カミナルフユ

グアテマラシティ郊外の住宅街にあるカミナルフユ
緑豊かで芝生の広がる公園という佇まいですが、実は古代都市が眠っています。
2012年5月に添乗員さんの温情で思いがけず訪れることができました。



マヤの歴史は、先古典期(紀元前1600〜紀元後250年)、古典期(後250〜900年)、後古典期(900年〜16世紀前半) の3つに分けられ、現在有名なマヤの遺跡の多くは低地のジャングルの中にある古典期のものです。これに対してカミナルフユのあるグアテマラシティは標高1500mの高原地帯に位置しますが、実は、高原地帯の方が低地ジャングルより早く文明が栄えたと考えられており、カミナルフユの歴史も先古典期の紀元前900年ころに遡るとか。カミナルフユが栄えた時期は、紀元前4世紀から紀元後6世紀という極めて長期間に及びます。

 
写真はマヤの王を描いた最も古い石碑と言われるカミナルフユの石碑11。

先古典期末期(後200年ころ)のもので、グアテマラシティ国立考古学民俗学博物館に展示されています。
(遺跡公園にもレプリカがありました。)

左を向いた人物の足や手は分かるものの、顔は判然としませんが、これは神の仮面を被った王なのだとか。

言われてみれば、なんとなく横を向いた人物の鼻や口、更には仮面から覗く目も見えます。

王がつけている仮面は空の神イツアムナーフで、更に、仮面の上の飾りとして道化師の神とも言われるフーナル神がついているのだそうです。

フーナル神はオルメカ文明に起源を持つ神様で王家の守護神だそうですが、正直、美しいものの複雑怪奇なレリーフです。

国立考古学民俗学博物館にはカミナルフユ室があり、他にも多数のカミナルフユ出土品が展示されていました。
その中で先古典期のものと思われるものを載せてみます。左下では玉座に座った王らしき人物の左右に腕を縛られた人物が跪いています。捕虜でしょうか?
右下は複雑な頭飾りをつけて右を向いた人物の横顔に見えるのですが・・・

   

先古典期の都市の多くは紀元後250年ころに衰退して消えていきましたが、カミナルフユは先古典期の終わり頃に一度は衰退したものの、その後再び隆盛し、6世紀ころまで栄えました。
本来のカミナルフユは現在の公園の10倍はあったのだそうですが、残念なことにグアテマラシティの開発により、そのほとんどが破壊されてしまったとか。

破壊されてしまった理由は、公園の中で公開されている遺跡を見るとよく分かります。


 マヤの遺跡というと、どうしても石組みの神殿等を思い浮かべますが、カミナルフユの遺跡は石ではなく日干し煉瓦でできているんですね。

地震が多いため石にしなかったとも言われているそうですが、これだったら、確かに破壊しやすいです。雨が降れば崩れるでしょうし・・・。

面白いのは日干し煉瓦とはいえ、その建築様式がテオティワカンのタロータブレロ様式を真似ていることです。
タルータブレロとはタルー(斜面)とタブレロ(枠)を交互に重ねたテオティワカン特有の建築様式ですが、この建物でも階段の横にタブレロ(枠)のある段とタブレロ(斜面)になっている段が重なっているのが分かります。

カミナルフユが先古典期末期の衰退から復活した理由として、当時隆盛したテオティワカンとの交易が指摘されています。中にはテオティワカンに支配されていたとする説まであるそうです。

いずれにせよ、テオティワカンの影響があることは明らかです。

復元図はこんな感じ。しっかりとタルータブレロです。



テオティワカンとの関係で、どうしても外せないものが、もう一つあります。
グアテマラ国立考古学民俗学博物館で展示されているマルカドール(遺跡にもレプリカあり)
球技場のゴール・マーカーを模した記念碑
これがテオティワカンの影響を示すものだという説が有力なんだそうです。
ティカル出土のマルカドールとは、だいぶ形が違いますが・・




 テオティワカンの影響があるとはいえ、復元図の神殿の屋根は今のマヤの民家のように茅葺ですし、マヤアーチと思われるものも多数見られました(左下)。
また素晴らしいのが水路・水道設備が整っていることです。山からカミナルフユまで水路を引いていたとのこと。この遺跡でも水路・水道跡が発掘復元されていました(右下)。今のグアテマラシティの水道もカミナルフユの水路跡を利用しているのだそうです。

   


また、マヤでは神殿更新といって、古い神殿の上に新しい神殿を建てていくというという特徴があるのですが、カミナルフユでも、この神殿更新がしっかりと認められるようです。

公開されている遺跡は、上で紹介した神殿とあと一つ、貴族の住居跡のみです。貴族の住居跡は古典期500年ころのものとのこと。やはり日干し煉瓦でできていますが、よく見ると建物の外壁が漆喰で塗られていたのが分かります。また、住居跡の台所からはカカオ豆が見つかっているとか。
左下は遺跡外観。右下は住居跡。

   


カミナルフユ遺跡には日本の援助が入っているとのことで、小さな新しい博物館もできていました。
テオティワカン様式の土器などもあったんですが、 なんとも忘れられない展示物をご紹介。

   


カミナルフユではマヤの儀式も行われていました。
花や五色のろうそく、聖水を注ぎます。
遺跡は聖地として、今でも儀式がなされているんだそうです。
私たちの旅の無事も祈ってもらいました。




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参考文献

図説古代マヤ文明(河出書房新書 ふくろうの本 寺崎秀一郎著)
古代マヤ王歴代誌(創元社 中村誠一監修)
古代マヤ・アステカ不可思議大全(草思社 芝崎みゆき著)

基本的に現地ガイドさんの説明に基づいてまとめています。