ポタラ宮

標高3600mのラサに建つポタラ宮
チベットのシンボルであり、聖地でもあるポタラ宮は
世界最高所にある世界最大級の宮殿です

2010年5月訪問

写真は正面から見たポタラ宮と時計回りに巡礼をするチベット人の列。


ポタラ宮はラサ西部に位置するマルポリ(紅山)に建てられています。このマルポリはチベットに観音菩薩が降り立ったとされる山。そしてポタラ宮の「ポタラ」とは観音菩薩の住処である「補陀落」という意味。ポタラ宮は観音菩薩の化身とされる歴代ダライ・ラマの宮殿であり、歴代ダライ・ラマの霊廟でもありました。政教一致のチベットにおいて、まさに政治と宗教の中心とされた場所です。

チベット統一王朝が最初に成立したのは7世紀のソンツェン・ガンボ王の時代。当時は吐蕃国として知られていました。ソンツェン・ガンボ王はラサを都とし、唐とネパールから妃を迎えます。
唐からの妃が有名な文成公主、ネパールからの妃がティツン妃。この2人の妃が熱心な仏教徒だったこともあって吐蕃国は仏教国として成長します。


文成公主の協力を得てティツン妃が建てたと言われるジョカン寺から見たポタラ宮


吐蕃国は一時はシルクロードの天山南道まで勢力を拡大しますが、9世紀には内紛により分裂。以後、長い分裂時代が続きますが、17世紀にダライ・ラマ5世が再統一を果たし、ラサを再び都と定め、以後、ラサを中心にチベット文化が花開くこととなります。

ダライ・ラマ5世の没後、清朝の干渉を受けるようになりますが、1911年辛亥革命が起こるとダライ・ラマ13世が独立を宣言。しかし、世界からは承認されることはありませんでした。その後の人民解放軍の激しい侵攻により、ついに1959年、ダライ・ラマ14世はインドへの亡命を余儀なくされ、以後チベットは中華人民共和国の統治下となります。

現在も独立を求めるチベット人に対する弾圧は続いています。写真では写らない、正確に言うと写すとカメラを没収されるので「写せない」のですが、ポタラ宮前のポタラ宮広場もジョカン寺(大昭寺)の周囲も実は武装した軍人でいっぱい。観光客が写真を撮るのにも軍人が目を光らせている・・・というのが本当のところ。


ポタラ宮広場

かってポタラ宮の前には宮殿に収める品々を造る村や大きな池があったといいますが
現在は全て撤去・埋め立てられて、革命を記念する広場とされています。

無粋な広場ですが、進むにつれてポタラ宮の美しい姿が現われます。



時計回りに巡礼をするチベットの人達の流れに逆らう形でポタラ宮正面へ。



ポタラ宮は高さが約117m、東西の長さが約360m。およそ1000の部屋があると言われ、建築面積は約13万uという巨大さです。外から見ると13階建てに見えますが、実は内部は9階建てという謎の建物でもあります。

写真でも分かるように、基本的には白い宮殿ですが、一部は赤い色をしています。白い部分を白宮(はくきゅう)、赤い部分を紅宮(こうきゅう)と言い、白宮はダライ・ラマの生活と政治の場、紅宮は歴代ダライ・ラマの霊廟を中心に宗教儀式を行う場となっています。紅宮の頂上に金色の屋根が見えますが、これを金頂と言うのだそうです。





ポタラ宮は7世紀のソンツェン・ガンボが文成公主の宮殿として建てたのが最初とか、ソンツェン・ガンボが瞑想するための石室を建てたのが最初との伝承がありますが、現在のポタラ宮は17世紀にダライ・ラマ5世が建設を始めたものと考えられています。その後、歴代のダライ・ラマが増改築を重ね、現在の姿となったのは、ダライ・ラマ13世の霊廟が完成した1936年。意外と新しい。



一見シンプルな造りですが、良く見るとかなり複雑な造り。
山の上にどうやって、このような巨大な宮殿を建てたのでしょうか。
宮殿に続く階段が「之」の字型に造られているのも印象的。
   


門を通って中へ。
マルボリ(紅山)に建てられているだけあって、ゆるやかな登り道。




宮殿が近づくと、その巨大さに圧倒されます。
左下、頂上右端にある丸い建物は政治犯の牢獄だとか。防御も考えた造りのように見えます。
   

それにしても、この垂直感は凄い。
垂直のベルサイユとは、よく言ったものです。
山との境目が分からない。
まるで山と宮殿が一体化しているようです。


記念碑のようなものがありました(左下)。宮殿工事に事故がないように作った無字功というもの。
右下はポタラ宮の構造を説明するための模型?
   

ガイドさんの模型を使った説明によると、ポタラ宮は石と土と草(木?)でできているとのこと。紅宮は赤い色をしていますが、実はこの赤いのは草。草を炒めて土にまぜるのだとか。こうすると土が軽くなり、しかも固くなるのだそうです。どうやら素地を出しているのが紅宮、土壁を白く塗っているのが白宮ということになるようです。


ここで現地ガイドさんから、大変なお知らせ。

ここから、まずは宮殿入口まで外階段を登ります。それだけでなく、宮殿内は、まず、一気に宮殿の一番上まで登り、そこから降りながら観光するのだそうです。

ラサの標高は約3600m。最近は西蔵鉄道で、徐々に高度に慣れながら入ることもできますが飛行機によってしか来れなかったころは、着いたとたんに高山病で倒れる人が続出した・・・とも言われた程の高地です。

正直、緩やかな坂でもきついのですが、ガイドさんいわく、階段の数、内外合わせて約300段ですって。うわあ。

ポタラ宮は1000もの部屋があると言いますが観光できるのは、そのうちのごく一部。
観光ルートは決められているし、おまけに私が行った時は観光時間も1時間という制限付き。
おとなしく一番上まで登るしかありません。

ラサの標高が約3600mでポタラ宮の高さが約117mだから3700mを越える?って、ガイドさんに聞いたら、いやいや約3800mです、って。
確かに、山の上にあるんですものね・・・。


いよいよ、ポタラ宮の入口です。ここを入って、頂上まで登らなくてはならないわけです。

そう思って一瞬暗くなったのですが、入口はなんとも綺麗な装飾が施されていて、そんな気分を吹き飛ばしてくれました。

ポタラ宮、外観はシンプルな造りですが、どうやら内部は華麗かつ精緻な装飾で満ち溢れているようです。

しかし・・・・
実は中国の観光地によくあることなのですが、宮殿内は一切撮影禁止。
この先は写真を撮ることができません。ここも写真は撮れないのかな、と思ったのですが、ガイドさんに聞いたら、ここの壁画までは写真を撮ってもいいんですって。

この入口を飾る壁画には巨大な四天王が描かれています。

しかも、ガイドさんの説明では、四天王は宝石を使って描かれているのだとか。
宝石を顔料にしている、ということなんでしょうか。ともかく、美しいです。


まずは右側の四天王の2人。日本の四天王とは随分違います。
白い肌で琵琶を奏でているのは持国天。青い肌で剣を持つのが増長天。



こちらは左側の2人。
赤い肌で仏塔を持つのが広目天。黄色い肌が多聞天。



独特の色使い。
凄い細部まで描きこまれています。
綺麗。

琵琶を奏でる持国天。

 

こちらは観音でしょうか。

 


壁画を楽しんだ後、一生懸命階段を登ったら広場に出ました。
ここは東庭と呼ばれる場所。6階建ての建物が白宮です。
かってはこの広場で僧侶が踊り、それをダライ・ラマが上の黄金の窓から眺めたのだそうです。




白宮

白宮はダライ・ラマの生活の場であると同時に政治の場でもありました。写真撮影が禁止なので、絵葉書を使ってまとめます。

下の絵葉書は白宮の3階にある東大殿。ここでは行事や儀式が行われたのだそうです。正面奥にあるのがダライ・ラマの玉座。政治の場とはいっても仏像が多いのは政教一致のチベットならでは、ということなのでしょうか。




白宮の装飾。非常に細かく、かつ、美しい。



白宮には他にも歴代ダライ・ラマの玉座やダライ・ラマ14世の寝室などを見ることができます。ダライ・ラマ14世の寝室の壁にはダライ・ラマ5世の壁画が描かれ、豪華な絨毯が敷かれていますが、案外狭く、ベッドも小さいように思えました。



紅宮

紅宮に入ると雰囲気が一変します。白宮にも仏像が多いなとは思いましたが、ここは完全に宗教空間。

元々、ダライ・ラマ5世の霊廟を造ったのが最初と言われるだけあって、独特の雰囲気です。

中心となるのは歴代ダライ・ラマの霊廟。ストゥーパのような形をしていて霊塔というのが正しいようです。
現在ある霊塔はダライ・ラマ5世と7世から13世までの8座。6世だけありません。実はダライ・ラマ6世は一旦は即位したものの還俗して恋愛や詩を愛したという、かなり型破りな人物だったようです。退位したんで霊塔もないんですね。

それぞれの霊塔は黄金や宝石・真珠で飾られ、その中に歴代ダライ・ラマのミイラが収められています。最も豪華なのは、やはり5世の霊塔。

左の絵葉書は13世の霊塔。実際の見学コースには入っていませんでしたが、雰囲気は伝わるかと思います。

全体的に薄暗い中に並ぶ絢爛豪華かつ巨大な霊塔と、多くの仏像や僧侶像・・・。他に例がない独特の雰囲気の場所です。


紅宮内には多くの仏像が置かれています。4階にはチベットで2番目に大きいという弥勒仏があり、他にも銀でできた33手観音や聖観音など。
千仏堂には文字通り多くの仏像が置かれ、中にはインドやネパールの仏像もありました。

他にも鶏卵大の仏舎利、白檀から自然に生まれたという観音菩薩、清の乾隆帝から贈られたというタンカ、金で経文の文字が書かれた大蔵経など、まるで博物館のようでもあります。

その中でも、チベットらしいと思ったのが、右の絵葉書の立体曼荼羅。3階に全部で3座ありました。

日本にも多くの仏を描いた曼荼羅はありますが立体的というのが面白い。
ご覧のように金色に輝く豪華な造りで宝石や真珠が埋め込まれています。

実は、紅宮自体が立体曼荼羅となっているのだそうで、時計回りに紅宮内を巡ることで巡礼となるのだそうです。

実際、紅宮の観光中は多くのチベット人達が小さなささやくような声で経を唱えるのが聞こえ続けていました。チベットの人達にとっては、まさに聖地巡礼なのでしょうね。


3階には他にもポタラ宮で一番古いと言われる石の部屋もありました。7世紀に吐蕃国を築いたソンツェン・ガンボが瞑想をしたと伝えられる部屋です。

3階から降りて2階かと思ったら、出たのは1階でした。

2階まで吹き抜けになっている天井の高い、広い部屋があります。
左の絵葉書の大経堂(西大殿)です。

この大広間は政府の官僚たちと僧侶たちが集会を開く場所であり、現地ガイドさんが言うには「歴代のダライ・ラマを確認したところ、即位室」だそうです。

ダライ・ラマは観音菩薩の化身であり、代々、生まれ変わって、この世に現れる活き仏とされています。

ダライ・ラマが亡くなると、その生まれ変わりである幼子を国中から探し出したと言いますから、おそらく探し出された幼子が先代ダライ・ラマの生まれ変わりに間違いないことを正式に確認すること、即ち即位・・・ということなのでしょう。
正面に置かれているのはダライ・ラマの玉座。


紅宮の観光終了。
外に出て、後は降りて行くだけです。


素晴らしかったけれど、主がいない宮殿と言うのはなんとも・・・
主が亡命中だけに、余計考えてしまいます・・・。


降りる途中、紅宮の金の屋根が見えました(左下)。
ふと気づくと、何か可愛い飾りが・・・(右下)。
   


降りながら、ふと見ると・・・
宮殿と山の接点と言うか・・・・
山の斜面を利用して見事に建造物を建てているんですね。
山と一体化したような建物。チベット建築の凄さが分かります。
山から建物が生えてるみたい。





下に池が見えて来ました。
かってはポタラ宮の正面にも池があったそうです。
今では埋められてポタラ宮広場となっているとか。




すっかり降りて来ました。

マニ車がずらりと置いてあります。
これを回せば経文を1回読んだことになるそうです。
左のおばさん、手にもマニ車を持ってます。





ポタラ宮の近くにある仏塔




ラサ市内から見たポタラ宮

ポタラ宮の姿は市内の至る所から見ることができます。
下の写真はラサに到着した初日に車窓から見たポタラ宮。雨が降っていました。
   



夜のポタラ宮

私がラサに滞在中、不定期にポタラ宮のライトアップが行われていました。
もしかしたら、今日はライトアップされるかも、ということで出かけてみたところ・・・

夕暮れのポタラ宮。綺麗すぎる。
ライトアップ始まっているのか・・・?



ライトアップしてるみたいです。やった!

神々しいお姿



雲が切れました。闇に浮かび上がるポタラ宮。



しばらく堪能

   



主を無くしたポタラ宮ですが
それでも、やっぱり素晴らしい。




見学できるのはごく一部ですが
やっぱりポタラ宮はチベットのハイライトです。
夜の姿は本当に神々しかった。
空気薄いけど来て良かったと心底思いました。


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参考文献

旅行人ノート・チベット(旅行人編集部)
地球の歩き方・チベット(ダイヤモンド社)
週刊世界遺産 bU2(講談社)
週刊中国悠遊紀行 bQ0(小学館)
世界遺産を旅する6(近畿日本ツーリスト)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。