カラクムル

ティカルと覇権を争ったカラクムル
かっての王朝名は「カーン(ヘビ)」
2014年3月、初めて訪れることができました。


写真はカラクムル最大の規模を誇る建造物2


カラクムルの歴史

カラクムルはカンペチェ州の州都カンペチェから南東に約350キロ、グアテマラとの国境に近いジャングルの中にあります。カラクムルはマヤ先古典期からの古い歴史を持ち、562年に現在ベリーズに位置するカラコルとともにティカルを破り、以後130年間に渡りティカルにモニュメントを作成させなかったほどの大打撃を与え、695年にティカルに敗れるまで長い繁栄を謳歌しました。

マヤ屈指の大国家でありながら、そのアクセスの悪さから知名度は今一つ。遺跡近くに博物館もなく、遠く離れたカンペチェの博物館に展示されているだけ。行きにくい、知りにくい遺跡です。

ところが2014年3月にメキシコを訪れた時、メキシコシティの国立宮殿で開催されているマヤ展を見るという幸運に恵まれました。メキシコの国宝展とも言える展示会でカラクムルの貴重な遺物も数多く展示されていました。カラクムルの歴史を簡単にまとめます。

下の写真はカラクムルから発見された翡翠の仮面3点。翡翠はマヤで最も貴重とされたもの。カラクムルでは、これまでに10個もの仮面が発見されており、その財力が伺われます。右下や中央の仮面は目が4つあったりして、特徴的ですね。耳輪も大きい。
   

これらの仮面がどういう王のものかは分かっていませんが、カラクムルを隆盛に導いた王達のことはある程度分かっています。

まずは6世紀の「空を見る者」。この王がそれまでティカルの従属国だったベリーズのカラコルをティカルから離反させ、562年にカラコルとともにティカルに侵攻し、征服した王です。

その後、6世紀後半に即位した「渦巻きヘビ」王はパレンケへの侵攻を繰り返し、パレンケに大打撃を与えます。599年・611年と2度に渡り侵攻しました。カラクムルからパレンケまでは250キロもあり、マヤの最長攻撃と言われます。乾季の終わりの4月、川の水量が減った時期の侵攻でした。
その後の王達も近隣に勢力を広げ、7世紀前半に即位した大ユクノームはティカルから独立したドス・ビラスのバラフ・チャン・カゥイールを配下に置き、ティカルへの侵攻を繰り返します。562年から100年以上、ティカルはカラクムルに勝つことができず、カラクムルはマヤ世界の超大国として君臨し続けます。

大ユクノームは長寿を誇り、その治世は50年に及びました。大ユクノームの時代、カラクムルはウスマシンタ川流域にも影響力を持つようになります。大ユクノームの晩年は息子のユクノーム・イチャーク・カックが補佐していたと思われますが、ユクノーム・イチャーク・カックが即位して間もない695年、カラクムルはティカルのハサウ・チャン・カゥイールに大敗し、以後、ティカルの大逆転劇が始まります。

国立宮殿のマヤ展では、このユクノーム・イチャーク・カックの王墓も再現展示されていました。



王はジャガーの毛皮を樹皮でコーティングした服を身に着け、黒曜石のペンダントをしていたといいます。もちろん豪華なものなのでしょうが、勝者だったティカルのハサウ王が大量の翡翠とともに葬られていたことを考えると、少し寂しい気がします。

695年にティカルに大敗した後も、カラクムルは存続し、700年代前半の王ユクノーム・トーク・カゥイールは従属国に勢力をふるいます。この王の石碑はメキシコシティの国立人類学博物館に展示されていました。カラクムルの石碑は大きなものが多く、この石碑も巨大なものです。深い彫りは豪華なもので、王の巻き毛が特徴的。マヤで巻き毛は珍しいのではないでしょうか。

   

しかし、この王の後、ティカルは再びカラクムルに侵攻し、カラクムルを破るとともに、カラクムルの従属国も破っていきます。ティカルの隆盛に押され、カラクムルは弱体化していったようです。



遺跡へ

前書きが長くなりましたが、いよいよ遺跡です。
写真は入口にあった遺跡の地図


カラクムルは近くに宿泊施設がほとんどなく、私たちはチカンナという町のホテルに泊まりました。そこから遺跡入口まで車で行って、入り口で許可証のある車に乗り換えます。そこから遺跡まではなんと60キロ。はあ、遠い。ようやくたどりついた遺跡入口に立っていたのが上の地図です。写真やや左寄りの下の方に巨大な建造物がありますが、これが有名な建造物2。

カラクムルの広さは25㎢。
マヤ古典期の都市の中で最大級と言われます。カラクムルの繁栄を偲ばせますね。

6000もの建造物と120近い石碑が発見されています。
しかし、まだまだ発掘・修復が進んでおらず、見学できるのは、ごく一部。

私達が見学するのは建造物2のあるセントラル・プラザと上の写真で一番左側に位置するグラン・アクロポリスということなのですが、そこまでなんと入口から徒歩で約30分。
つまり往復で1時間かかるわけです。

遺跡入口までも長かったけれど、遺跡入口からも長い。

しばらく、ひたすら右の写真のようなジャングルの中の小道を歩きます。木陰を歩くので涼しいのが助かります。

遺跡の周囲はジャガーも生息する自然保護区ということですが、余り動物の姿は見かけませんでした。



北のアクロポリス

延々歩いて、やっと遺跡らしきものが見えて来ました。

ここは北のアクロポリスと呼ばれる場所。

でも、残念ながら非公開なんだそうです。
柵があって入れません。

外から見ると、結構、整備されているみたいなんですが、残念です。
ここからは最近マヤの庶民を描いた壁画が発見されたとのこと。
見学できるといいんですが・・・。


ここから発見された壁画というのはこれだと思います。


国立宮殿のマヤ展で、写真が展示されていました。ちょっと光ってるのが残念ですが。



グラン・アクロポリス

少し歩いて建造物のある場所に出ました。グラン・アクロポリスです。
入口の地図にあった一番左の場所(左下)です。拡大してみました(右下)。
   
どうやらグラン・アクロポリスで見学できるのは、点線で示されたごく一部のようです。


建造物13


建造物13は2回増築されたことが確認されているそうです。正面の階段を登ったところに墓が発見され、翡翠の仮面も見つかっているそうです。カラクムルでは建造物から墓が発見されることが多く、これまでに10の墓が見つかっているということでした。

周囲には石碑が幾つも残っています。保存状態が悪いのが残念。カラクムルでは120近い石碑が見つかっていますが、石灰岩で作られていたため摩耗が酷く、解読も難しいものが多いのだそうです。凄い残念ですね。右下の写真、左を向いた女性の頭飾りが左から右に3本残っているというのですが・・・よく分からない。

   


建造物13のすぐそばに球技場もありました。



グラン・パレスを進むと、朽ちた石碑が次々と現れます。大きな石碑です。
   
ジャングルの中には建造物が埋もれているのでしょうね。


たぶん建造物14(左下)と建造物15(右下)
   

建造物15の前には5つの石碑が並びます。この石碑が5つ並ぶ建造物は重要な建造物である証なんだそうです。建造物15からは墓も発見されており、翡翠の仮面も見つかっているそうです。



セントラル・アクロポリス

いよいよセントラル・アクロポリス。カラクムルのハイライトです。
遺跡入口の地図と拡大写真。
   

グラン・アクロポリスではジャングルの中、似たような建物が次々と現れ、正直、良く位置が分からなくなってしまいましたが、セントラル・アクロポリスは特徴ある建物が多く、分かりやすい。
右上の地図の一番上に小さな建造物7がありますが、ここに登って建造物2と建造物1を見て、それから建造物2に移動します。途中、広場を挟んで建造物6と建造物4がありますが、この建物も特徴的。建造物4は4-a、4-b、4-cと3つの部分に分かれており、これはそれぞれの建造物から夏至、春分・秋分、冬至に太陽が昇る様子を建造物6から見ることができるように建てられていて天文観測のためのものと考えられているそうです。


まずは建造物7。石碑が5つ並んでおり、重要な建物だったことが分かります。

ここからは綺麗な翡翠の仮面が見つかっているとのこと。


重要な建物なんでしょうが、遺跡見学ではここからの眺めが重要。
頂上からの眺めがこちら。


建造物7の頂上からは2つの丘のようなものが見えます。
これが建造物1と2。左から建造物1・建造物2と並んでいます。

カラクムル遺跡はチューイングガムの木を探していた植物学者によって偶然発見されたのだそうです。その植物学者が建造物7から2つの丘が並ぶ様を見て、この遺跡を「2つの連なった山」を意味するカラクムルと名付けたのです。発見当時は今よりもっと木に埋もれていたんでしょうね。


建造物2を望遠で撮ってみました。




こちらは建造物1


頂上に人が登っているようです。



眺めを楽しんだ後、建造物2を目指して広場を進みます。
左下は建造物4-b、右下は広場を挟んで建つ建造物6
   


その先に石碑が乱立する小さな建造物。建造物5です。




建造物5の先に建造物2が現われました。
とても大きな建物です。



登ろうとしたら先行グループから正面階段は突き当りと言われました。
右側の階段から登らないと頂上までいけないそうです。
実はこの建造物2、下からは本当の頂上が見えません。
教えてもらったとおりに右側から登るとこんなところに出ました。


ここでようやく本当の頂上が見えます。
頂上を目指しますが、ちょっと迷路のようになっていて道が分かりにくい。


建造物2の全体像は航空写真でないと分かりません。
それくらい巨大な建造物というわけです。
上の写真は正面階段の行き止まりにある建造物部分の右下あたり。
建造物2の半分というか3分の2くらいの場所です。ともかくでかい。


この写真、実は遺跡まで乗った車を飾っていたものです(笑)。

建造物2は高さこそ45mとティカルの第4神殿には及びませんが、基壇の底辺は120mもあります。体積的には先古典期のエル・ミラドールに次ぐ大きさ。マヤ古典期最大級の建物です。
確かに、こんな大きなピラミッドは他にはなかった・・・。垂直性を強調したティカルとは別の理念があったようですね。

この建造物は何回も増築されたもの。一番古い建物は先古典期に建てられたもので、古典期に入ってからも増築が繰り返されましたそうです。マヤ特有の神殿更新ですね。

内部にある古い神殿からは巨大な顔のレリーフが見つかっています(左下)。また、建造物2の頂上からユクノーム・イチャーク・カックの墓が発見されました。既に書きましたが国立宮殿のマヤ展で再現展示されていた王墓です。ユクノーム・イチャーク・カックの墓と分かったのは副葬品の皿に王の名が記されていたから(右下)。
   


建造物2の頂上からの眺めは素晴らしい。
左下は建造物1。右下の写真でジャングル内に小さく写っているのは先ほど登った建造物7。
   



建造物2の頂上からは30キロ先のエル・ミラドールが見えることもあるそうです。
見えているのか、いないのか。それとも全く方向が違うのか。


マヤ先古典期に栄えたエル・ミラドールを代表する建造物エル・ティグレ・グループは、このカラクムルの建造物2と非常に似ているのだそうです。エル・ミラドールとカラクムルは、もしかしたら密接な関係があったのかもしれません。今後のカラクムルの発掘調査が楽しみです。



メキシコの遺跡は公園化が進んでいますが
カラクムルは発掘が進んでいないせいか野趣残る遺跡です。

帰り道、大きな白い蝶の群れが乱舞していました。
次々と現れる蝶の群れ。
どこから来るのか途切れない蝶の群れ。
なんとも印象的でした。



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参考文献

古代マヤ王歴代誌(創元社 中村誠一監修)
古代マヤ・アステカ不可思議大全(草思社 芝崎みゆき著)


基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。