タジキスタン西部

タジキスタン北西部のホジャンドから
2つの山脈を越えて首都ドゥシャンベまで
2015年9月訪問

黄葉が始まった木々とザラフシャン川


2015年9月のシルバーウィークにタジキスタン西部とウズベキスタンのテルメズ周辺を旅するツアーに参加しました。タジキスタンでは、かってシルクロードで活躍したソグド人の遺跡を巡るのが目的だったのですが、タジキスタンの景色も素晴らしかったので、独立してまとめてみました。

タジキスタンは中央アジアに位置する国で、東は中国、南はアフガニスタン、西はウズベキスタン、北はキルギスに接する国です。国土は日本の40%ほど、その90%が山岳地帯という山岳国家でしかも、その50%が標高3000m。下の写真はタジキスタンの地図を撮影したものですが、東部のパミール高原には6000〜7000mの山々が連なります。パミール高原の東は中国のタクラマカン砂漠。かってシルクロードを旅する商人は高い山々と砂漠に苦労したことでしょう。



もっとも、今回旅したのは上の写真の左側。タジキスタン西部。
ここはシルクロードの交易で活躍したソグド人の土地。かってはソグディアナと呼ばれました。
タジキスタン西部の地図を整理してみました。

右の写真でも分かるように、北部にはシルダリヤ川が、そして南部アフガニスタンとの国境にはアムダリヤ川が流れます。

この二つの大河は中央アジアの大地を潤し、流域には多くの街が栄えました。
シルダリヤ川とアムダリヤ川の間の地域は、ソグド人が暮らし、かってはソグディアナと呼ばれていました。

北部のシルダリヤ川流域はフェルガナ盆地と呼ばれる肥沃な土地。シルダリヤ川だけでなく幾つもの川が流れます。
我々のツアーはウズベキスタンのタシケントから陸路南下し、国境を越えてホジャンドに向かいました。

ホジャンドからイスタラフシャンまで南下すると、二つの山脈がタジキスタンを分断するかのように東から西に走ります。トルキスタン山脈とザラフシャン山脈です。
この二つの山脈の間を流れるのがザラフシャン川。その流域にペンジケントやサマルカンドがあり、ソグディアナの中心でした。

そして、ザラフシャン山脈を越えると、首都ドゥシャンベです。ドゥシャンペの南はタジキスタンでは貴重な平原地帯で肥沃な農業地帯です。


ウズベキスタンのタシケントから南下してタジキスタンとの国境へ
肥沃なフェルガナ盆地では綿花の生産が盛んです。
お天気がちょっとぐずついているのが残念


ウズベキスタンからの出国手続きは大変でした。嫌がらせのように時間がかかる。
タジキスタン側の入国手続きは凄い簡単なんですが・・・。

陸路国境を越えてホジャンドを目指します。
ホジャンドはタジキスタン第二の街(でも人口は約17万人)
街の中心バザール広場
   

ホジャンドではシルダリヤ川の流れを間近に見ることができました。
アケメネス朝ペルシャのキュロス大王が北方の遊牧民に備えるため砦を築いたのが街のはじまり。
かって、この川の向こうは遊牧民スキタイ族の世界だったわけです。
アレクサンダー大王も、この地に最果てのアレクサンドリア(アレクサンドリア・エスハータ)を築きます。



タジキスタン2日目 お天気はすっかり回復。
ホジャンドの街から南下してイスタラフシャンに向かいます。
次第に雪を抱いた山脈が見えて来ました。トルキスタン山脈です。



イスタラフシャンの街
トルキスタン山脈が近い。



イスタラフシャンの街もバザールが賑わっていました。
交通の要衝として昔から栄えた街で、かってのソグド人の都市遺跡も残っています。

 
 

イスタラフシャンを出て、次はトルキスタン山脈を越えます。
車の助手席から撮りました。次第に山が迫ってくる。



中国の造ったトンネルまで来ました。


トルキスタン山脈を越えるには、かっては3378mのシャハリスタン峠を通るしかありませんでした。しかし、2012年に、このシャハリスタントンネルが完成したため、大変便利になったのだそうです。トンネルは中国の借款によるもの。中国はタジキスタンの隣国でもありますし、随分と援助に力を入れているようです。そういえば現在のシルクロード構想とか耳にしますよね。

トンネルの入り口付近からは、かっての峠道が見えます。
雪山に横に走る道が分かるでしょうか。



トンネル入り口。標高は大体2400mとのこと
漢字でシャハリスタントンネル(隧道)と書かれてます。


中国のトンネルで大丈夫かとの声もありましたが、わずか5分で山脈を越えました。
かっての峠道は2時間かかったと言います。


トルキスタン山脈を越えると、なんとものどかな風景


トルキスタン山脈を越えるとザラフシャン峡谷。トルキスタン山脈とザラフシャン山脈の間をザラフシャン川が流れる豊かな土地となっています。ザラフシャンとは「黄金のしぶき」という意味で、なんと砂金が採れる川なのだそうです。そのため5000年前には中央アジアの金属製品の中心的生産地となり、サラズムという原始都市がこの峡谷に誕生しました。その後、5世紀から8世紀にはシルクロード交易で活躍したソグド人の中心地となり、サマルカンドやペンジケントが栄えました。現在、サマルカンドとペンジケンは国境で遮られていますが、約50qしか離れてません。

ザラフシャン川に沿ってペンジケントを目指します。
途中、アラブの攻撃を受けた後、ペンジケントの人々が立て籠もったというムグ山が見えました。



ペンジケントの町は小さな町でホテルもありません。
料理はおいしいけど、シャワーは水しか出ないゲストハウスに泊まりました。
タジキスタン3日目は、まず周辺の遺跡巡り
遺跡から見たペンジケントの町



町を見下ろす丘にあるペンジケント遺跡。拝火教寺院跡



遺跡の前には小さな博物館。壁画のほとんどはレプリカですが数少ないオリジナルを紹介
   


ペンジケントで遺跡を堪能してから、再びザラフシャン川に沿って来た道を戻ります。
ザラフシャン川の流れ



9月中旬、黄葉が始まっていました。



ザラフシャン川の景色は素敵だったのですが、実はところどころ工事中で、大きく迂回したり、しばらく待たされたり、道なき道を走らされたり、結構大変でした。

添乗員さんによると、ここ数年ずっと工事が続いているそうで、2016年には完成予定なんだそうですが、どうなることやら。
橋の工事とか見てると、日本と違いすぎて大丈夫かと思いますが、まあ日本基準を求めるのが間違ってるんでしょう。

工事のおかけで時間が読めず、お昼を食べる場所を求めてさ迷っているうちに、アイニーという村?に着きました。
このアイニーから道を南に進んで、ザラフシャン山脈越えをすることとなります。

右の写真、ちょっと分かりにくいかもしれませんが、タジキスタン最古のミナレット。
イスラム教でモスクへの礼拝を呼びかける塔です。9世紀のものなのだとか。

なんでもモスクは何度も建て替えられているものの、このミナレットだけは建築当時の姿を残しているということで大事に保護されていました。


アイニー村を出て、ザラフシャン山脈を目指します。

実はツアー当初の予定ではザラフシャン山脈もトンネルで越えるはずでした。
しかし、このアイザブトンネル、イランが造ったものの、完成してすぐ壊れたというか、地下水が大量に流れ出るは、換気は悪いは、かなり危険な状態になってしまったという恐ろしいもの。
それでも水が流れる中、なんとか使っていたそうですが、私たちがタジキスタンに着いたころ、ついに完全に壊れたというか、通行禁止となったとのこと。

なんでイランなんかにトンネル造らせるかなあ・・と思いますが、タジキスタンの人々はイラン系ということもあってイランとの関係が深いんだそうです。まあ、内戦が終わって間もないタジキスタンには、日本に頼むお金もないでしょうし・・・。

ということで、予定を変更して峠を越えることとなりました。

写真は、イスカンダル湖から流れ出すイスカンダル川とヤグノブ川の合流地点。実に綺麗な水です。


どんどんと山の奥に入っていきます。
道は悪いけど、景色は素晴らしい。



牛が歩いてる、なんとものどかな風景



道が悪くて走りながらだと美しい景色が撮れないのが残念。
高い山々が見えます。ザラフシャン山脈の最高峰は5489mのチムタリガ峰。
   

この後、一気に峠を越えます。この道は凄かった。過酷な峠道にもかかわらず、舗装はされていないし、ガードレールなんて当然ないし。細く、端は崩れている道は厳しいカーブを繰り返し、しかも、大きなトラックもがんがん走ってるし・・・。首都と国内第二の都市ホジャンドを繋ぐ道ですから、交通量も多いのです。大きなトラックとすれ違えるのか、ひやひやの連続で、とても写真どころではなく、ただ、谷底に車が転がっていないのを見て、タジキスタンのドライバーの腕は良いのだと祈るのみ。激しい坂道を登っていくと雪が見えて来ました。ドライバーさん曰く、もうすぐ峠、とのこと。


やっと着いたアイザブ峠3447m
来た道を撮ってみました。足元は雪。あの道を通ってきたんだなあ・・



こちらの方向からだと、登ってきた道がより分かりやすいかも・・・
山肌に通る道が分かるでしょうか・・・



写真を撮っている間も、どんどんと車が通ります。
車の土埃から道の様子を察して下さい。



峠の反対側はヒッサール山脈
あの山の向こう側に首都ドゥシャンベがあるそうです。



谷底に村が見えます。
あそこまで降りて、山を回り込んでドゥシャンベに向かうとのことでした。



下りは結構、あっと言う間でした。ドゥシャンベの街に入る前の洗車タイムに川を撮影
なんとドゥシャンベの街は汚い車は入れてくれないんだそうです。



次第に道が良くなり、周囲が洗練されてきたと思ったら
そこは、もう首都ドゥシャンベ

 巨大な国旗
ドゥシャンベのシンボル
 

首都ドゥシャンベのホテルは設備も良く、峠越えの疲れを癒すことができました。
大変だったけど、峠越えできて楽しかったのも事実
ドゥシャンベに連泊して周辺の観光をしてから、再び国境を越え、
ウズベキスタンのテルメズに向かいました。

国境近くの町シャフリナウで撮ったタジキスタン最後の1枚
タジキスタンで良く見かけたラフモノフ大統領の看板


大統領、本当は髪も白くなってるとか薄くなってるとか・・


タジキスタンの遺跡に戻る

シルクロードの遺跡に戻る




参考文献


興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国(森安孝夫著・講談社)
中央アジアの歴史 新書東洋史(間野英ニ著・講談社現代新書)
文明の十字路 中央アジアの歴史(岩村忍著・講談社学術文庫)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。