クチャ かって亀茲国と呼ばれていたクチャ 天山南路の要衝は大訳経僧・鳩摩羅什の故郷であり 玄奘がインドに向う途中に立ち寄った場所でもあります。 2015年5月訪問 写真はキジル千仏洞前に立つ鳩摩羅什像
キジル千仏洞 鳩摩羅什の像のあったキジル千仏洞を紹介します。
鳩摩羅什の像の前を通ると、いよいよキジル千仏洞への階段です。
38窟 「音楽洞」と呼ばれる38窟。4世紀に作られた石窟です。 実際のツアーでも、ここから見学が始まりました。 写真はウルムチの新疆ウイグル自治区博物館のレプリカ 本当の石窟の方が光が入って明るいのですが、雰囲気は伝わるかと思います。 写真は入口から天井を見たところ。
フラッシュ禁止だし、安いカメラなので、散々な写真ですが、風神?とガルーダを紹介。
天相図の周囲の壁画、多くの菱形で画面が分割されています。 これはキジル千仏洞の特徴の一つで、菱形の一つ一つに様々な物語が描かれています。
下の方にはかって説法図が描かれていました。 しかし、仏の袈裟や後光が金箔で飾られていたため削られてしまっています。 説法図の上に描かれているのが、38窟を特徴付ける壁画です。 博物館の暗い所でフラッシュ禁止で撮ったので、よく分からないかも・・・。 レプリカばっかりではあんまりなので、ここでオリジナルを絵葉書で紹介。 本物は、こんな感じで見えます。 2人の天人がセットで幾つも描かれています。 それぞれの天人が楽器を持っているのが「音楽洞」と呼ばれる由縁。 左上、琵琶を持った天神と横笛を持つ天神が描かれているのが分かるでしょうか。 他にも笙やシンバル・ハープが描かれていて、見ているだけで楽しい。 顔が黒くなっているのは、元々は赤だったのが変色したもの。 かっての壁画はより色鮮やかだったようです。 こちらは入口の上に描かれた弥勒説法図。 入口の上に弥勒説法図が描かれるのもキジル千仏洞のお約束のひとつ。 弥勒菩薩が足を交差させているのが分かるでしょうか。 敦煌275窟の交脚弥勒菩薩像のようです。 敦煌ではギリシャ・ペルシャの影響と聞きました。 38窟はキジル千仏洞を代表する石窟の一つです。 入場料以外に200元取られます(2015年時点)が、見学しないともったいないです。
8窟
17窟
入口上の弥勒説法図 17窟の天相図の日天も車輪に乗っているし、奥の涅槃仏はうっすらと顔が見えました。 69窟
保存を考えると特別窟が別料金取られるのも仕方ないのかもしれません。 こちらもレストランの壁を飾っていた写真。何窟のものなのでしょうか。 絵葉書で見学できなかった窟もご紹介。 機会があったら、本物を見てみたいものです。
更におまけで、行きたかったけど行けなかったクムトラ石窟新2号窟 キジル千仏洞から山を一つ越えたところにある石窟で、開いていませんでした。 絵葉書とレストランのポスター
それでも、見てみたかった・・・。 塩水渓谷 クチャの街からキジル千仏洞に向う途中に塩水渓谷はあります。
中国人が「ポタラ宮」と名付けた岩肌。似ているかと言われると・・・う~~ん。 何とも言えない景観です。 スパシ故城 クチャの街から東北約23キロのところに位置するスパシ故城
遺跡に入るとすぐに大きな建物が見えて来ます。 案内標識によると「西寺大殿」。実に巨大です。
西寺大殿から、対岸の東寺区が良く見えます、 東寺区の仏塔を撮ってみました。 西区の広さは南北700m、東西180m。 多くの寺、仏塔、禅室、僧坊がありました。 東区の方がやや小さく、南北535m、東西146mだそうです。 玄奘によれば「亀茲には伽藍が百余カ所」あり、「僧徒は五千人余」 多くの建物があったことは分かりますが、往時の姿を想像するのは難しい・・・。 西寺中部仏塔 西寺中部仏塔からは少女のミイラが発見されています。 少女の頭は扁平に変形されていました。 玄奘が記した当時の亀茲の風俗そのものです。 この仏塔、昔は登れたようですが、今は登れません。
安物のカメラなので望遠に限界がありますが、東寺区を撮ってみました。 風が強くて砂で煙っているのが残念。レンズも砂でやられてるみたいですが・・・・。 かって、西寺区と東寺区は多くの船が行き交っていたといいます。 東寺区の仏塔付近を狙ってみました。 多くの仏教遺跡が残るクチャ 機会があったら、ゆっくり石窟巡りをしたいものです。 クムトラを見たい・・・。 シルクロードの遺跡に戻る 中国の遺跡に戻る 参考文献 玄奘三蔵 岩波新書 前嶋信次著 玄奘三蔵、シルクロードを行く 岩波新書 前田耕作著 シルクロード・新疆仏教美術 新疆大学出版社 新疆国寶録 新疆人民出版社漢文発行所 基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。 |
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