新疆ウイグル自治区博物館
新疆ウイグル自治区の首府ウルムチ
自治区の歴史を学ぶのに最適な博物館があります。
自治区各地からの出土品やミイラが見どころ。
2015年5月訪問

写真は正面から見た博物館。大きくてモダン。


博物館を入るとすぐに巨大な新疆ウイグル自治区の地図が置かれています。

新疆ウイグル自治区は中国の西北部に位置する広大な自治区です。中国の自治区・省としても最大の広さ。北はモンゴル・ロシア、西はカザフスタン・キルギス、更に地図には書ききれませんでいたが・タジキスタン・アフガニスタンといった中央アジアの国々と接し、南にはチベット・パキスタンといった位置関係。ちょっとアバウトですが都市や遺跡名も地図に入れてみました。
新疆の「疆」の字は新疆ウイグル自治区の地理を表していると言われます。下の地図でも分かるように、新疆ウイグル自治区は北からアルタイ山脈、天山山脈、崑崙山脈という3つの大きな山脈が東西に走り、その山脈の間にジュンガル盆地、タリム盆地があります。「疆」の字の右側は3本の「一」と2つの「田」からなりますが、この3つの「一」が山脈で、2つの「田」が盆地なのだとか。



天山山脈と崑崙山脈に挟まれたタリム盆地は、その大半がタクラマカン砂漠。しかし、山々の雪解け水が山麓にオアシスを生みます。シルクロードは砂漠を避け山麓のオアシスをつなぐ形で発展しました。シルクロード以前から崑崙山脈の北側、崑崙の玉で知られるホータンと西安をつなぐ玉石之路があり、やがてそれがシルクロードの「西域南道」となります。このルート上に楼蘭など多くの都市が栄えましたが、次第にタクラマカン砂漠に埋もれ、その後はタクラマカン砂漠の北側・天山山脈の南麓のオアシス都市をつなぐ「天山南路」と天山山脈の北麓を通る「天山北路」が発達します。天山山脈の東麓に位置するトルファンから北に進むと天山北路、西に進みクチャを通りカシュガルに抜けるのが天山南路。天山南路を更に西に進めばサマルカンドに通じます。一方カシュガルから南に進み、クンジャラブ峠を越えればパキスタン、更に南下すればインド。カシュガルとホータンの間の葉城から南に進めばチベット。まさに文明の交差路です。


新疆ウイグル北部の出土品

アルタイ山脈沿いの出土品
墓の前に置かれたものだそうです。
石人
 
 鹿石

モンゴル圏と関係がありそうですね。


展示品の多くはタリム盆地周辺の出土品でした。
例えば、展示室入ってすぐのところに置かれていた武士像とブーツ。
「西域」の特徴を示す展示品

青銅の武士像(戦国 前403〜前221)
彫りが深い容貌。帽子が印象的
 
皮のブーツ
ブーツは馬に乗るために生まれたもの。
 

私たちが日ごろ着ている「洋服」。洋服という名前からは西洋の服、というイメージですが、実は西洋でも古代はローマのようにゆったりとした服装で、ズボンとかはありません。ズボンは実は遊牧民族が馬に乗るために産み出した服。ブーツも同様です。ローマではサンダルですものね。
西域の人たちの服装は、今の我々の服装に実に近い・・・というかルーツです。

錦織の長衣(ニヤ出土 後漢)
 
 ズボン(写真展示)


「五星出東方利中国」(後漢)


見事な錦。
「五つの星が東方に出て中国を利する」という占星術の言葉が織られています。


 漢代の毛織壁掛け
下は武人ですが、上はなんと半人半馬
ギリシャ神話のケンタウロスです。
こちらも見事な錦
正倉院に似たようなものがありそう・・・。
(南北朝 420〜589)


この博物館では新疆ウイグル自治区の遺跡も紹介しています。写真展示が多いのですが、キジル千仏洞については、写真展示だけでなく、38窟(音楽洞)を原寸大で復元していました。
キジル千仏洞は写真撮影禁止なので、この復元展示はありがたい。フラッシュ禁止なのと窟の中に入れず、入口から撮影できるだけなのは残念ですが・・・。

キジル千仏洞17窟(写真展示)
 
 キジル千仏洞38窟のレプリカ


今の新疆ウイグル自治区に暮らすのは、ほとんどがイスラム教徒ですが、かっては仏教が広く信仰され、多くの寺が築かれていました。新疆ウイグル自治区の仏教遺跡について、博物館では丁寧に説明しています。写真展示が多いですが、訪れるのが困難な遺跡の紹介はありがたい。

クチャのスパシ故城
 
トルファン(高昌)の仏教遺跡
 
 カシュガルの仏教遺跡


トルファン、ベゼクリク千仏洞20窟の仏本変経図(写真展示)。
外国の探検隊に奪われた壁画です。


キジル千仏洞は青が、ベゼクリク千仏洞は赤が印象的。


他にもどこの壁画かメモし損なったのですが美しい壁画。オリジナルの展示です。
左は手が多い…千手菩薩??右は何かの説話でしょうか。
   



この博物館の圧巻はトルファン郊外のアスターナ古墳からの出土品でしょう。
アスターナ古墳は3世紀から8世紀にかけての墓地群。
壁画や副葬品から当時の人々の生活を知ることができます。

稚拙な壁画ですが、ラクダや馬など当時の生活が偲ばれます(写真展示)。



こちらは人々の風俗が分かります(写真展示)。



そして、凄い数の副葬品




墓を守る守護神のようです。
かなり大きい。獅子??
 
 日本の四天王みたい。


副葬品には西域の香りがぷんぷんするものも多いです。
 どう見ても西域の風俗
帽子もズボンも顔立ちも異国風
 これは舞踏像でしょうか。
仮面がなんとも西域風。


そうかと思えば、もろ唐風のものも・・・。
こんなおじさん、実際にいそう。
 
 唐風の美女なんでしょうね。


でも唐風の人物もズボン穿いて馬に乗っていたりします。


なんか、楽しそうw



ミイラ室

博物館の2階には古代のミイラが展示されています。
この博物館は楼蘭の美女で有名なのですが・・・・

楼蘭の美女(3800年前)
 
 男性のミイラ(2800年前)

楼蘭の美女の名前で知られる女性のミイラは1980年に楼蘭鉄板河遺跡で発見されたミイラで、発見当初には日本の新聞の一面を飾った記憶があります。一目で美しい白人女性と分かるミイラで、肌は白く、髪は黄褐色、そして彫りが深い・・・文字通りの「美女」でした。その時の印象が強烈だったのですが、現在の美女は真っ黒に変色してしまっています。なんとも残念なのですが、このミイラは3800年前に楼蘭付近で暮らしていた人々がヨーロッパ系人種だったことを教えてくれます。彼女の子孫は今でもこの地に暮らしているんでしょうか。
2800年前の男性のミイラもやはりヨーロッパ系。楼蘭の美女とは1000年もの時間がありますがその間、この地にはヨーロッパ系の人々が暮らしていたわけですね。こちらはかなり保存状態が良く、遠目に見ると眠っているようです。彼の子孫もいるのかなあ・・・・。


かってのオアシスの町の復元模型


博物館はやっぱり楽しい。
見どころが多いので、じっくり見るには時間が必要。


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参考文献

玄奘三蔵 岩波新書 前嶋信次著
玄奘三蔵、シルクロードを行く 岩波新書 前田耕作著
シルクロード・新疆仏教美術 新疆大学出版社
新疆国寶録 新疆人民出版社漢文発行所

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。