イスタンブール

東西文明の交差点イスタンブール
ビザンティン帝国とオスマン・トルコ帝国の首都だった街。
紀元前7世紀から栄え続けた世界でも稀な都市です。
2002年8月訪問

写真はガラタ橋


一つの街でありながらボスフォラス海峡を挟み、ヨーロッパ側とアジア側に分かれる世界でも稀な都市であるイスタンブール。紀元前7世紀にギリシャの植民地として建設されて以降、今日まで経済・文明・軍事の重要拠点として栄え続けた街という意味でも世界で稀な存在です。

ギリシャ・ローマ帝国の支配下にあった当初は「ビザンティウム」という名前でしたが、330年にはローマ帝国コンスタンティヌス1世により都とされた際、「コンスタンティノープル」と改名し、ローマ帝国が東西に分かれてからは東ローマ帝国・ビザンティン帝国の首都として、また、ギリシャ正教の本拠地として繁栄します。
1453年オスマントルコ帝国により「イスタンブール」と改名してからは、教会はモスクに変貌し、イスラム都市として繁栄を続けます。1923年、トルコ共和国の誕生により首都はアンカラに移りましたが、今日でもトルコ最大の都市として繁栄し続けています。


スルタン・アメフット・モスク(ブルーモスク)

スルタナメット広場から見たスルタン・アメフット・モスク


スルタン・アメフット・モスク、通称ブルーモスクはビザンティン時代に大宮殿があった場所に建てられています。オスマン・トルコ帝国のアメフット1世の命により17世紀に建てられました。

ドームが重なり合う姿は美しいですが、他の国のモスクに比べると、荘厳というか、ちょっと無骨な印象を受けます。これがトルコ風なのでしょうか。

しかし、中に入ると雰囲気が一変。電気のなかった時代に建てられたモスク内部には、いくつものランプが飾られていて、ランプの灯りとステンドグラスが、なんともいえず幻想的です。




ブルー・モスクという通称は内部の美しい青タイルからきています。
本当に、青が美しい。モスク内部はフラッシュ禁止なのが残念です。
   



アヤ・ソフィア

ブルーモスクを背に撮ったアヤ・ソフィア(おじさんは関係ない)


ブルー・モスクとスルタナメット広場を挟んで立つのがアヤ・ソフィア。こちらのモスクは赤っぽい色をしています。ちょっと無骨な感じがするけれど、このモスク、なんと建てられたのは537年、つまり1500年近く前に建てられたものです。円屋根の高さは56mあるというから驚きです。

ビザンティン帝国時代はキリスト教の教会として、その後、オスマントルコの時代になってからはモスクとして使われてきました。周囲のミナレット(尖塔)は、オスマントルコの時代になってから建てられたものだそうです。

アヤ・ソフィアの内部に入ると、キリスト教会時代のモザイクとイスラム教のモスクになってからのアラビア語による装飾の両方を見ることができます。


キリストのモザイクです。



こちらはイスラムの文字装飾


実はモザイクは20世紀の修復の際に漆喰の下から発見されたもの。要は、イスラム教のモスクに改装するときに、キリスト教のモザイクを漆喰で塗り隠してしまったのですね。
現在のトルコではイスラム教徒が多いものの、政教分離を貫いているためか、キリスト教文化も尊重されていて、きちんと保存がなされています。モザイクは9世紀から10世紀のものだそうです。

左の写真、ドーム天井部分に聖母子が残っています。キリスト教とイスラム教の不思議な同居です。
   
2階の回廊部分にも優れたモザイクが多く残されているそうです。
時間がなく見学できなかったのが残念です。



地下宮殿

スルタナメット広場のすぐそばに「地下宮殿」はあります。
   

「地下宮殿」と言っても、実際は「地下貯水池」。長さ140m、幅70mの貯水池が地下に掘られているのです。6世紀に完成したもので、336本の柱が天井を支えているというのですが、面白いのはこれらの柱や基礎が色んな遺跡から持って来られたものだということ。右上の写真は柱の基礎にされているメドゥーサの頭。どこの遺跡から持って来たのでしょうか。これは横ですが逆さまに置かれているメドゥーサもいました。ちょっと不気味だけど、好きな人ははまるかもしれない雰囲気。



シュレイマニエモスク



シュレイマニエモスクはイスタンブールのいたるところから目に付く立派なモスク。オスマン・トルコ帝国の最盛期・16世紀に造られたモスクでもあります。

オスマン・トルコ建築の代表作と言われるモスクですが、中に入るとおじさんがコーランの詠唱をしていました。一般の人だけど、よく、ここに来て詠唱をするのだそうです。声が朗々と響いて、イスラム教徒でない私達も思わず聞き惚れるほど。この後、拍手したら、喜んで、ツアーのみんなと握手してくれました。



トプカピ宮殿

アヤ・ソフィアやブルーモスクにも近いボスフォラス海峡に面した地にトプカプ宮殿はあります。



トプカプ宮殿の周囲は公園のようになっていて、そこをしばらく進むと宮殿入口。入口付近には、トプカプ宮殿の模型が置いてありました。随分大きい模型です。宮殿の広さ・複雑さが分かります。

トプカプ宮殿はイスタンブールを攻略したオスマン・トルコの征服王メフメット2世が15世紀後半に建造しました。その後の歴代スルタンが改築を加えながら19世紀半ばまで居住し、執務に当たっていたのだそうです。宮殿といっても、実際には行政府・議会・兵器庫などもあって、単なるスルタンの住居ではないわけですね。

とはいえ、観光客としては、やはり一番の関心はハーレム。スルタンと女性だけの空間。
思ったより小さい入り口を通り、宦官たちの生活ぶりを示す展示を見て、更に進むと・・・
スルタンの生活空間。いきなり別世界です。

写真は皇帝の広間。
スルタンと母・第一夫人・愛妾・子供たちだけが入れた部屋です。

素晴らしい。

次々と現れる美しい部屋の数々。
タイルの見事さはため息ものです。

   


花や果物の描かれたアメフット3世の食堂
「フルーツの間」と呼ばれています。


ともかく綺麗で、ともかく豪華で。中には、スルタンが歩くときに寵姫たちに金貨を撒いたという廊下もあります。
しかし、ここに暮らす女性達は外に出ることもできなかったわけですし、王位継承をめぐっては陰謀渦巻き、血で血を洗う世界だったはずです。スルタンになれなかった王子達はオスマン朝初期は全員殺されていたし、その後も、一生「鳥籠」と呼ばれる部屋に幽閉され、その妾たちも妊娠するとボスフォラス海峡に沈められたというのだから壮絶です。

豪華で美しいスルタンたちの部屋のすぐ近くには暗い宦官たちの居住区や鉄格子のついた女たちの居住区があり、その落差には複雑な気持ちになります。

それでも美しい部屋に入ると、ひたすら感動してしまうのも事実。
これだけの装飾が調和しているのが不思議。

   


ハーレムを出てからも、見どころは多く、中でも圧巻は宝物館でしょう。オスマン帝国の財力を示す金銀宝石がごろごろしていて、見ているうちにだんだん感覚がマヒしてきます。

有名な「トプカプの短剣」などは、直径何センチあるのだろうという大きなエメラルドが3つも着いていますし、スプーンダイヤは卵ほどの大きさのあるダイヤモンド。スプーンダイヤのある部屋に入った瞬間、奥から強烈な光が飛び込んでくるほどの凄さ。スプーン3本と取り換えたという伝説のこのダイヤモンドは、なんと86カラット。凄すぎて、くらくらきます。写真撮影禁止なのが残念。

他にも宮殿内の建物を利用して、オスマン時代のスルタン達の衣装とかイスラムの宝物を展示してたりしています。建ち並ぶ建物自体も、ともかく美しい。やっぱり「帝国」は格が違いますね。

   



古代オリエント博物館

宮殿のすぐそばに博物館がいくつも固まっているエリアがあります。遺跡・歴史好きには外せないエリアです。まずは古代オリエント博物館へ。

「古代オリエント」博物館というだけのことはあって、ここの展示品は古代メソポタミア・エジプトの遺物が中心。
オスマン帝国時代にシリアやイエメンから収集されたものと共和国になってからのヒッタイトなどからの出土品が展示されてます。

最も有名なものは「カデシュの条約タブレット」。

小さな小さな粘土板に楔形文字が刻まれたもので、写真にとっても何がなんだかわからないけど紀元前13世紀にエジプトのラムセス2世とヒッタイトの戦いの後に結ばれた平和条約です。
以前はラムセス2世が勝利したと考えられていましたが、この発見で歴史が変わりました。
実際は引き分けで、ラムセス2世の方が危なかったようです。

他にも、新アッシリア時代、新バビロニア時代のものなど、優れたものが並んでいました。

右は新アッシリア時代の魔人(左)。
ニムルドのアッシュルナシルパル2世の宮殿の壁を飾っていたもの。
右手に松かさ、左手にシトゥラ(金属製バケツ)を持っています。豊穣あるいは清めの儀式と関係するようです。

左下は新バビオニア時代、ネブカドネザル2世が築いたバビロンの門のレリーフ。
右下は新ヒッタイト時代のスフィンクス
   



考古学博物館

古代オリエント博物館のすぐ隣に考古学博物館があります。
トルコから出土したものが展示されていますが、圧巻はギリシャ・ローマ時代のもの。

左はローマ時代のマルシアスの像。アポロンに音楽を挑んで敗れたマルシアス。
右は前5世紀のリキアの石棺。上は女性の顔と胸を持つスフィンクス、下はケンタウロスの戦い。
   


この博物館にはアレキサンダー大王関連のものが多く、大王の像もいくつか展示されていましたが一番有名なのが下のアレキサンダー大王の石棺。左端の馬上の青年がアレキサンダー大王。


写真だと分かりにくいですが、大王は獅子の頭部を被っており、これが大王のトレードマーク。ペルシャと大王の戦いを描いた場面だそうです。
この石棺、実際には大王によってシドン(レバノン)の王に選ばれた人物のもの。大王を称えるために大王の姿を彫ったのだそうです。




カーリエ博物館

旧市街、テオドシウスの城壁近くにカーリエ博物館はあります。



カーリエ博物館はビザンティン時代にコーラ修道院と呼ばれたキリスト教会が後にモスクに改造されたもの。ビザンティン時代のモザイクとフレスコ画で有名で今は博物館として公開されています。

モスクとしては余り大きなものではありませんが中のフレスコ画とモザイクは保存状態もよく見事。
左下はサイドチャペルと呼ばれる場所。正面のドームに描かれているのはキリストが死者を救う場面を描いたもの。天井には最後の審判が描かれています。右は反対方向から撮ったもの。。

   


フレスコ画も見事だけれど圧巻はモザイク。
キリストの生涯やマリアの生涯を描いたモザイクは実に見ごたえがあります。
この博物館では売店に日本語の説明書も売っていたので読みながら見学するといいと思います。

キリストとマリア



聖母子




イスタンブールは見どころが多く、見学できたのはごく一部です。
グランバザールでの買い物や街歩きだけでも時間が過ぎていく・・・。
私は3日滞在したのですが、1週間でも足りない気がします。
親日国なので楽しい旅ができる場所です。


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参考文献

イスタンブール歴史散歩(新潮社 とんぼの本)
イスラムの誘惑(新潮社)
世界遺産を旅する10(近畿日本ツーリスト)
イスタンブール考古学博物館(トルコにて購入)
コーラ(トルコにて購入、カーリエ博物館の解説本です)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。