ノルブリンカと西蔵博物館

歴代ダライ・ラマの夏の離宮ノルブリンカ
現在は広大な公園となっています
ノルブリンカと隣接するチベット博物館を訪ねました

2010年5月訪問

写真はダライ・ラマ14世の夏の離宮


ノルブリンカはラサ市西郊にあるダライ・ラマの夏の離宮です。18世紀、ダライ・ラマ7世が皮膚病となった時に、これを治す泉のそばに保養所として建てたのが最初で、以後、歴代のダライ・ラマが夏の離宮を建設するようになりました。「ノルブリンカ」とは「宝物の林園」という意味。様々な草花が植えられ、現在は一帯が大公園となっています。36万uという大公園で市民の憩いの場。このノルブリンカに隣接して西蔵博物館があり、近年、外国人にも開放されるようになりました。



ノルブリンカ

ノルブリンカの入口にはチベット風の門がありました。
ノルブリンカは2008年の北京オリンピックに合わせて整備されたそうですが
これは元からあった門が修復されたものなのでしょうか。



門の屋根には法輪を回す鹿。細工や塗が非常に精緻で綺麗です。
門の左右にいるのは日本の狛犬にあたる獅子でしょうね。こんなにかわいくて良いのか。
   



ケルサン・ポタン


ノルブリンカで最初に建てられたダライ・ラマ7世の離宮です。
部屋にはタンカが張り巡らされていました。
山珊瑚・トルコ石といった宝石で飾られています。



タクテン・ポタン

気持ちのいい木立の中を進むと立派な建物が見えて来ました。
ダライ・ラマ14世の夏の離宮だったタクテン・ポタンです。



建物の前には鉢植えの花が丸く並べられていました。

ダライ・ラマ14世は1935年にアムド(現青海省)で生まれ、4歳の時、ダライ・ラマ13世の転生者と認められます。
そして、ノルブリンカに移り住み、1940年、5歳の時にポタラ宮において即位しました。

この離宮が完成したのは1954年。ダライ・ラマ14世が19歳の時。

若きダライ・ラマ14世はポタラ宮よりも、このノルブリンカでの生活の方を好んだといいます。

毎年春になるとポタラ宮から、この離宮に移り、冬の初めまでを過ごしました。

しかし、完成から僅か5年後の1959年、チベット動乱によりダライ・ラマ14世は、ここノルブリンカから脱出してインドへと亡命します。

したがって、ダライ・等が14世が暮らしたのは、わずか5年間ということになります。

しかし、主が不在となった今でも、毎年ショタン祭(チベット暦6月末から7月末)の間は、ここでチベットのオペラが行われ、多くの人達で賑わうのだそうです。


金色の屋根の頂上には金の法輪と鹿。
その両脇に置かれているのは半人半鳥のキンナラのようです。

丸い窓がお洒落。バルコニーのレリーフも綺麗です。


入口はパステル調の色調で軽やかな印象。

ここから先は撮影禁止ですが、内部は結構、西洋風で驚きます。

居間にはラジオがあるし、バスタブ、シャワーといった西洋風の造り。トイレも洋風。当時は近代的といった感じだったんでしょうか。
なんでもダライ・ラマ14世は新し物好きなんだそうです。造営当時は20歳前後の若さですし。

もちろんチベットの起源を物語る壁画や歴代ダライ・ラマ像、菩薩像、曼荼羅や刺繍の仏画など、いかにもチベットというものもたくさんあります。

玉座も非常に立派。純金製で、トルコ石と山珊瑚で飾られていました。山珊瑚は文字通り山で採れる珊瑚。大昔、ヒマラヤが海だったころの珊瑚の化石なのだそうです。

また、ダライ・ラマ14世は猫好きでもあるそうで寝室には猫の絵。ちょっと意外で、かわいい。

接客室にはインドから贈られたアジャンタの蓮華手菩薩もありました。



ツォキル・ポタン



池の端に2つの建物がありました。湖中楼とも言うそうです。
気持ちの良い場所です。散策にはぴったり。



ウジン・ポタン



ダライ・ラマ8世の離宮です。ここには千手観音像などがあるのですが、印象的だったのはカエルの顔をしたノルブリンカの守護神。カエルはチベットでは地下の神様で、カエルをたくさん殺すと皮膚病になると言われているんですって。7世が皮膚病を治すために、この地に保養所を造ったというのにも関係あるのかしら。




西蔵博物館

ノルブリンカから歩いてすぐのところに博物館があります。



この博物館は近年外国人にも開放されるようになったもの。


羅刹女仰臥図


チベットの伝説を描いたもので、チベットには鬼の女が埋まっているため、これを鎮めるため、ジョカン寺(大昭寺)を心臓の上に、手足・肘・膝・・・といったように13の寺を建てたというもの。


金で書かれた大乗経




タンカ(仏像の掛け軸)は非常に充実しています。
美しい仏たち。
   



チベット独特の仏たち。怪しい魅力。
   



高僧が描かれることが多いのもチベットの特徴。
   



曼荼羅と美しい仏像。
   



祭礼で用いられる仮面




骨笛・カンリン(左下)とシャーマンの帽子(右下)
   

骨笛・カンリンというのは人骨で作った笛です。写真の笛は大腿骨で作ったもの。仏教の行者が鳥葬の際、鳥を呼ぶためや、墓地で鬼神に食物を施す行の際に使用したと言われています。鳥葬というのは遺体を細かく砕いて鳥に食べさせるというチベットの葬儀方法です。チベット人にとって魂が解放された後の肉体は抜け殻に過ぎません。その肉体を鳥に食べさせることは、他の生物への布施という意味もあります。多くの生命を奪って食べてきた人間が、死後、自分の肉体を他の生物に捧げるという考え方です。鳥葬だけでなく、魚に遺体を食べさせる水葬もあります。



こちらはチベット天文学(左下)とチベット医学(右下)を示すものでしょう。
左下、ガイドさんは宇宙と時間の曼荼羅と説明していました。
   



清朝の陶器(左下)と玉(右下)
   

清朝の時代、チベットは清の干渉を受けるようになりますが、他方で清朝の歴代皇帝はチベット仏教に傾倒し、その保護者でもありました。乾隆帝などは自らを文殊菩薩の化身と称したそうです。そういった清朝との関係を示す美しい陶器なども数多く展示されています。



ノルブリンカで気持ちの良い散策をして
博物館でチベットのお勉強


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参考文献

旅行人ノート・チベット(旅行人編集部)
地球の歩き方・チベット(ダイヤモンド社)
週刊中国悠遊紀行 bQ0(小学館)


基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。