人の世界。そしてシルダリヤ川の北は遊牧民のスキタイの世界。紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシャのキュロス大王はソグディアナを支配することはできたものの、シルダリヤ川の北のスキタイには手を出せず、シルダリヤ川のほとりに帝国の国境となる要塞キロポリ・キレスハタを築きました。キレスハタとは「果て」の意味。この要塞がホジャンドの街のはじまりとされています。

川のほとりに建つモニュメント


シルダリヤ川を見下ろす場所に建てられたモニュメントにはタジキスタンの英雄6人の胸像が置かれています。その一人は紀元前6世紀にキュロス大王と戦ったトリュメス女王。キュロス大王を打ち負かした遊牧民の女王です。他にも詩人や世界で最初に地球儀を作った学者さんなど。

モニュメントの近くは公園になってます。



モニュメント近くの小高い丘


この小高い丘はアレクサンダー大王が築いたアレクサンドリア・エスハータ(最果てのアレクサンドリア)と考えられています。アケメネス朝ペルシャを破ったアレクサンダー大王は、この地まで兵を進めますが、アレクサンダー大王ですらシルダリヤ川北方のスキタイを打ち負かすことはできませんでした。そのため大王もスキタイ対策として、この地に強固な要塞アレクサンドリア・エスハーテを築いたのです。


もっとも、この地にはその後も要塞が建てられていて、現在見えるのは7〜8世紀の砦跡。



現在はモンゴル帝国に破壊された要塞を一部復元して博物館にしています。



ソグド州立博物館

復元された要塞の中は博物館


街の始まりがアケメネス朝ペルシャの時代だからか
ペルセポリスから持ってきたようなアケメネス朝ペルシャ時代の展示品が並びます。
もちろん全てレプリカ
 人面有翼獣神像
牡牛
 
 ダレイオス3世?


ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラを描いた絵画
ゾロアスター教はアケメネス朝ペルシャの国教とも言うべき宗教
イラン系のソグド人も信仰していました。



この博物館が気合を入れているのがアレクサンダー大王の生涯を描いた部屋
誕生から死までを幾つもの大壁画で説明しています。

 アレクサンダー大王の先生は
有名なアリストテレス。
ミエザ学園での学びの風景
 アレクサンダー大王と愛馬ブケバロス
大きな黒い馬で額の星が牛の角
暴れ馬で有名だったのを大王が乗りこなします

敗走を続けるダレイオス3世は部下に殺されます。
大王は遺棄されたダレイオス3世の遺骸を見つけ、
丁寧に葬ったと言われています。
 
 大王とスピタメネスの戦い。
ソグド人のスピタメネスは大王の軍を
何度か破った勇将です。


大王とロクサネ
大王はこの地のソグド人王の娘ロクサネと結婚します。
ロクサネの左にはゾロアスター教を示す火の祭壇


どうやらホジャンドの人々はアレクサンダー大王が大好きみたいです。


ソグド人の肖像? なぜかとても東洋風



こちらの眉毛と髭が濃い人物は、イスマイール・サーマーニー。

タジキスタンの国民的英雄とされる人物です。

イスマイル・サーマーニーは9世紀から10世紀に中央アジアを支配したサーマーン朝の王。
サーマーン朝は中央アジアを支配した最後のイラン系の王朝でした。首都はブハラ。

現在中央アジアの各国はトルコ系の民族が暮らしていますが、タジキスタンだけはイラン系民族の国。
そのためか、イラン系のイスマイール・サーマーニーは民族の英雄とされているわけです。

ソ連時代、中央アジア各国の民族的英雄はタブーとされていましたが、ソ連からの独立後は各国が自国の民族的英雄を国家・民族の象徴として像を建てたりしています。ウズベキスタンのティムールが典型ですが、タジキスタンでティムールに代わる人物が、このイスマイル・サーマーニー。

首都ドゥジャンベを始め、タジキスタン各地に像が建てられています。


博物館入口に飾られていたティムール・マリック
ティムールと言ってもティムール帝国のティムールではなく
この地でモンゴル軍と戦った勇将です。



ちょっと雨がぱらつく天気だったのは残念でしたが
なんともかわいい街でした。
特に博物館周辺は、とても綺麗。



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参考文献

興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国(森安孝夫著・講談社)
中央アジアの歴史 新書東洋史(間野英ニ著・講談社現代新書)
文明の十字路 中央アジアの歴史(岩村忍著・講談社学術文庫)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。