アクロティリ遺跡と博物館

アトランティスのモデルと言われるサントリーニ島
海底火山の大噴火で埋もれたアクロティリ遺跡
遺跡と遺跡からの出土品を展示する博物館を紹介します。
2016年9月訪問

百合と燕(アテネ考古学博物館)


かって繁栄を誇りながら一夜にして海中に沈んだというアトランティス。プラトンが語ったというアトランティスのモデルではないかと言われているのが、現在は観光地として賑わうサントリーニ島。



現在のサントリーニ島は三日月形のティラ島と環状に並ぶ島々、そして、丸い内海の中にある島から成っています。しかし、元々のサントリーニ島は1つの島。それが海底火山の大噴火で島が分断され、巨大な噴火口・カルデラが現在の内海となりました。内海の真ん中にある島は噴火の名残。その大噴火が起きたのは紀元前17世紀の終わりころ、おそらく紀元前1628年ころとされています。その大噴火で火山灰に埋もれた街が島の南にあるアクロティリ遺跡です。

現在の遺跡は屋根が設けられ、遺跡の間を通路で移動しながら見学する形になっています。



アクロティリ遺跡は、島の中でも平らなところが多い、船乗り・漁師が海に出やすい地形、風が強い島の北側ではなく南側・・・ということから場所が確定され、40年前から発掘が始まりました。

発掘の結果、アクロティリは紀元前1700年ころ大地震で街が一度破壊されたものの、その後、復興し、クレタ島と同じミノア文明の元で繁栄を謳歌していたこと、しかし、紀元前1628年ころの大噴火で人々が街を放棄したこと・・・が分かっています。

公開されている遺跡は、かっての街の約3%に過ぎません。
かっては3000人の人々が暮らし、人々は交易や漁などを営んでいたと考えられています。

噴火で滅んだ街というとポンペイを思い出しますが、ここでは大噴火の前に前兆の地震が相次いで異変に気付くことができたらしく、人々は無事に逃げ出すことができたようです。貴金属などの貴重品は、人々が逃げ去るときに持ち出したので、ほとんど残っていないのだとか。

アクロティリ遺跡の特徴は火山灰に埋もれていたことから、非常に保存状態の良い壁画が見つかっていること。
壁画は現在ではサントリーニ島フィラの町の新先史期博物館やアテネの考古学博物館で保存・展示されているのですが、遺跡を案内してくれたガイドさんが発見された壁画を紹介しながら説明をしてくれて非常に分かりやすかったし、遺跡だけだとどうしても地味なので、私も博物館の壁画と一緒に紹介します。

遺跡の観光ルートは色々あると思うのですが、我々は入口から反時計廻りに見学しました。ちょっと大雑把ですが、右の地図のピンク色のルート。@〜Gの順に紹介します。


@ 公共的建物?



遺跡入口から入って右手の建物は20m四方の大きな建物で、公共施設だったのではないかと考えられています。アクロティリでは平屋建ての建物は見つかっていないのですが、この建物はなんと5階建てと考えられているとか。上の写真でも左の方に階段が残っています。
ミノア文明の中心地クレタ島ではクノッソス宮殿を初めとする宮殿が見事ですが、アクロティリ遺跡では宮殿は見つかっていません。この遺跡は王のいない「街」と考えられています。この公共的建物、いったい、どのように使われていたのでしょう。この公共的建物では周囲の壁全体に化粧石が使われており、他の民家とは違う立派な建造物でした。

公共的建物?を飾る化粧石。なぜか建物からはオリーブの木が見つかっています。
   


この遺跡、2005年に屋根が落ち、柱を立て直すことになりました。
その時、最も深い場所では火山灰が30mも積もっていることが分かったそうです。


A 双角の建物

ちょっと通路から遠いので手を思いっきり上に上げて写真を撮ってみました。


クレタ島のクノッソス宮殿で良く見つかる「聖なる牛の角」によく似たものが見つかった建物。この建物から美しい百合と燕の壁画が見つかりました。アテネの考古学博物館で展示されています。

風にそよぐ百合と、飛び交う燕が描かれています。


なんとも美しい壁画ですが、この壁画、民家の寝室を飾っていたものだそうです。こんな壁画を見ながら寝てたら、良い夢を見られそうですよね。アクロティリの人々の暮らしぶりが偲ばれます。

アクロティリはミノア文明に属する遺跡ですが、アクロティリの壁画はクレタ島と比べ、より自然かつ自由で、のびやかな表現が採られているように思えます。百合の花はアクロティリでもクレタでも非常に好まれたようですが、クレタの百合の花の方が少し装飾的・様式的な気がしませんか。

 アクロティリ
 クレタ

アクロティリが民家、クレタが王宮や貴族の家という違いもあるのかもしれません。
どちらもそれぞれ魅力的なのですが、違いが面白い。


B ピソスの家

ピソスと呼ばれる大型貯蔵用壺がたくさん見つかった家


アクロティリ遺跡を発掘したマリナトス教授が最初に見つけた場所だそうです。
個人の家は化粧石は建物の角にしか使われず、壁は石が積み上げられただけ。

  大きな壺には水を入れました。サントリーニ島は川がないので水は貴重。そして、小さな壺は調理用だそうです。
この建物からは、かわいいバーベキュー用の道具(左)や、線文字A(下)が見つかっていて、どちらも、サントリーニ島フィラの新先史期博物館に展示されています。

それにしても、バーベキュー用の道具、牛があしらわれて可愛い過ぎる。携帯用調理器なんだそうです。
 線文字A


線文字Aはクレタ島を中心とするミノア文明圏で使用されていた文字
残念ながら、解読されていません。

ピソスのたくさんある家から少し進むと公開されている遺跡の一番奥となるのですが
ここからも素晴らしい壁画が見つかっています。
壁画の内容から女性たちの館と呼ばれます。

C 女性たちの館

壁画はサントリーニ島フィラの新先史期博物館に展示されています。



まず、目に留まるのが、この女性。胸を出した姿。女官とも言われます。
等身大とまではいかないと思うのですが、かなり大きな壁画です。

 ウエストが細い。スカート?キュロット?
 上半身のアップ。やっぱり胸が気になる。


近くには他にも女性や美しいパピルスの壁画
   

パピルスの壁画はエジプトとの交易が盛んだったことを物語っているんでしょうね。
女性の衣装はクレタに似ていますが、頬紅を強調する化粧はアクロティリの流行でしょうか。


女性たちの館から入口に戻る形で進むと、大きな家に出ます。西の館と呼ばれます。

D 西の館

床が落ちてしまっていますが、3階建ての建物だったことが分かります。現地ガイドさんが嬉しそうに、ここ(3階)には面白いものがあります。なんでしょう、とのこと。実は建物3階部分の壁がオレンジっぽくなっている場所の右側・建物の角付近にトイレがあるんだそうです。

 ピンクで囲ったところがトイレらしい
 トイレ?を拡大

トイレだけでなく、この建物の3階・トイレのある部屋の左の部屋からは有名な美しい漁夫の壁画が見つかっています。

この漁夫の壁画、私がギリシャに行った2016年には上野等で開催されたギリシャ展の目玉として日本に来ていました。
ギリシャに行く前にギリシャ展に行って買ったのが右の絵葉書。

等身大の裸の男性がたくさんの魚の束を両手に持っています。魚はサバ?こんな魚見かけますよね。魚の青と黄色が鮮やか。
魚の束は売り物というより、神への捧げ物ではないかと言われています。

男性の髪型が変わっていますが、これは未成年のうちは髪の毛を少しだけ残して、あとは剃ってしまうという当時の習慣によるもの。また、分かりにくいですが彼はネックレスもしていて結構お洒落。

若者の顔と下半身が横を向いているのに肩や胸が正面から描かれているのはエジプトの影響でしょうか。でも、エジプトより数段自由で明るい雰囲気。神ではなく人々の生活を描いた壁画はなんとも魅力的です。

この建物の2階からは有名な船団図と呼ばれる壁画が発見されています。船団図というのは船の集団が多くの島や街を訪れたり、戦いをしている場面が描かれているもので、アテネの考古学博物館の見どころの一つとされていました。楽しみにしていたのですが、なんと近年の地震で破損したのか、今では修復・保存のため別の場所に移されているということで見ることができません。

アクロティリ遺跡の前の土産物屋で買った絵葉書
イルカが踊るように船の周囲を泳いでいます


船が街に到着。街の裏の山には鹿が描かれています。どこなのでしょう。


元々の壁画はかなり大きなもので、幾つもの街に訪れているそうです。
本物見たかった・・・実に興味深い壁画なので非常に残念です。
このような壁画から西の館は船長の家だったと考えられています。

西の館のあたりは遺跡の中に降りることができます。

三角形の広場



三角形の広場は、かっての街の中心だったのではないかとされています。
広場左側の立派な家が西の館。右側が双角の家。

かっての住居の間を歩いていくと、広場というには小さい空間がありました。

粉ひきの広場と広場両側の家EF



上の写真中央部分、2人の人が立っているあたりが「粉ひきの広場」。この小さな広場の左側の家から粉ひきに使う道具が見つかったのが名前の由来。上の写真左側に男女が写っていますが、この男女の後ろの家が粉ひきの道具が見つかった家。ちなみに、この男女が見ているのは遺跡から見つかったベッド。そして、粉ひきの家と広場を挟んで反対側の家(写真右側)から有名なボクシングの壁画と青い猿の壁画が見つかりました。余り大きな家には見えなかったのでびっくり。

ボクシングをする少年(アテネ考古学博物館)



ボクシングをする少年は等身大。遊んでいるところ。
左側の少年は貴金属を付けていて裕福な家の子と考えられます。

 


青い猿(サントリーニ島フィラ・新先史期博物館)


流れるような猿の動き
猿が青いのは想像で描いたものだから。
クレタの猿も青かったけれど、このあたりには猿はいないんだとか。

猿の動きが躍動的
 
 1匹だけ正面を向いています


遺跡入口付近まで戻って来ました。
@の公共的建物の左隣のGの建物も大きな建物です。

G 成人式をした場所?



遺跡入口から向かって左側の建物Gも、最初に見学した右側の@公共的建物同様に石組みが立派です。

この建物は入口が3つあり、多くの人々が出入りしていた建物ではないかと言われています。
また、この建物からは人々が持ち出すのを忘れた黄金の山羊が発見されていて、サントリーニ島フィラの新先史期博物館で展示されています。当時の豊かさが偲ばれますね。

この建物、地下が儀式をするような場になっていて、ガイドさんが言うには成人式をした建物ではないかとのこと。実は地下から見つかった壁画も見たかったものの一つでしたが、西の館の船団図同様に現在は見ることができません。

かってはアテネ考古学博物館に展示されていた「サフランを摘む少女」
これも近年の地震で破損したのか、現在は修復・保存のため公開されていません。
遺跡近くで絵葉書を買っておいてよかった。
実に可愛い。
   
右の少女は地元でも人気で店の看板等にも使われていました。
本物見たかったなあ・・・

足を怪我してうなだれる女性の壁画。この壁画も今は見れない壁画です。


こういった人々の生活、悲しみを描いた壁画が同時代にあるでしょうか。
現地ガイドさんに、もう少し早く来ればよかったね、と言われました。悔しい。


アクロティリ遺跡は決して規模が大きいものではありませんが
発見された壁画の量や質がずば抜けています。
凄い豊かな街だったことが、びんびんと伝わってきます。
多くの民家が、こんな見事な壁画で飾っていたなんて・・・
ポンペイに先立つこと、約1700年ですよ。凄すぎる。


新先史期博物館

これまでも展示品を紹介してきた新先史期博物館はサントリーニ島フィラの街の大聖堂に近い場所にあります。

ここではサントリーニ島で出土した新石器時代からアクロティリ遺跡・ミノア文明の時代までの出土品が展示されています。

見どころはやはりアクロティリ遺跡からの出土品で、既に紹介した女性たちの館の女性とパピルスの壁画、青い猿の壁画、そして黄金の山羊などが展示の目玉。日本に来た漁夫の壁画も、普段はこの博物館に展示されているようです。

でも、それ以外にも興味深いものが多々展示されています。

左の写真は石膏のテーブル。アクロティリ遺跡ではテーブルやベッドなど人々が持ち出せなかった家具が火山灰に埋まり、やがて朽ちて空洞ができました。その空洞に石膏を流し込んで作ったものです。
アクロティリ遺跡に置かれていた石膏のベッドも同じようにして作られたもの。
元々は木製のテーブルだったと考えられます。なかなか凝った造りでお洒落ですよね。


アクロティリの土器は絵柄がシンプル。流れるような筆使いが印象的。

乳首型突起装飾水差し
 
 燕


イルカが可愛い



壁画の断片も展示されていました。

山羊でしょうか
 
 男性の顔


同じミノア文明でも、クレタとは少し違う魅力のアクロティリ遺跡
壁画に描かれた人々は、なんとも表情豊か。
しかも、同時代に何人もの絵師がいたような気がします。

アクロティリ遺跡からの出土品は素晴らしいですが
遺跡自体はどうしても地味なので
博物館と合わせて訪れるのがおすすめ。



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参考文献

古代ギリシャ・時空を超えた旅(2016年東博展覧会図録)
図説ギリシャ・エーゲ海文明の歴史を訪ねて 周藤芳幸著 ふくろうの本
古代地中海血ぬられた神話 森本哲郎編 文春文庫ビジュアル版
古代ギリシャがんちく図鑑 柴崎みゆき著 バジリコ株式会社

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。