トゥルム

カリブ海に臨む断崖に築かれたトゥルム遺跡
ヨーロッパ人が初めて見たマヤの都市
カンクンからも近い遺跡は観光客で賑わっていました。
2004年8月、2014年3月訪問

写真は遺跡入口からの眺め。2004年撮影。

特に記載のない写真は2014年3月のものです。

トゥルムはマヤ後古典期の都市で1200年ごろから拓かれたと考えられています。マヤは古典期(250〜900年)には内陸の河川を利用した交易が盛んでしたが、後古典期(900年〜16世紀)に入ると交易ルートは海上に移りました。トゥルムは交易のための港湾都市として栄えたと考えられます。
1200年ころといえば、チチェン・イッアーが衰退し、マヤパンが隆盛した時期。トゥルムも初めはマヤパンの支配下にあったようですが、マヤパンが1450年ころに崩壊した後は独立性を強めたようです。15世紀にはトゥルムを代表するフレスコ画の神殿等を築きました。

また、トゥルムはヨーロッパ人が最初に出会ったマヤの都市です。スペイン人はトゥルムについて
「本国のセゴビアにも匹敵する壮麗な建築を見た」と書き記しています。


現在、トゥルムの遺跡は大観光地になっていて入口の建物には土産物屋だけでなくシャワー室まであります。そこからシャトルで遺跡に行くのですが、シャトル乗り場に遺跡の地図がありました。

海側が東なので、左が北、右が南となります。


トゥルムは海に面した遺跡。海に面する以外の三方の陸は高い防御壁で囲まれ、海に面した断崖の上にカスティージョ・降臨する神の神殿が建てられて、都市の中核となっていたようです。上の地図でも中心部に建物が密集しているのが分かると思います。



入口

入口は幾つかありますが、ここは上の地図で左側、北にある入口。


海に臨む断崖に築かれたトゥルムの街は陸側は防御壁で囲まれていることは既に書きましたが、幾つかある入口は極めて狭いものになっています。写真に人物が写っているので入口の小ささが分かってもらえるかと思います。防御壁は高さ3〜5m、厚みは6mもあるので、小さなトンネルをくぐって遺跡に入る、と言った感じです。マヤパン崩壊後のマヤ世界は小国家群が割拠する時代で、戦いも多かったらしく、そのためにトゥルムは非常に防御を考えた都市となっています。

入口を出ると広々とした遺跡。

写真は左手の入口から遺跡に入ってすぐのところにある北西の家。




城壁の方を振り返ったら、城壁の角に建物があるのが分かりました。
物見の塔のようです。




遺跡中心部に向います。
カスティージョが見えて来ました。手前の建物はハラチ・ウィニクの家。



更に進むとカスティージョの左隣にある降臨する神の神殿も見えて来ました。
トゥルムの建物は上が大きく下が小さくなっているのが特徴。



ちょっと後ろに下がって撮ってみました。
奥に左から降臨する神の神殿とカスティージョ。手前左がハラチ・ウィニクの家、右が円柱の家。



円柱の家のあたりから見た降臨する神の神殿(左)とカスティージョ(中央)




現地ガイドさんが遺跡中心部の復元図を見せてくれました。


驚くことに、トゥルムは青い都市だったようです。古典期マヤの建造物は赤かったと聞いていたので後古典期も同じと思い込んでました。16世紀のスペイン人の目撃証言や学術調査に基づく復元だとか。実に美しい。スペイン人が「本国のセゴビアにも匹敵する壮麗な建築」としたのも納得。

建造物の位置関係も良く分かります。奥の海際の断崖上にカスティージョなどの神殿群、その手前に左から大きなハラチ・ウィニクの家、L字型の円柱の家、その右の小さく赤い装飾が施されているのがフレスコ画の神殿。一番手前、フレスコ画の神殿に向い合う建物がチュルトゥンの家。



ハラチ・ウィニクの家

上の復元図でも立派だったことが分かりますが、確かに大きな建物です。



建物の反対側も立派。復元図からすると、こちらが正面だったようです。
本によっては「宮殿」と紹介されていて支配階級の住居跡と思われます。




円柱の家

こちらは円柱の家。多くの円柱が残ることから名付けられたのでしょう。
復元図でも分かるようにL字型をしています。

ここもエリートの住居跡だったと思われます。



フレスコ画の神殿

円柱の家の南隣にあるのがフレスコ画の神殿
小さいけれど、非常に興味深い神殿です。



2014年3月には上の写真のように補強がなされていました。
下の写真は2004年8月の様子


この2階建ての神殿は、15世紀前半、マヤパンが崩壊し、トゥルムが独立性を確立したころに建てられたものです。3回にわたって増築が繰り返され、現在の姿になりました。1番最初に建てられた内部の小さな神殿にマヤの神々が描かれたフレスコ画が残っていることで有名なのですが、残念ながら縄が張ってあり、内部に入ることはできません。

覗いてみると、確かに何かが描かれていることはわかるのですが・・・。死者の住む地下世界・人々の暮らす中間世界、創造神と雨の神チャックが住む天上界というマヤの世界観を示す壁画なのだそうですが、実際にはよく分かりません。2004年も2014年も写真を撮ってみましたが、遠くからだと下の写真のようにしか撮れません。いいカメラなら違うのかもしれませんが・・・仕方ないので説明書を撮ってみました。説明書の下の絵みたいなものが写っているような写っていないような。

   


壁画がよく見えなかったのは残念ですが
この神殿、他にも見どころが多い。
再び、現地ガイドさんの復元図登場。



青い建物が多いトゥルムの中で、この神殿は赤が多用されていたようです。建物の白い部分にある赤い点々は手形。なぜかユカタンのマヤ遺跡では手形をよく見かけます。どういう意味なのか・・

レリーフも見逃せません。トゥルム遺跡で多く見られる降臨する神のレリーフが要所に彫られている他、興味深いのが1階の角に彫られた巨大な顔。上の写真の1階上部の赤い部分の角に目(白く象られています)が、その下に黄色く顎の形と口が描かれているのが分かりませんか。

左下は保存状態が余り良くありませんが降臨する神。赤や緑の色がかすかに残っています。
右下が角にある巨大な顔。目とか口は結構分かりやすいかと思います。
   

巨大な顔は、ちょっと分かりにくいかもしれないので、更に説明すると、2本の横線の間に2つの目があります。目玉の部分は分かりやすいのではないでしょうか。この両目の間に鉤鼻。ちょうど建物の角を利用して刻まれています。そして、下の横線の下に、結んだ口と顎のライン。

かなり大きな顔です。あまり保存状態が良いとは言えませんが、かってはかなりの迫力があったに違いありません。この顔が何かについては、現地ガイドさんから、生死を意味するものだとだけ説明を受けたのですが・・・。帰国してから調べたのですが、余り資料を見付けられませんでした。

人にトウモロコシなどの農作業を伝えた大空の神イツァムナーとする説や雨の神チャークという説もあるようです。


建物のレリーフ 降臨する神が繰り返し描かれていたようです。




チュルトゥンの家

フレスコ画の神殿の向かいにあるチュルトゥンの家


チュルトゥンというのは地下貯水槽。プウク地方によく見られるもので、雨水を貯めておく水がめのようなものです。この建物はチュルトゥンがあることから、チュルトゥンの家と呼ばれています。




葬儀の台座



チュルトゥンの家の南隣、一見すると単なる芝生ですが、ここが葬儀の台座。芝生の真ん中に穴が開いてますが、この下に階段があって、お墓だったことが分かっています。中からは黄金やトルコ石、土器が発見されたとのこと。階段があるのは、階段を上がって甦ると信じられていたから。



カスティージョ

さて、いよいよメインのカスティージョ・・・と思ったら
なんと衝撃的な事実。近くに入れません!!


トゥルムは街自体が周囲を海と城壁で囲まれていることは既に述べましたが、カスティージョの周囲は更に壁で囲まれていて、トゥルムの中で特別の存在だったことを伺わせる場所です。いくつもの神殿からなり、トゥルムの聖域だったと考えられています。いわばトゥルム最大の見どころなのに入れないとは余りにも酷い仕打ち。メキシコ政府だか観光庁だかは何を考えているのでしょう。


仕方ないので2004年の写真で説明します。
カスティージョ近景。ククルカンの神殿とも言われています。


2004年の時点で階段が登れなくなっていましたが、階段を登ったところの入口の柱が蛇になっています。羽毛のある蛇・ククルカンと思われ、トルテカの影響と考えられます。

トルテカの影響といえばチチェン・イツァーが10世紀ころに影響を受けたことは有名ですが、トゥルムは更に遅れた13〜15世紀の建物が多く、この神殿も13〜15世紀のものと考えられます。
この建造物はトゥルムで最も高い建造物であり、その存在感からも、街の中心となっていたことは明白です。神殿の周囲にも幾つもの建造物が並びます。

斜め横から見たククルカンの神殿(左)と神殿上部(右)。下からだと柱はちらりとしか見えません。
   



降臨する神の神殿

降臨する神の神殿はカスティージョの北側にある小さな神殿です。
聖域の中に位置し、2014年はここも近寄れなくなっていたので、2004年の写真で説明します。


この神殿は上部が大きく、下部が小さく狭くなるというトゥルム建築の特徴が分かりやすい。

神殿の名前は、神殿入口の上にあるレリーフに由来します。

逆立ちをしたような不思議な姿勢の人物が描かれていて、それが「降臨する神」とか「天下る天使」とか呼ばれているのです。

このレリーフはマヤの他の遺跡でも見ることはできますが、トゥルムのレリーフは特に有名。

トゥルムでは非常に好まれたようで、フレスコ画の神殿等、他の神殿でも見ることができます。

とはいえ、「降臨する神」の姿というのはわかりにくい。

顔をこちらに向け、足を大きく開いて逆立ちをしているような人物が彫られているのですが、分かるでしょうか。かなり奇妙な姿です。

この姿については、雨の神チャークだとも、天からとうもろこしと知恵を運んできてくれた神をあらわしているとも、また、おしりの部分から蜂の姿を描いているともいわれています。

蜂蜜はマヤの重要な産物だったらしいのですが要はこの神の正体はよく分かっていないわけです。


遺跡の降臨する神は保存状態が悪いので・・・
これは国立人類学博物館に展示されているトゥルムの「降臨する神」

顔の保存状態が今一つですが、その姿勢はよく分かるかと思います。


近くで見られなかったのは残念ですが・・・
現地ガイドさんがカスティージョと降臨する神の神殿の復元図を見せてくれました。




2004年の写真で、南側から見た降臨する神の神殿(左)とカスティージョ(右)




聖域の中に入れなかったのは非常に残念ですが、現地ガイドさんが面白いことを教えてくれました。

カスティージョの南側に隣接する建造物に小さな窓があるのですが、なんと冬至の日、その窓に太陽の光が射すのだそうです。とっても綺麗なんだよ、と言って彼が撮影した写真を見せてくれました。

  ちなみに下の写真がその建物。凄い小さな窓です。
 

冬至の日の奇跡? マヤの天文学はあなどれません。

日の出の話が出ましたが、カスティージョは遺跡の東側に位置します。
トゥルムはかっては「サマ」、「夜明けの場所」と呼ばれていました。
海を東に臨むことと関係があったのでしょうね。



カスティージョは灯台の役割もしていたと考えられています。
写真はククルカンの神殿を横から見たところ。
海を背にするエル・カスティージョ
後ろは断崖。青いカリブ海です。


断崖・高台の上に建つ神殿は、海からのいい目印であったことでしょう。

ちなみに海は東側なので、それを背にする神殿を拝むことは、東を向くことになります。マヤの人達も日の出を拝んだりしたのでしょうか。それとも単なる配置の問題?ちょっと気になります。


カスティージョの裏手からは砂浜に降りることができます。
ここで海遊びをするツアー客が多いようです。
海が綺麗。



実はこのあたり、海が近いせいか海イグアナちゃんが、たくさんいます。




風の神殿

美しいカリブ海を見ながらカスティージョの裏手を北に進むと美しい白浜と神殿が見えます。
小高い丘の上に建つのは風の神殿
かっては、この入り江に交易の船が着いたんでしょうか・・・。


ここは海と神殿を写すトゥルムのポイントの一つ
美しいカリブ海と遺跡、これこそトゥルムといった感じ。

しかし、人が全くいません。
2004年は人々が海で遊んでいたのですが・・・


実はここはウミガメの産卵地。そのため立ち入り禁止になっていたんです。
そのような理由での立ち入り禁止なら納得ですね。


ウミガメの産卵地の白浜まで降りて来ました。南の高台にカスティージョが見えます。



北に進んで風の神殿を目指すことにします。


北側から見た風の神殿


風の神殿が建っているのはトゥルム遺跡北側の海に突き出したところ。防御施設の意味もあったと考えられているようです。この神殿は基部が円形になっており、それが風の神殿の特徴ということでした。この神殿も残念ながら近くには入れなくなっています。



セノーテの家

海際を沿って遺跡の一番北を目指すと、セノーテの家があります。この家の裏手に一番海際の遺跡への入口もあります。

セノーテというのはユカタン半島にみられる泉のこと。

ユカタン半島は石灰質の地盤のため川がなく、かわりに地下に水が溜まります。
その地上部分が落下して泉になることもあれば、地下水として利用される場合もあります。

ここも地下に泉があり、その上に建物が建てられているわけです。
建造物の下に穴があるのが分かるかと思います。ここがセノーテということですが、覗いても、今は水は見えませんでした。

しかし、かってはトゥルムの大事な水源だったのでしょう。大事な水を管理するために、上に建造物を建てたのではないでしょうか。

そういえば、地下貯水槽があるチュルトゥンの家も遺跡中央部にはありましたし・・・。

本当に、水が貴重だったんでしょうね。

トゥルムの海を眺めていると色が濃い場所があります。なにかと思って聞いたところ、そこも実は地下水が湧いている場所なのだそうです。何箇所もあることからすると、かなり地下水が多い場所なのでしょうね。だからこそ、トゥルムの街が築かれたのでしょう。2004年の写真です。





遺跡の一番北側に来たところで、遺跡南端の海の神殿を見落としていることに気付きました。
南側にも出口があるので、遺跡をもう一度見ながら、今度は南端を目指します。


海の神殿

ここが遺跡の海側南端です。



今では建物の基壇らしきものと、小さな建造物が残っているだけ。ここが海の神殿でしょうか。
カスティージョは海を背にしていましたが、この神殿は海を向いています。




ここからの眺めも素晴らしかった。
カスティージョとカリブ海が良く見えます(左下)。
海には観光ボートらしき船も出ていました(右下)。

   



最後に2004年に撮影したトゥルム中心部。
中央にエル・カスティージョ、左に降臨する神の神殿、右手前にフレスコ画の神殿。




美しいカリブ海に臨むトゥルムですが、実はマヤ抵抗の拠点ともなった場所です。アステカがスペイン人に滅ぼされた後も、マヤは抵抗を続け、19世紀にも反乱を起こしました。その時、トゥルムは抵抗の拠点となったそうです。マヤの人たちは、かなり反骨精神が強いみたいです。


でも、今のトゥルムは大観光地。遺跡まで左下の写真のようなシャトルが何往復もして客を運び、民族衣装を初めとするお土産屋が軒を連ね・・・。遺跡を訪れる人たちも、遺跡に興味があるというよりは、「遺跡が見えるカリブ海で泳いできたのよ」と言ったリゾートの人たちが多い気がします。遺跡巡りのつもりで訪れると、場違いな気持ちになってしまうのは事実です。

   



遺跡入口ではこんな伝統芸能もやってました。
30mくらいのポールの上に男たちが登っています.



男たちは足に縄をつけた状態で頭から飛び降り、ポールの周りを13旋回します。
古来からの豊穣儀式でボラドーレスといいます。

@ 紐を巻きつけ準備中 
A 4人目が登ります
 
B 一斉に後向きに飛び降ります
 


降りてくる間、1人はずっと笛を吹き続けていました。
 C 回ってます
D  回ってます
 E 無事着地

チップが集まらないと始まりません。



リゾート客であふれているトゥルムですが
カリブ海とマヤ遺跡の組み合わせは本当に素晴らしい。
遺跡に興味がない人でも楽しめるマヤ遺跡といったところでしょうか。



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参考文献

図説古代マヤ文明(河出書房新社ふくろうの本 寺崎秀一郎著)
古代メキシコ 日本語版(ボネーキ出版社)メキシコ国立人類学博物館にて購入
マヤ三千年の文明史 日本語版(ボネーキ出版社)メキシコ国立人類学博物館にて購入 
マヤ・アステカ遺跡へっぺり紀行(草思社 芝崎みゆき著)
古代マヤ王歴代誌(創元社 中村誠一監修)
未来への遺産2(学研)
週刊世界遺産bR9(講談社)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。