日月山と青海湖

青海省の日月山と青海湖
唐の時代からチベットの入口であった日月山と
美しい青海湖を訪ねました。

2010年5月訪問

写真は日月山の月亭

青海省の玉樹州を除くほぼ全域、四川省のガバ州、甘粛省の甘南州という地域は、チベットにおいて「アムド」と呼ばれた地域で、今でも多くのチベット人が暮らしています。ダライ・ラマ14世の生家も、現在の青海省にあります。チベット自治区だけがチベットではないわけです。


日月山

青海省の省都西寧は標高約2275m。チベット高原の入口に位置する都市ですが、街中はチベットというより、むしろイスラム色が強い印象を受けます。

しかし、西寧から西へ進むと次第にチベット色が強くなってきます。
そして、西寧の西約100キロのところに位置するのが標高3520mの峠・日月山。

この日月山は唐の時代、唐と吐蕃(チベット)を結ぶ唐蕃古道を通る時には必ず通らないといけない地点であると同時に、唐と吐蕃の境界とされた場所でもありました。

いわばチベットの入口です。チベット人が捧げたタルチョ(五色の旗)が迎えてくれました。

唐の時代、吐蕃国に嫁いだ文成公主は、この地を通った時、ここで振り向き、涙を流し、唐に別れを告げたと言います。

日月山には文成公主が涙を流したことを偲んで日亭と月亭という2つの小さな建物が建てられています。もっとも、建物自体は最近造られた新しいものということですが・・・。


月亭から見た日亭。月亭には無数のタルチョが巻き付けられています。



日亭と月亭の建物は最近のものですが、月亭の中には唐と吐蕃の境界を示す古い石が置かれていました。

左の写真が、それ。しかし、チベット人が捧げた白いカタ(シルクのスカーフのような布)で覆われていてよく分かりません。

建物の中には文成公主の絵も飾られていました。
公主というのは皇帝の皇女のこと。文成公主は唐皇室(李姓)の一族である江夏王(こうかおう)李道宗(りどうそう)の娘なので、正確には公主ではなく王女なのですが、皇室の血を引くことから公主と称したのでしょう。いずれにせよ、唐の高貴なお姫様であることは間違いありません。

文成公主はチベットに仏教を伝え、後にチベット人から深く敬われることになるのですが、ここを通った時には、これから赴く吐蕃(チベット)への不安が大きかったに違いありません。

唐からラサまでの文成公主の嫁入りの旅は約3年もの歳月がかかったそうです。ここを通った時は道半ばといった感じだったんでしょうか。


「唐蕃分界」という字が読めます。これは新しい記念碑?のようです。




それにしても日月山は五色のタルチョでいっぱい。


五色のタルチョ(旗)はチベット特有のもので、経文が印刷されています。このタルチョがはためくごとに風が仏法を広めてくれると考えられているそうで、チベットの人達は風が強い山の上や建物の屋上などにタルチョを付けます。5つの色は地(黄)、水(青)、火(赤)、風(緑)、空(白)を意味するとのこと。それにしても、凄い数です。右下の写真、白い人物像が見えますが、これは最近造られた文成公主の像。中国の人達は、こういうの好きです。でも、大体、余り趣味はよくありません。

   



タルチョに近づいて撮ってみました。馬の絵が描かれています。これは風の馬・ルンタ
馬が天を駆けて仏法を広めてくれるのだそうです。





近くには、こんな建物もありました。





青海湖

日月山から更に進むと青海湖に着きます。



青海湖は周囲約360キロ、琵琶湖の約6倍の広さの湖だそうです。中国最大の塩湖だそうで、標高は約3200m。平均の深さは約19mとのこと。

湖の際には下の写真のような碑も立っているし、遊覧船も桟橋に着いていたりするのですが、私が訪れた2010年では「観光地化したのはつい最近」との説明を受けました。少し前までは軍事施設があったそうです。

   


中国魚雷発射実験基地・・・と書かれているようです。



標高3200mの青海湖で高地順応しながら
ラサを目指しました。
この後、ゴルムドに移動し、青蔵鉄道でラサに入ります。



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参考文献

旅行人ノート・チベット(旅行人編集部)
地球の歩き方・チベット(ダイヤモンド社)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。