カシュガル
新疆ウイグル西部の中心都市カシュガル
シルクロード要衝の地
かっては疏勒と呼ばれました。
2015年5月訪問

写真は街の中心エイティガール・モスク


カシュガルは新疆ウイグル西部の中心都市。キルギス国境にも近く、中原から見ると、タクラマカン砂漠の向こう側に位置するオアシス都市です。私たちのツアーでは新疆ウイグル自治区の首府ウルムチから飛行機で一気に天山山脈を越え、カシュガルに入りました。約1時間半のフライト、眼下には延々と天山山脈が見えます。天山山脈はタクラマカン砂漠の北からキルギス・カザフスタンにかけて走る全長約4500q、南北約400qの大山脈。フライトの途中で雲が出ましたが、着陸間近に晴れたと思ったら、やっぱり眼下は天山山脈。文字通り延々と続きます。この天山の雪解け水が天山山麓にオアシスを作り、そこに古来から人々が暮らしてきました。

   

タクラマカン砂漠は北の天山山脈と南の崑崙山脈に挟まれたタリム盆地の大部分を占めます。タクラマカン砂漠と2つの大山脈を避けるため、シルクロードは@天山山脈の北側を通る天山北路、A天山山脈の南側をタクラマカン砂漠に沿って通る天山南路、Bタクラマカン砂漠の南側を崑崙山脈に沿って通る西域南道の3つのルートに分かれます。天山山脈の南、タクラマカン砂漠の西に位置するオアシス都市カシュガルは天山南路からサマルカンド方面・中央アジアに抜ける要衝であるとともに西域南道にも通じる位置にもあることから2000年以上前から栄えていました。


飛行機が天山山脈から平地に出ると、間もなくカシュガル。
空港から市内までは余り時間がかかりません。
まずはカシュガルの街を散策しました。
中国であることを忘れさせる雰囲気。



この建物、2階はチャイハネ(喫茶店)だそうです。
絨毯といい、スカーフ姿の女性といい、中央アジアの街並みのようです。


カシュガルは、かって「疏勒(そろく)」と呼ばれていました。紀元前・前漢の時代から「疎勒」という国は続いていたようです。元々はコーカソイドの人々が暮らしており、7世紀に経典を求めてインドまで旅した玄奘三蔵も「疎勒」の人々は「碧眼」と記しています。そして、当時の疎勒では小乗仏教が盛んだったのだとか。青い目の仏教徒が暮らしていたなんて、今の感覚からするとちょっと不思議ですよね。
その後、次第にトルコ系の住民が流入し、さらに10世紀ころからイスラム教が伝わります。現在のカシュガルの住民の多くはトルコ系のウイグル族でイスラム教徒。色々な民族が行き交った歴史からか、日本人から見ると、なんともエキゾチックな顔立ちの人々です。


通りではスイカを売ってます。おじさんたちの帽子はウズベキスタンのものに似ています。
でも街の標識・看板は漢字。やっぱり、ここは中国。
   


職人街

大通りから折れると職人街
NHKのシルクロード取材班が名付け親だそうです。
現地ガイドさんによるとカシュガルはシルクロードの時代から商売上手。
多くの職人が店を連ねています。

金属製品。手で模様を打ち込みます。
 
 小っちゃい子供もお手伝い。


職人街はモニュメントが置かれたりして結構観光地化が進んでいます。
綺麗な壁の建物が目につくので尋ねたら、ウイグルの伝統工法の建物とのこと。

職人さんの像
 
 ウイグル伝統工法の壁


シルクロードの楽器を売るお店も。
どこか懐かしい音色。右下の楽器は蛇の皮を使っています。

 
 


旧市街

道を折れると旧市街に出ました。
最近、急速に整備されているそうですが、路地に入ると昔ながらの街並み。

   


再び大通りに出て、やっぱり中央アジアだよなあ、と思いつつ散策。
   


ふたこぶらくだが客待ちをしている広場に出ました。


ここはエイティガール広場。街の中心エイティガール・モスク前の広場です。



エイティガール・モスク

広場に面したエイティガール・モスク


クリーム色の外観が柔らかい雰囲気を醸し出しているエイティガール・モスク。
新疆ウイグル自治区最大のイスラム寺院です。


カシュガルの街の中心にあるこのモスクは15世紀に建立され、清の時代・1860年代に現在の規模となりました。

入口からモスクに入ると、そこは突き当りで、右の写真のようになっています。

これはアラーの道。正面は突き当りながら、左右に道が作られています。一般の人は右から入って左から出るのが作法だそうです。

よく見ると「平安清真寺」と書いてあります。
これはエイティガール・モスクの中国名。モスクにも中国名を付けるんですね・・・。

現在のエイティガル・モスクの規模は、南北140m、東西120m。面積は1万6000u。

入口正面の高さは12m。左右のミナレット(尖塔)の高さは18m。

新疆ウイグル最大のモスクというだけあって、ラマダン・犠牲祭の時には10万人もの参拝者で賑わい、その時にはモスク前のエイティガール広場も使われるのだそうです。


新疆ウイグル最大のモスクだけあって、色々と特徴はあるのでしょうけれど
何より印象的なのがモスク内の緑。
モスク内部に多くのポプラの木が植えられています。
このポプラの木の下もモスクとして使われ、信者が祈りを捧げるのだとか。
地元のおじいちゃんが木陰で一休みしていました。
   


こんなに緑豊かなモスクは私は初めてです。
砂漠が近いからこそ緑を尊ぶのでしょうか。
気持ちの良い木陰の道を進むと再び門が現れます。
この奥が本来のモスクの建物です。



このモスク、建物の前がテラスのようになっていて、木の柱が屋根を支えるような造りとなっています。

素人考えですが、ちょっとウズベキスタンの「アイヴァン」と似ているような気がします。

暑い地方の建築様式として、建物の中と外をつなぐ空間を重要視したのでしょうか。

日差しを遮り、風が通り…涼しそうです。

天井を支える緑の柱は木材です。

そして、天井には美しい装飾。
これも、ウズベキスタンの建築に似ているような気がしました。

私たちのツアーの現地ガイドさんはウイグル族だったのですが、彼女によるとウイグル族とウズベク族は、移動の過程で民族が分かれたものの祖先は共通のトルコ系なので、今でも言葉は50%くらい共通だし、なんとなく会話も通じるんだそうです。
彼女は中央アジアでは通訳がいらないと言っていました。やっぱり新疆ウイグルは中央アジア・・・。きっと、感性も近いんでしょうね。

モスクのテラス部分
 
美しい天井の装飾
 

モスク内部にはイランのホメイニ師から送られた絨毯も飾られていました。
ここはスンニ派、ホメイニ師はシーア派、外交・政治的な意味があったのか・・・。



バザール

街のバザールも訪れました。日曜日に開かれるバザールです。


ドライフルーツはお土産にも良いかも。
バザールで気づくのは女性たちがお洒落なこと。
色鮮やかな布に圧倒されます。日本人は絶対着こなせない鮮やかさ。
この鮮やかさに負けないウイグル女性は凄い。

   



アパク・ホージャ墓(香妃墓)

カシュガル市の郊外、東北5qほどのところにアパク・ホージャ墓はあります。


アパク・ホージャ墓は17世紀にカシュガルを支配したアパク・ホージャ一族の墓です。アパク・ホージャの父ユスフ・ホージャがアラブからこの地にイスラム教の布教に訪れ、この村の地主が布教のための土地を寄進しました。ユスフ・ホージャの死後、息子であるアパク・ホージャが父を葬ったのが最初で、その後、アパク・ホージャの一族5代・72人が葬られました。
ホージャ一族は18世紀に起こった反乱を治めたことから清の皇帝に重んじられるようになり、アパク・ホージャの孫娘は乾隆帝に召され、香妃と呼ばれる愛妃となります。香妃というのは香水もつけないのに、彼女の体から砂ナツメの花の香りが漂っていたということに由来するのだとか。どんな香りなんでしょう。香妃は北京で亡くなりますが、カシュガルの人々は彼女の遺体が北京からここに運ばれ葬られたと信じていて、そのため、ここは香妃墓とも呼ばれます。

入口の門楼


入口を入ってすぐにも綺麗な建物がありました。
どうやら幾つもの建物がある陵園となっているようですが
まずはアパク・ホージャ墓を見学。

正面から見たアパク・ホージャ墓


建物は長方形で長さ35m、幅29m。高さは26m。真ん中のドームと4隅の尖塔(ミナレット)が特徴的。白い壁にドームや尖塔の緑が印象的です。お墓ですが、なんとも明るい雰囲気。現地ガイドさんは内部に柱が一本もない独特な造りの建物と説明していました。

建物を飾るタイルはカシュガルでは作ることができなかったので、パキスタンやアフガニスタンから輸入したものだそうです。カシュガルから南に進みクンジュラブ峠を越えればパキスタン。パキスタンやアフガニスタンとの交易も盛んだったのでしょう。

 尖塔の美しいタイル
 正面入口付近の石膏細工

建物内部は残念ながら撮影禁止。幾つもの棺が並んでいます。ただ、その棺に遺体が葬られているのではなく、棺はその下に葬られているという目印のようなもの。男の棺は大きく、女の棺は小さいのだそうで、一番右側にピンクのリボンで飾られたのは香妃の棺。でも、実際には香妃はここには眠っていないんだそうで、香妃の形見が北京から運ばれただけのようです。形見を運んだという輿が置かれていました。

このアパク・ホージャ墓は現地ガイドさんによると「貧乏人のメッカ」と呼ばれているんだそうです。お金がない人はここに来て拝めばメッカに行ったと同じことになるんですって。そういったことからか、アパク・ホージャ墓の隣は地元の人々の集団墓地になっていました。

地元の人たちには、かなり人気のある場所らしく、アパク・ホージャ墓の近くでは乾隆帝や香妃の格好をして記念撮影ができる商売もやってたし、何よりすぐ近くで何やら大規模工事中。きっと観光用の何かを作ってるんでしょう。趣味の悪い香妃の像だけは作らないでほしいですが・・・・。

隣の集団墓地
 
工事中。 何ができるのか。


アパク・ホージャ墓のすぐ隣に、やはり緑のドームの建物がありました。
ここはアパク・ホージャの父ユスフ・ホージャが布教活動を行った場所だそうです。
陵園内で一番古い建物だそうで「危ない」と言っていました。中には入れません。



入口方面に戻ると、池があり、その向こうにはモスクがあります。

この池、今は水が澱んでいますが、かっては陵園内を水が流れていて、この池に川の水を貯めていたんだそうです。そのころの水はとてもきれいで、信者が体を清めるために使っていたのだとか。

現地ガイドさんによると、流れている水を生きている水と言い、流れていない水を死んだ水というのだそうです。今は水が死んじゃっているわけで、なんとも残念。

池の向こうのモスクは、結構、細長い建物でした。

このモスクも壁のない建物で、天井を多くの柱が支える・・・という構造。

涼しさを追求した建物のようです。

屋根が平らですね、と言ったら、雨が降らないから平らでいいんですって。

雨樋が屋根から飛び出てて面白かった。


細長いモスク
   


モスク内部



入口にあった建物。
やはり壁がなく、天井を多くの柱が支えています。



この建物について尋ねたところ、地元の人たちがお葬式をする場所とのことでした。
日本でいう葬祭場?なんとかセレモニー的な場所のようです。
集団墓地といい、地元の人の暮らしに本当に密着した場所なんですね。

美しい柱
 
 棺を運ぶ輿



動物市

郊外で開かれる動物市
地元の農民たちで賑わっています。


羊、牛、ラクダ・・・

羊さんお買い上げ
 
 子ラクダの姿も



中国は全土が北京時間
カシュガルでは午後10時でようやく日が暮れます。
北京からの遠さを実感。


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参考文献

玄奘三蔵 岩波新書 前嶋信次著
玄奘三蔵、シルクロードを行く 岩波新書 前田耕作著
シルクロード・新疆仏教美術 新疆大学出版社
新疆国寶録 新疆人民出版社漢文発行所

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。