カルタゴ ローマ帝国に滅ぼされたカルタゴ。 フェニキア人が築いたカルタゴの数少ない遺跡が残る場所です。 2011年1月訪問 写真はアントニヌスの共同浴場
ビュルサの丘とカルタゴ博物館 ビョルサの丘は古代カルタゴの中心地だった場所。 現在は博物館が建てられ、また、周囲からはカルタゴの住居跡が発掘されています。 博物館には古代カルタゴ時代のビュルサの丘の復元図がありました。
カルタゴの街を徹底的に破壊したローマ人達ですが、その後、カルタゴに入植し始めます。 後2〜3世紀にはカルタゴは人口30万人の北アフリカ最大の都市として繁栄しました。 博物館にはローマ時代のものが数多く展示されています。 優れたモザイクが数多く展示されていました。 カルタゴ時代のモザイクは白と青だけのシンプルなものでしたが、ローマ時代のものは華やかです。 博物館前の丘に広がるかっての住居跡。 ローマ時代の街の下から発掘されています。
遺跡からは海がよく見えます。かっての円形の軍港跡も見えます(左)。 遺跡入口に立っていた柱。ローマ時代のものだと思います(右)。 海のそばに残る軍港跡にも足を伸ばしました。 カルタゴ時代の海戦は船同士をぶつけて相手を沈めるというもの。 カルタゴ海軍は当時、最強だったそうです。 トフェ(タニト神の聖域) カルタゴの数少ない遺跡、トフェ。
写真の丸と三角で組み合わされたような形がタニトの印 左の写真ではタニトの印の上に三日月と太陽も描かれています。月はタニト女神、太陽はバアル・ハモン。 アントニヌスの共同浴場
今残っているのは基礎部分なんでしょうか。 かっての建物は壁にはフレスコ画、床にはモザイクと飾られていたそうです。 海に面しているため、散策するだけでも気持ちがいい。 古代ローマ人は、ここで優雅な時間を過ごしていたんでしょうね。 近くにはモザイクが見事なローマ人の住居跡があるというので自由時間に見学しようとしたら、 現地ガイドさんに「大統領官邸のそばだから危ない」と止められました。 私がチュニジアを訪れたのは2010年から2011年にかけての年末年始。 帰国直後にアラブの春の先駆けであるジャスミン革命が起こっています。 観光には何の危険も感じませんでしたが、やはり地元では不穏な空気が流れていたんですね。 チュニジアの遺跡に戻る アフリカの遺跡に戻る 参考文献 世界遺産を旅する2(近畿日本ツーリスト) 21世紀世界遺産の旅(小学館) 基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。 |
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