パムッカレとヒエラポリス

トルコ南部パムッカレ
白い石灰棚と青い温水の奇観は幻想的です。
近くには古代の温泉保養地ヒエラポリスも残ります。
2002年8月訪問

写真はパムッカレ


パムッカレとは「綿の城」という意味。丘の上から白い棚が段々と傾斜地に広がり、そこを青い水が流れているという美しく不思議な風景が広がります。

この青い水は実は温泉。丘の上の温泉地から流れ出る温泉の石灰分が長い年月をかけて丘の斜面に幾層もの棚を造り上げているのです。その美しい景観から1988年に世界遺産に登録されました。

とはいえ、よく見ると干上がった石灰棚も目に付きます。



実は、このパムッカレ、世界遺産に登録され、観光客が押し寄せるようになったため、付近にホテルが乱立し、そのホテルが勝手に温泉を引いたりしたものだから、湯量が激減してしまったのだそうです。その後、ホテルが温泉を使うことは制限されたものの、一度減ってしまった湯量は戻らない・・・。昔はこの石灰棚のプールに入ることができたということですが、今は入れるのは限られたごく一部になっています。ちょっと寂しいですね。


とはいえ、今でも十分美しいし、幻想的。




白い石灰棚も綺麗ですが、美しい色の温泉です。




パムッカレの温泉は神経痛や腎臓病に効能があるのだそうです。



ヒエラポリス

パムッカレの石灰棚のすぐそばにヒエラポリスはあります。
写真は遺跡中央部のドミティアヌス帝の門から続く列柱道路。


ヒエラポリスは温泉保養所としてビザンティン時代まで栄えたという都市です。元々は紀元前2世紀にペルガモン王国の王エウメネス2世が築いた街で、ペルガモン王国始祖の妃ヒエラの名前からヒエラポリスと名付けられたと言われています。

その後、この街はローマ帝国に譲渡され、現在残るのは2〜3世紀に造られたローマ様式の街並みです。なんでも、この地は地震に再三襲われたということで、度重なる再建を経て、ペルガモン王国時代のものは全く失われてしまったのだとか。温泉の保養地として栄えた街ということですが、温泉と地震は、やはりセットなんですね。


三連のアーチが残るドミティアヌス帝の門。
後ろには列柱が見えますし、石畳も綺麗に残っています。



決して大きな遺跡ではありませんが、列柱道路の保存状態は結構良好。


遺跡に残る柱の数々。
保養地ということですから、お金持ちの街だったんでしょうね。
   


時間の関係で行くことはできなかったのですが、ローマ劇場も残っています。

遠くからしか見ることしかできませんでしたが、1万人以上が収容できたということですから、なかなかの大きさです。

山の斜面を利用して造られているように見えますね。
保存状態も良いローマ劇場ということだったので、見学できなかったのが残念です。

ヒエラポリスには他に温泉の有毒ガスを利用して司祭が宗教的儀式を行った場所もあります。

列柱道路からローマ劇場への途中にあるアポロン神殿跡の近くに残る「プルトニウム」と呼ばれる洞窟がそこ。

地下の神プラトが支配する聖域とされ、その洞窟で、ガスを吸った司祭がトランス状態になって神託を告げたのだとか、生贄となる小動物を投げ入れて、小動物が即死する様を見せて神意への畏怖を煽ったのだとも言われているようです。

現在は立ち入り禁止になっていますが、温泉を色々と利用した街だったんですね。



ガイドさんに言わせると、この遺跡で見るべきは劇場より墓地だということです。
ネクロポリスと呼ばれる共同墓地は小アジア最大級。
なんと1000を超えるお墓があるのだそうです。

こちらのお墓は、家のような形をしています。手前には棺。



円墳のように見えますが、これもお墓です。


明るい太陽のもと、お墓と言っても暗さが全くありません。
昔のお金持ちは温泉で老後を楽しみ、
死後も陽射しに包まれて眠りたかったんでしょうか。



一度は見たいパムッカレ。
水量が減ったとはいっても、まだまだ美しい。
できれば一泊して、もっとヒエラポリスもゆっくり見たかったなあ。


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参考文献

世界遺産の旅(小学館)
世界遺産を旅する10(近畿日本ツーリスト

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。