タクラマカン砂漠と西域南道

新疆ウイグル自治区に広がるタクラマカン砂漠
その南を走る西域南道
3日かけて西域南道と砂漠を旅しました。
2015年5月訪問

写真はタクラマカン砂漠


タクラマカン砂漠は新疆ウイグル自治区のタリム盆地の大部分を占める砂漠です。タリム盆地は北は天山山脈、南は崑崙山脈という大山脈に囲まれているため年間降水量はごく僅かで、非常に乾燥した場所です。2つの山脈の雪解け水はタリム盆地に流れる河を作りますが、その河は雪解けの時期だけに現れる季節河で、しかも海に注ぎ込むことなく、途中で消えてしまう内陸河川。このため広大なタクラマカン砂漠が生まれました。
タクラマカン砂漠は東西約1000㎞、南北約400㎞、面積は約33万平方キロメートル。日本の面積が約37、8万平方キロメートルということですから、日本のほとんどが入ってしまう大砂漠です。

タクラマカンという名前は、一般にウイグル語で「死の世界」とか「入ったら二度と出られない場所」という意味とされます。

でも、ウイグル族の現地ガイドさんによると、「テフト(元々)」「マカン(故郷)」という意味もあるのだとか。「元々は故郷」・・・・なんでも「16の国」が砂漠に埋まっているのだそうです。
日本でも「さまよえる湖」ロブノールと、その西岸にあったという楼蘭は有名ですよね。砂漠に消えてしまった湖と街・・・。

かってはタクラマカン砂漠の南側、崑崙山脈に沿って東から楼蘭(ろうらん)、于闐(うてん、現ホータン)、疏勒(そろく、現カシュガル)の国々があり、これらをつなぐ西域南道が栄えていました。この西域南道は中国と西方をつなぐ最短ルートであったため、最も古いシルクロードと言われています。

しかし、楼蘭をはじめとする西域南道の多くの街が砂に埋もれたため、次第に西域南道に代わり、砂漠の北を進む天山南路や天山山脈の北を通る天山北路が栄えるようになります。

右の写真は新疆ウイグル自治区博物館にあった楼蘭とミーラン故城の写真(フラッシュ禁止なので暗いですが・・・)。
楼蘭の都については、色々と説があるみたいで写真のミーラン故城は楼蘭の都とされる遺跡の一つです。ホータンより東の砂漠からは、このミーラン故城や楼蘭故城などの多くの遺跡が発見されています。


上の写真の天人像部分を拡大してみました。
ミーラン故城の仏教寺院から発見されたものです(3~4世紀)。


インドの美声鳥との説もあるようですが、どう見ても西洋の天使ですよね。
ガンダーラ芸術との共通点が指摘されているそうです。

是非、行ってみたいものですが・・・・
これらの遺跡は砂漠の奥にあり交通手段が限られるだけでなく、
楼蘭故城近辺は中国が核実験を繰り返した場所でもあることから、
訪れるのは非常に困難かつ危険ということです。

憧れの楼蘭ですが、残念ながら行くのは断念。
新疆ウイグルを訪れるのは後回しになってました。


現在の民族問題も行くのを躊躇していた理由のひとつ。

楼蘭の遺跡からは3800年前の白人女性のミイラが発見されており、かってはヨーロッパ系の人々が暮らしていたと考えられます。しかし、その後、多くの民族が行き交い、現在の新疆ウイグルはトルコ系のウイグル族が多く暮らしています。
かっては仏教が栄えた西域ですが、10世紀ころからイスラム教が広がり、現在の住民であるウイグル族の人々はイスラム教徒。
ウイグル族の人々は、漢民族とは異なる価値観・文化を有していますから、当然、独立運動も生じますし、それを抑えようとする力も働きます。実はカシュガル近郊のヤルカンドで2014年に大規模な抵抗運動(中国からすればテロ)が起こりました。

そんなこんなで、正直、治安には不安があります。実際、行ってみたら、日本人観光客は私たちのツアー以外は全く見かけなかった・・・。
右のポスターは男性の髭や、女性のスカーフを規制するもの。理由はよく分からないけど、髭やイスラム風の衣装が規制されてます。スカーフは、どうやら首が隠れるものがいけないらしい。こういうのって、どうなんですかね。


なんだかんだで、ようやく訪れた新疆ウイグル。
今回訪れた場所のうち、西域南道のカシュガルからホータンまでと
ホータンからクチャまでのタクラマカン砂漠縦断をまとめてみました。




カシュガル~ヤルカンド

カシュガルの街を出て、南のヤルカンドを目指します。


カシュガルは新疆ウイグル西部の中心的な街ですが、実に大きなオアシス都市です。
街の中心部には大きな池?湖?がありました。砂漠が近いことを忘れそう。

でも、しばらく車を走らせると、車窓の景色は石と礫のゴビに一変します。



ヤルカンド河が見えました。
この河がやがてホータン河に合流し、更にタリム河となるのだそうです。


目指すヤルカンドの街はカシュガルから南に約220㎞のところにあります。ヤルカンドに向かう途中、ヤルカンド郊外のヤンタック村でドランムカムを見学しました。ムカムというのは新疆ウイグルに伝わる伝統音楽。その中でもヤンタック村に伝わるムカムはドランムカムと言い、2005年にユネスコの無形文化遺産に登録されています。公演会場は村の民家。

中央のおじさんは日本で公演したこともあるそうです。
ドランムカムは怒鳴るように始まります。この迫力が特色なのでしょう。



音楽の途中で女性陣が踊り始めます。とたんに和やかな雰囲気。
女性たちの鮮やかな民族衣装がまぶしい。
   

一緒に踊れ、と言われるのはちょっときつい。
彼らにとっては歌も踊りも楽しみなんでしょうね。


ヤンタック村からヤルカンドに向かう途中、ハンディ村のバザールに立ち寄りました。


外国人が観光で立ち寄ることなんてないみたいで、気が付くと我々が見学されてました。

 ご存じシシカバブ
 魚も売ってます。

実はこの村の近くで2014年7月に大規模な暴動があったそうです。
賑わうバザールからはちょっと信じられませんが、
地元の人々の不満とかって、観光客が簡単にわかるものではないんでしょうね。


バザールの駐車場。バイクや三輪車が増えてるみたいですが、ロバ車もまだまだ現役。
   

寄り道が多かったからか、カシュガルを朝の9時過ぎに出てヤルカンドに着いたのは午後の8時前。
でも北京時間なので外は明るい。体感は5時くらい。
観光客が来ない街なので地元の人向けのホテルに泊まりました。
シャワーのお湯は一応出たというべきか・・・



ヤルカンド~ホータン

ヤルカンドの日の出


ヤルカンドの街の観光はしませんでしたが、実はここも古い歴史のある街です。7世紀に玄奘が訪れたころは「堅固な城壁をめぐらし、市民は富栄え、多くの大乗の経典を有していた」といいます。
その後、イスラムが入った後の13世紀、ヤルカンド王の3番目の妃となったアマンサーハンは幼い時から音楽に優れ、この地に伝わる12のムカムを編纂しました。彼女によって多くのムカムが保存されたのだそうです。

ヤルカンドからホータンまでは380㎞。9時過ぎにヤルカンドの街を出て、ひたすら東に走ります。途中、チベットに通じる道の起点である葉城を過ぎたあたりから、景色はゴビに変わりました。しかし、目をこらすと遠くに雪を抱いた山の姿・・・・崑崙山脈です。写真だとほとんど写りませんが、崑崙山脈が素敵で無駄に何枚も写真を撮ってしまった。

ほとんど写ってない・・・。
 
ちょっと補正しました。雪山が見えるでしょうか。
 


ホータン

ホータンは崑崙山脈から流れる二つの川に挟まれた街です。
その一つ、黒玉河を渡ります。いよいよホータン。


ホータンはかって于闐(うてん)と呼ばれました。古来から崑崙の玉で有名です。

崑崙山脈から流れる二つの川は一つを白玉が採れることから白玉河といい、もう一つは黒玉が採れることから黒玉河と言います。シルクロードができる前からホータンを起点に西安までの「玉石之路」ができていました。中国人って昔から「玉」が大好きみたいです。

伝説では中国の王子がホータンの東に国を建て、インドの王子が西に国を建て、両国が争そうこととなりました。その結果、東の国が勝ち、両国の中央に城郭を築いたのがホータンの始まりとされます。古代からインド・中国両国の影響が強かったのでしょう。

また、ホータンは絹の産地としても有名。養蚕は古代中国では門外不出の技術とされていましたが、中国の姫がホータン王に嫁ぐとき、王から頼まれて帽子の中に蚕と桑の種を隠してホータンに持ち込み、ホータンに養蚕が広まったという伝説もあります。下の板絵はこの伝説を描いたもの。



7世紀に経典を求めてインドまで旅した玄奘三蔵は帰路ホータンに立ち寄りました。玄奘は当時の于闐国について「西域第一の文化国と言われるだけあって、住民は礼儀を知り、みやびやかで学芸を好み、生活も豊かで音楽が盛ん。」「服装にも優美な絹織物か毛織物を用いていた。」「文字はインドのものの、やや変形した形を用いていた。」「仏教は盛んで寺は百余り、僧は五千人余りで、大乗を尊んでいた」と記しています。
現地ガイドさんによると10世紀にイスラムが入ってきた時に最も抵抗があったのが于闐国で、この地がイスラム化したのは11世紀に入ってから。「ホータンの人は頑固で有名」なのだとか。


ホータンの街に着いたのは午後3時ころ。ヤルカンドから車で約6時間。昔は何日かかったのでしょうか。

遅いお昼を食べてから、まずホータン博物館を見学しました。「和田博物館」とありますが「ホータン」の中国語表記が「和田」なんだそうです。
小さな博物館ですが、西域南道の遺跡から発見された展示品は見ごたえがあります。残念ながら写真撮影は禁止。ズボンを穿いてちょっとお洒落な男性の復元図は写真に撮りたかった。

また、ここには少女のミイラと中年の女性のミイラも展示されています。
少女のミイラは頭に二つお団子を作った髪型でかわいいのですが、中年女性のミイラはちょっとミステリーというか・・・。
貴族の女性だそうですが、なんと片手がなく、目が飛び出ていて舌を噛んでいます。彼女の最後はどんなものだったのか・・。かって西域には夫が死ぬと妻が殉死させられたと言われているので、そういったものなのか、それとも何か事故・事件があったのか・・・・。


他にも興味深かったのは仏教関連の出土品
気になったものと似たものがウルムチのウイグル自治区博物館で展示されていました。
仏像の頭部の型です。型を使って多くの仏像を作っていたんですね。



博物館の後は、白玉河とマリカワト故城を見学

崑崙の白玉が採れるという白玉河。
玉を探しましたが、さすがに簡単には見つかりません。
3年前(2012年)までは玉の買い付けで賑わい地元も大儲けしたそうですが
最近はぱったりとのこと。バブル3年前にはじけたか・・・。



マリカワト故城は白玉河近くの高台にあります。

観光客は余り来ないのか、最初は入口に鍵がかかってました。そこで、予定を変更して、まずは白玉河で玉探し。

玉探しの後、入口に戻ってきたら、多くの子供たちが待ってました。外国人が珍しくて集まってるのかと思ったら、なんと子供たちは遺跡見学の運転手。

入口から遺跡の中まではロバ車か子供たちの運転するカートで向かいます。
ロバ車で記念撮影しましたが、実は写真の彼女はカート運転の名手。凄い運転が上手かった。まだ、小さいのに凄いものです。

マリカワト故城は漢の時代から唐の時代にかけてのもので、于闐国の夏の宮殿と考えられています。
しかし、素人が見ると広大な荒れ地に、かっての建物の基壇が残るだけ。現地ガイドさんによると入口付近の基壇は仏教寺院の基壇とされているそうですが、往時の姿を想像するのは難しい。


寺院の基壇とされるものが、ところどころに残ります。



背後に見える山は崑崙山脈とのこと


玄奘三蔵が見た景色は、どんなものだったのでしょう・・・。

ホータンで一泊し、いよいよタクラマカン砂漠縦断です。



第2砂漠公路



「死の世界」「入ったら二度と出られない場所」と恐れられたタクラマカン砂漠。しかし、砂漠に石油が見つかったことから、油田開発のため1995年に砂漠を縦断する第一公路が、2007年に第二公路が開通しました。
私たちのツアーではホータンからクチャ近郊までを走る第二公路で砂漠を縦断しました。ホータンからクチャまでは約680㎞、そのうち第二砂漠公路は全長422㎞。長い移動となりますが、途中にはガソリンスタンドもレストランもある立派な道です。ホータンのホテルを9時に出発しました。

ホータンを出ると間もなく砂漠です。
第一公路の方が巨大な砂丘が見られるとは言いますが、第二公路の砂丘もなかなか見事。



砂漠では胡楊、タマリスク、ラクダ草しか見ることができません。

 若い胡楊の木
タマリスク
 

胡楊は「立って千年、枯れて千年、倒れて千年」と言われる砂漠の植物。
秋の黄葉は素晴らしいそうです。

左がタマリスク、右が胡楊の葉


でも砂漠に植物があること自体不思議ですよね。
実は第二公路の近くにはホータン河が流れています。
雪解け水で増水した時は渓流下りも楽しめるのだとか。
不思議な砂漠です。


タクラマカン砂漠の砂は白い気がします。そして細かい。



タクラマカン砂漠は4月に砂嵐が多いそうです。
私が訪れたのは5月上旬。幸い砂嵐には合わなかったけど、風は結構強い。
細かい砂が舞い、風紋が刻々と形を変えていきます。

 
 

風の中、移動していたら、すぐに方向感覚を失ってしまいそうです。
足跡も、あっという間に消えてしまうに違いありません。
「入ったら二度と出られない場所」と恐れられたのも納得です。


延々と続く砂丘を見ながら北上します。
途中にあるレストランで食事を摂って、更に北上。
気が付けば、いつの間にか砂丘が見えなくなっていました。
どうやら砂漠を出たようです。

砂漠を出てまもなく長い橋を渡りました。下を流れるのはタリム河。
ヤルカンド河、ホータン河が合流してタリム河となります。
まだ水量が少ないですが、夏には巨大な流れになるそうです。



クチャの手前、チマンという街のバザールにも立ち寄りました。
 
 

クチャに着いたのは午後9時。ホータンから12時間かかりました。
カシュガルからホータンを経てクチャまで3日間の旅。
移動は大変だったけど、後からじわじわ感動が来ました。
シルクロードの威力かな。


実はカシュガルからホータンの間は公安や武装警官が凄い数でした。
日本への携帯電話も通じなくなります。



シルクロードの遺跡に戻る

中国の遺跡に戻る




参考文献

玄奘三蔵 岩波新書 前嶋信次著
玄奘三蔵、シルクロードを行く 岩波新書 前田耕作著
シルクロード・新疆仏教美術 新疆大学出版社
新疆国寶録 新疆人民出版社漢文発行所

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。