ペンジケント ウズベキスタンとの国境に近いペンジケント 今では小さな町ですが、かってはソグド人の街として栄え、 町の近くからは5000年前の遺跡も発見されています。 2015年9月訪問 写真はペンジケント遺跡から見たペンジケント市街 ![]()
ペンジケント遺跡 ペンジケント遺跡は5世紀から8世紀にかけてソグド人が築いた都市遺跡。 ソグド人はペルシャ(イラン)系の民族で、中国では胡と呼ばれました。 入口にあった遺跡の地図 ![]()
遺跡に入ると道があって、左右に土の壁が残っています。 振り向いたら、わんこが付いてきてました。後ろの山脈はザラフシャン山脈。 ![]()
更に進むと、2つの寺院があった場所に出ます。 ![]()
こちらは拝火教(ゾロアスター教)の寺院 ![]() この2つのアーチの下で火を炊いたと考えられています。 アーチの部分は一段高くなっていて、その下で信者が拝んでいたのだろうとのこと。 更に進むと城壁部が見えて来ました。 かっては堀と城壁で囲まれていたそうです。堀の跡が良くわかります。 最後の王はデバシュティッチ。アラブに嘆願書を送ったり、苦労したみたいです。 ![]()
最も素晴らしい壁画は首都ドゥシャンベの国立古代博物館に展示されています。 左側のハープを奏でる女性が美しい壁画。真ん中から右にかけては戦闘シーン。 ![]() 天幕の下の宴会。ソグド人は宴会を描くのが好きだったそうです。 多くの人物は胡坐をかいています。「胡」がソグドの意味だったことを考えると興味深い。 ![]() 2つともとても大きな壁画です。 近寄って撮ってみました。
この壁画では右側に馬に乗った貴人が描かれています。 ![]() 遺跡入口付近にも博物館があり、壁画や出土品が展示されています。 壁画のほとんどがレプリカですが結構面白い。 これはソグト人の英雄伝説。怪物と闘ったりしています。絵巻物のようなかなり長くて大きな壁画。
こちらはペンジケント市内のルダーキー博物館に展示されていたソグドの住居復元図 ペンジケントの家の復元図ではないかもしれませんが ソグド人はこんな感じに室内を壁画で飾っていたんだそうです ![]()
サラズム 屋根で保護されたサラズム遺跡 ![]()
遺跡に入ってすぐの場所は神殿と考えられています。 中央付近に置かれた丸いものが火の祭壇ではないかと考えられているのだとか。 ![]() 火を祭っていたなんてゾロアスター教(拝火教)と関係があるんでしょうか。 ゾロアスター教が成立するのはサラズムよりずっと後のことですが・・・
遺跡に近いペンジケントのルダーキー博物館にはお墓から発見されたアクセサリーが展示されてました。
遺跡に戻ります。 神殿とされる場所。幾つもの小部屋を取り囲む形。
職人の居住区とされる場所 窯と多数の陶器の破片が見つかっています。 ![]() サラズムの遺跡を築いた人たちはアーリア系と考えられているそうです。 インドやイランの出土品と似た物も発見されているとか。 でも詳しいことは謎のまま。今後の発掘調査が楽しみです。 ルダーキー博物館 町の小さな博物館 ![]() ルダーキー博物館は、ペンジケント出身の詩人ルダーキーに関する博物館です。
博物館を見学して外に出たら、結婚式の撮影会をしていました。 なんで、こんな場所で・・・と思ったら、この町には他に絵になる建物がないからですって。 ドローンで撮影していたので、きっとお金持ち。 なぜか私たちも一緒に踊ることになって、しっかりビデオに撮られました。 ![]() それにしても綺麗な花嫁さん タジキスタンの結婚適齢期は女性18歳、男性23〜24歳だそうです。 お幸せに タジキスタンの遺跡に戻る シルクロードの遺跡に戻る ![]() 参考文献 興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国(森安孝夫著・講談社) 中央アジアの歴史 新書東洋史(間野英ニ著・講談社現代新書) 文明の十字路 中央アジアの歴史(岩村忍著・講談社学術文庫) 玄奘三蔵、シルクロードを行く(前田耕作著・岩波新書) 基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。 |
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