ボナンパク

美しい壁画で知られるボナンパク
マヤ語で「彩られた壁」を意味します。
2014年3月訪問



ボナンパクはグアテマラとの国境近くのジャングルの中にあります。パレンケから南東に約150キロ。ヤシュチランからは南西に約30キロ。2003年にメキシコを訪れた時には行くのが困難でしたが、今ではパレンケを起点に1日でヤシュチランとボナンパクを廻るツアーが出ています。

私たちのツアーでも早朝6時にパレンケのホテルを出て、途中で朝食を食べ、ヤシュチランとボナンパクを見て回りました。ホテルに帰ったのが夜の7時半。かなり濃厚な1日でした。

グアテマラとの国境近くを流れるウスマシンタ川流域には、かってヤシュチランやピエドラス・ネグレスといった都市が交易で栄えましたが、ボナンパクはこれらの都市の従属国家だったようです。ヤシュチランには5世紀に王がボナンパクの王を捕えたとの記載があり、そのころからの関係かもしれません。ボナンパクの最盛期は600年から700年代。ヤシュチランと組んでラカンハを倒したこともあるそうです。
ボナンパクはウスマシンタ川の近くを流れるラカンハ川の東岸に位置するので、やはり交易で栄えたのでしょう。マヤの時代、交易はジャングルを通る道ではなく川を利用して行われていました。

ヤシュチランからは車で約1時間。といっても遺跡の近くで大型バスからラカンドンの人達の車に乗り換えて向かいます。フロントガラスに大きなヒビが入った車で豪快に飛ばしてくれました。



ラカンドンというのはスペイン人来襲後ジャングルに逃れたマヤの末裔。チアパス州に多く住んでいます。白いシーツのような民族衣装が特徴。民族衣装の彼らが車のハンドルを握る姿は結構シュールです。

マヤの生活を守っていた彼らは1990年代に長年に渡る差別的処遇の改善を求め武装蜂起します。そのためか2003年の時はボナンパクに行くのは危ないと言われていましたが、現在は彼らの主張も認められたようで、彼らの居住区を通るボナンパク遺跡に行くには彼らの車で行くこととなっているのだそうです。

遺跡前のお土産屋さんも彼らの店だし、なんとエコツアーもやっているとか。遺跡入口にはボナンパクの看板だけでなくツアーの看板もありました。最近は結構商売に勤しんでいるらしく、たくましい人たちです。


遺跡入口でラカンドンの人達の車を降り、ジャングルの中のまっすぐな道を歩きます。

途中開けた場所に出ました。
芝生が広がる広場のような場所で、なんというか気持ちがいい。

何かと思って聞いたら飛行場とのこと。
昔はセスナでボナンパック遺跡に来る人もいたというか、セスナでないと来られないような大変な場所だったそうです。

ここを通り抜けると、いよいよ遺跡です。


建物の基壇のようなものが見えたと思ったら、その先は、こんな景色でした。


大きな広場があり、その先に自然の丘陵を利用したのか階段が続き、その中腹や頂上に建物が残っています。壁画が発見されたのは中腹右手の建物。保存のための屋根が架けられています。

広場にある大きな石碑も気になるけど、まずは壁画を目指して階段を登ります。


これが壁画のある建物です。結構小さい。上の方には人物像のレリーフもあります。


建物には3つの入口があり、3つの部屋に壁画が描かれています。
しかし、部屋の中を自由に見て回ることはできません。
入れるのは入口の狭い範囲だけ。一度に入るのは3人が限度。
大きな荷物は外に置いて、並んで見学の順番を待ちます。



第1室

一番左の部屋が第1室です。

発見当時の写真と比べるとかなり色褪せていますが、それでも十分に美しい。マヤブルーと言われる青の鮮やかさが印象的です。

この壁画は700年代後半に描かれたもの。
高温多湿のジャングルの中にあるにも関わらず、壁画が残ったのは建物の石材から石灰質が流れだし、それが壁画を覆うことで保護する結果となったからだそうです。

それでも発見後、痛みが進んだため修復作業が始められていて昨年第3室の修復が終わったところという話でした。

3つの部屋のうち中央の部屋(第2室)には激しい戦闘のシーンが描かれています。
それまでマヤは戦いのない平和な国々と考えられていたため、その発見はマヤ観を一変させるものとなりました。

戦闘シーンとの関係から、この第1室は出陣前の様子を描いたものではないかと言われています。
戦勝祈願の宴といったところでしょうか。


上段に描かれた王族・貴族階級の人々



楽団だそうです。マラケスのようなものを持って行進しています。



マラケスを持つ人々のアップ。白いターバンのような帽子をつけています。
衣装を良く見るとひとりひとり違います。現実のモデルがいたのかな。
   


これはトランペット奏者と仮面を付けた役者による野外劇の様子だそうです。
ザリガニのハサミを付けた役者の姿が珍しい。
   



第2室

第2室が有名な戦闘シーン。人々のマヤ観を一変させたと言われる壁画です。しかし、残念ながらこの部屋の壁画は第1室に比べると、かなり保存状態が悪い。オリジナル(左)とメキシコシティ国立人類学博物館のレプリカ(右)と対比させてみました。敵の髪を掴む王の姿が分かるでしょうか。
   


このボナンパク王の名はチャン・ムアーン2世と言い、その即位をヤシュチランのイツアムナーフ・バラム3世(楯ジャガー3世)が後見したとの記述も残されているそうです。つまり当時、ヤシュチランがボナンパクの優越国だったわけです。イツアムナーフ・バラム3世(楯ジャガー3世)は有名な鳥ジャガー4世の息子にあたります。チャン・ムアーン2世はイツアムナーフ・バラム3世の妹を妻としており、当時、両国に強い絆があったことが分かります。 


敵の髪を掴み捕虜にするチャン・ムアーン2世(左)のアップと倒れる敵の上に立つ王(右)
   
右の写真中央には倒れた敵や命乞いをする捕虜が描かれています。
捕虜たちは指から血を流しており、爪を剥がされたのかもしれません。



第3室

第3室には再び儀式の様子が描かれています。楽団と階段で踊る人々と言われても良く分からなかったので再び国立人類学博物館のレプリカ(右下)と比較してみました。描かれている場所がちょっとずれているのですが、レプリカを見ると大きな緑色の被り物のようなものを付けた人物像が描かれているのが分かります。オリジナル(左下)でも緑色の房のようなものが分かりますが、これが大きな被り物の飾りのようです。
   



こちらは王族・貴族の男性達。放血儀式をしているところとの説もあるようです。




こちらは王族の女性たち。ベンチに腰かけている人物や床に座る人物が描かれています。
分かりにくいですが、彼女らは舌に孔をあける放血儀式をしているのだとか。

良く見ると床に座った女性は子供を抱いているようです。



壁画上部。




3つの部屋の入口には保存状態の良いリンテルが残っているので、部屋に入る前に上を見上げることを忘れずに。左から第1室・第2室・第3室のリンテルです。いずれも捕虜を掴まえる王の姿ですが、第2室(中央)のリンテルに描かれているのはヤシュチランのイツアムナーフ・バラム3世(楯ジャガー3世)なのだそうです。こんなところからもヤシュチランとの強い関係が伺えます。
     



壁画のある建物から出て上を見上げてみました。
どうせですから上に登ってみます。




頂上には小さな建物が並びます。中を覗いたら、円柱のようなものが置いてありました。中にはリンテルが残っているものもあります(右下)。かなり保存状態の良いリンテルです。 
   



頂上から見下ろしたボナンパク遺跡。



階段の下の方に大きな石碑が2つありました。こちらは左側にあった石碑。かなり保存状態が良く王の頭飾りが見事です。王の左右に女性が彫られています。これもチャン・ムアーン2世のもの。
   


右側にあった石碑(左下)とレリーフ(右下)。石碑は少し保存状態が悪いですが、それでも王とひざまずく捕虜らしき人物の姿が見えます。右下のレリーフは漆喰によるもののようです。
   



大広場に戻ると大きな石碑が2つあるのが分かります。その奥に見えるのは入口にあった建造物。基壇の上に保護するための屋根がついています。
それにしても石碑は大きい。近くの人間と比べると、その巨大さが明らかです。5m以上あるのではないでしょうか。




上の写真の右側の石碑は落剝がひどく何も残っていませんが、屋根で保護された左側の巨大な石碑には美しいレリーフが残っていました。これもチャン・ムアーン2世だそうです。余りに彫りがきれいなのでオリジナルなのか尋ねたところ、オリジナルということになっているとか。凄い綺麗ですね。王は正装し、槍をもっているようです。
   

美しい壁画を描き、多くの石碑を作ったチャン・ムアール2世ですが
彼がボナンパク最後の王だったようです。
ボナンパクも古典期後期の多くの都市同様、800年代に入ると放棄されました。



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参考文献

古代マヤ王歴代誌(創元社)
図説・古代マヤ文明(河出書房新社)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。