スフェチュラ(スベイトラ)

チュニジア中部内陸部にある小さな町スベイトラ
町はずれ残るスフェチュラ遺跡はチュニジアにおけるビザンティン終焉の地。
ユニークな三神殿が印象に残ります。
2010年12月訪問

写真は三神殿とアントニウス・ピウスの門


スフェチュラは元々ベルベル人が築いた都市で、2世紀から4世紀にはローマ人が、5世紀にはバンダル人が、そして、6世紀から7世紀にかけてはビザンティン帝国が支配しました。最盛期には1万人を超える住民が暮らしていたといいます。
しかし、7世紀半ば、侵攻してきたアラブ人がビザンティンに勝利し、都市は徹底的に略奪され、廃墟となりました。スフェチュラ遺跡はチュニジアにおけるビザンティン終焉の場として有名ですが、同時に最後のローマ遺跡とも言えます。

遺跡入口から見た景色



遺跡に入ると、遠くに神殿らしきものが密集しているのが見えました。
上の写真右に写っているのが、スフェチュラ遺跡のハイライトで世界でも珍しいという3神殿が連なる神殿群です。

遺跡に入ってから、神殿群を目指すルートを進む形になります。

入口から真っ直ぐ進むと、すぐに、オリーブを絞った場所がありました。

再現図が描いてあって、この丸い石のところでオリーブを絞ったことが分かります。

オリーブは、この地方の特産品で、スフェチュラはオリーブオイルで栄えたといいます。

オリーブを絞る場所から更に真っ直ぐ進むと、今度は浴場跡に出ます。


モザイクの残る浴場です。魚たちがかわいい。
魚たちが笑っているみたい。
   


浴場を過ぎたあたりで右に折れると、神殿群がますます近づいてきます。
立派な門も見えて来ました。
手前にプールのようなものがありました。貯水池です。


随分と深い貯水池です。
オリーブが特産品というのは乾燥地帯なのでしょうから、水の確保が重要だったのでしょうね。
ここから見ると神殿群の周りに高い壁が築かれているのが良く分かります。
ビザンティン時代に神殿群の周りは要塞化されたのだそうです。


真っ直ぐ進むと、おじさんたちが休憩している場所に突き当たりました。
4世紀の噴水の跡だということです。たぶん、ニンファエウムなんじゃないでしょうか。
ここはT字路になっていて、左に進むと神殿、右に進むと劇場ということでした。
   


まず、神殿を目指すために左に進むとビザンティン教会があります。



現地ガイドさんからは「ビザンティン教会」と説明を受けたのですが、地球の歩き方には「セルブス教会」と書いてありました。

上の写真で手前の低い壁にプレートがありますが、プレートの上には十字やラテン語のレリーフが残っています。

教会は柱と壁の一部が残っているだけで、かっての姿を想像するのは難しいですが、洗礼場が残っています(右)。

四隅が丸くなった花のような形の洗礼場です。

後で行ったチュニスのバルドー美術館によく似た形の洗礼場があり、タイルで見事な装飾がなされていました。

今は、ほとんど残っていませんが、かっては、この洗礼場も美しいタイルで飾られていたんでしょう。

このような形の洗礼場が流行したんでしょうね。


更に神殿方向に進むと、下のような石が転がっていました。

何かと思えば「売春宿の看板」だそうです。

そうと分かれば、彫られているものも分かりますね。
「まあ、いやらしい」という奴です。

神殿のすぐ前に売春宿があったということでした。

神殿や教会のすぐそばに売春宿があっていいのか、と思いますが、日本でも神社仏閣の前には花街がつきものですね。

世界共通ということなんでしょうか。



神殿群

いよいよ神殿群への入口です。
立派な門はアントニウス・ピウスの門。2世紀に建てられたものです。

門の周囲にある壁はビザンティン時代に作られた壁。
ビザンティン時代には神殿の周囲が要塞とされました。

門をくぐると石畳のフォルム(公共広場)があり、3つの神殿が並んでいます。
左からジュノー(ヘラ)、ジュピター(ゼウス)、ミネルヴァ(アテネ)。


ジュピター(ゼウス)神殿を中央に、両脇に妻ジュノー(ヘラ)、と娘ミネルヴァ(アテネ)が並びます。地球の歩き方ではジュノーとミネルヴァの位置が逆になっていますが、現地ガイドさんの説明を信じることとします。

この3つの神殿が建てられたのは2世紀。3つの神殿が連なっているのは世界でも珍しいということでした。何より珍しいのは、中央のジュピター神殿に神殿に登るための階段がないことです。ジュピター神殿には左右のジュノー神殿・ミネルヴァ神殿から橋がかかっていて、その橋を通らないと行けないようになっています。元々、そのような変わった構造だったということでした。
また、神殿の階段は高くなっていますが、下は倉庫になっているそうです。

神殿近くから撮ってみました。ジュピター神殿への橋が分かるかと思います。



神殿の裏に廻ってみました。後姿も立派。後ろにも神殿を繋ぐ橋があります(左下)。
神殿の裏にも遺跡は広がっています(右下)。
自由時間が短くて、残念ながら、うろつく時間が足りません。
   


限られた自由時間の中で3神殿の周りをぐるぐる回ってみました。
左下はジュノー神殿前に残る柱
下中央の写真はジュピター神殿(左)とジュノー神殿(右)の間を撮ったもの。
右下はジュピター神殿の後ろ姿。
     
気が付けば、ミネルヴァ神殿をあんまり撮っていませんでした・・・。



大浴場

3神殿から離れて、道を戻り、泉の先を更に進みます。
モザイクが残っている広々とした空間がありました。大浴場の跡だそうです。
   



劇場

更に進むと3世紀に建てられた劇場に出ます。修復率は約8割ということでした。




凱旋門

遺跡入口からちょっと離れた場所にあります。
かってのスフェチュラへの入口。300年に建てられたものだということでした。




博物館

遺跡入口近くに小さな博物館がありました。
遺跡から発見されたモザイク(左下)や彫刻等が展示されています。
下中央はアルテミスでしょうか。右下の少年も美しい。
     


世界遺産になっているわけでもないのですが
スフェチュラ遺跡、面白かった。
3神殿は本当にユニーク。
広い遺跡の一部しか観光できなかったのが残念。


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基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。