シュナントゥニッチ

グアテマラとの国境にほど近いシュナントゥニッチ遺跡
マカル川沿いの丘の上に築かれたマヤ遺跡です。
ベリーズを代表する遺跡としてお札にも描かれています。
2004年8月訪問

写真はシュナントゥニッチのエル・カスティージョ


シュナントゥニッチとはマヤ語で「石の女」という意味。この遺跡からは紀元前2世紀という先古典期の古い石碑も発見されており、当時のティカルとも関係があったようです。
最も栄えたのは600年から850年ころで、13キロほど離れたナランホと深い関係がありました。ナランホはティカルとカラクルムの抗争に翻弄された国で、シュナントゥニッチも、その影響を受けていたに違いありません。

遺跡入口付近に小さなビジターセンターがあり、遺跡の復元模型が置かれていました。


中央右寄りに写っているのが、現在も一番見ごたえのあるエル・カステイヨカスティージョと呼ばれるピラミッド。カ・ウィール王が建てたもの。

エル・カスティージョが面する広場の周囲の建物は東西南北に配置され、それぞれ生(東)、死(西)、未来(南)、知(北)の意味があるとか。エル・カスティージョは西側に位置します。

最も左側はナランホとの交流を示す儀式を行った神殿とエリートの居住区。この居住区と中央の神殿の間の広場は球技場としても利用されたそうです。

まずはエル・カスティージョのある広場を目指します。
半分ほど修復されたピラミッドの向こうにエル・カスティージョが見えています。
ピラミッド上部の屋根飾りが立派で綺麗。



エル・カスティージョ

正面から見たエル・カスティージョ。
高さ40mという立派なピラミッドです。
ただ、マヤで見慣れたピラミッドとは、少し、印象が違います。


マヤのピラミッドというと、頂上に神殿が置かれ、ピラミッド正面に神殿への階段が置かれているのが一般的です。しかし、シュナントゥニッチのエル・カスティージョの階段はピラミッドの中腹までしか通じていません。階段を登ったところに何かありそうです。

近くに寄って見てみると、やはり階段を登ったところに柱もしくは壁のようなものが残っているのが見えました。

残念ながら、私が訪れた時はこの階段を登ることはできなかったので確認はできませんでしたが、どうやら階段の上に、いくつもの部屋を持つ建物が建っており、その後ろにピラミッドがあるという構造になっているようです。

エル・カスティージョを最初に見た時は、先入観から一つの神殿ピラミッドかと思いましたが、どうやら複合的な建造物のようです。

基壇の上にピラミッドがあり、ピラミッドの前方に建物があったのではないでしょうか。

それにしても、どう見ても、ピラミッドの頂上部分に上る階段が正面にはありません。

修復はあらかた終わっていると思われるので、元からピラミッドの正面部分には上部に登るための階段はなかったのでしょう。

このような構造のマヤのピラミッドは、私は初めて見ました。マヤの建物では、あまり例がないのではないでしょうか。

ガイドさんの説明では、エル・カスティージョは天体観測を行った建物だということでしたが、確かに、普通の神殿ピラミッドとは違う気がします。

エル・カスティージョの横に廻ると、観光客用に造られた階段がありました。
この階段を登ると、上の写真で正面の階段を登りきったあたりに出ます。

やはり正面の階段は基壇を登るためのもののようです。

観光している最中は、どうも構造がよく分からなかったのですが、帰国後写真を整理してみたら、遺跡入口のビジターセンターで撮った復元模型から、大基壇の上に建造物が築かれているという構造は明らかでした。

「高さ40mのピラミッド」と言われて、勝手に単独のピラミッドと思い込んだのが失敗でした。もっと良くビジターセンターの模型を観察しておけば良かった・・・。


広場に面した場所には、やはり部屋のある建物があったようです(左)。
ピラミッドの横を通ると、ピラミッドに装飾や部屋らしきものがあるのが分かります(右)。
   


ピラミッド壁面の漆喰装飾


美しい装飾です。神の顔でしょうか。神や怪物、踊る人などの装飾が残っているということでした。
かっては、ピラミッドの壁面を、この装飾がぐるりと囲んでいたようです。さぞ美しかったでしょうね。


ピラミッドの裏に出ました。


ピラミッドの上部に部屋のある建物があるのが分かります。広場から見ると裏ですが、本来はこっちが正面だったのかもしれません。階段も残っていますが、神殿ピラミッドによくある頂上神殿まで真っ直ぐ伸びる階段ではなく、むしろ登りやすい。

頂上の建物には3つの入口があり、全部で6つの部屋がありました。頂上からは広場を見下ろすこともできます。

頂上から見た遺跡全景です。


エル・カスティージョの面する広場をぐるりとピラミッドなどの建造物が取り囲んでいるのが良く分かります。写真左側は木々があって見えにくいですが、右側と同じようにピラミッドなどが並んでいます。エル・カスティージョが天体観測のための建物だったとしたら、これらの建造物の位置も天体観測で意味があったのかもしれません。ほとんどのピラミッドが十分な修復をされていない状態ですが、修復が進めば、かなり立派な広場になりそうです。

中央の大きなピラミッドの後方少し離れた所に見える建築群がエリートたちの住んだ居住区です。


エル・カスティージョから降りて、広場を見て回りました。


エル・カスティージョが面する広場には、実に多くの建造物が並んでいます。

エル・カスティージョの頂上から見て広場右手にあたる場所には、途中まで修復されたピラミッドがありました(上)。

修復されているのは一部ですが、どうやら3つのピラミッドが連なる形で並んでいたようです。

エル・カスティージョ頂上から見て広場左手にあたる場所の建造物群は、余り修復が進んでいませんが、歩いていたら右の写真のようなものが目に入りました。

屋根が失われていますが、かっては建造物の一部で部屋になっていたようです。

真ん中に石が立っていますが、柱というより、石碑だったように見えました。

石碑のようなものの前に四角い窪みがあり、何か儀式をしていたように思われます。

かっては石碑に美しいレリーフが彫られていたのでしょうか。


エル・カスティージョ頂上から見て広場左手のジャングルの中に球技場がありました。



余り大きくはありませんが、なだらかなスロープが美しい。
上の方は、まだ修復ができていないようです。



居住区

居住区に移動しました。ここも広場を囲んで多くの建物が並びます。
居住区の一番奥、エル・カスティージョから最も遠い位置に、このピラミッドがありました。



ピラミッドと書きましたが、これは王族などのエリートが居住していた建物と考えられています。王宮と言った方がいいのかもしれません。
建造物の前面に3つの縦線のようなものが入っていますが、これは部屋を分ける壁だったようで、建物は3つの大きな部屋に分かれていて、各部屋には入口のような開口部もあります。昔は屋根とかもあったのでしょう。元々は、どんな形の建物だったのか・・・。

上の建造物に向かい合うような形の建造物です。
建物の基壇のようです。




現地ガイドさんによると、この居住区ではナランホとの交流を示す儀式が行われていたそうです。
ビジターセンターにはナランホとの関係を記した石碑が2つ展示されていましたが、残念ながら、あんまり保存状態は良くありません。かろうじて、人物像が見える石碑の方を載せてみました。

シュナントゥニッチはグアテマラとの国境に近いベリーズ側にありますが、ナランホは国境に近いグアテマラ側に位置します。

両者の距離は僅か13キロ。
シュナントゥニッチはナランホの南東に位置します。

マヤでは6世紀半ばからティカルとカラクムルの抗争が始まり、ナランホは始めカラクムルの従属国でしたが、陣営から抜けようとしたのかカラクムルと、その従属国でベリーズ南部に位置するカラコルから攻撃を受け、王は処刑されます(食べられてしまったという話もあります)。

その後、7世紀後半にカラクムル陣営についたティカルの王族の娘である「6の空女王」が国を再建し、周囲の小国を従えるようになりました。

シュナントゥニッチはナランホの従属国だったのではないかと考えられています。
9世紀に入るとナランホは再び衰退しますが、ちょうどそのころからシュナントゥニッチが多くの石碑を建てるようになります。

ナランホの衰退によって独立性を強めたと考えられますが、その繁栄も、余り長くは続かなかったようです。地震の被害を受けた痕跡もあるそうです。



シュナントゥニッチ遺跡に行くにはマカル川を渡らないといけません。
川には橋がなく、写真のような「フェリー」で渡ります。
小型車も運べる優れもの。
   


シュナントゥニッチ遺跡は見どころの多い遺跡です。
ちょっと変わった建造物も多いし、芝生の緑も気持ちがいい。
車ですぐの場所にカハル・ペチ遺跡もあります。


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参考文献

古代マヤ王歴代誌(創元社)
古代マヤ・アステカ不可思議大全(草思社)
マヤ終焉(新評論)

基本的に現地ガイドさんの説明を元にまとめています。