オロンゴ儀式村

オロンゴ儀式村は島の南西部にあるラノ・カウ火山の頂上にあります。ハンガロア村から悪路を車で20分ほど・・・車を降りると海が迫っています。儀式村は海に面した崖の上にありました。

物凄い風が吹いています。

「儀式村」というのは、「鳥人儀式」が行われていたところ。

鳥人儀式というのは1500年ころからイースター島で行われていた儀式で、頭が鳥、体が人の鳥人を神として崇拝するもの。

イースラー島というとモアイが有名ですが、モアイは18世紀ころには倒されてしまい、それ以後は、この鳥人儀式が盛んになっていたんだそうです。鳥人は創造神マケマケの化身です。

毎年、部族の中から選ばれた者が、ここから断崖を駆け下りて、近くの島に渡り、その年最初の渡り鳥の卵を取って戻ることを部族間で競いました。
最初に持ち帰った部族の長がその年一年、島を支配するという決まりだったそうです。

ここには、その儀式の時に使った石造りの家や鳥人・マケマケという神などのレリーフが彫られた岩がたくさんあります。

右の写真、分かりにくいですが横向きの鳥人が上下に二体彫られています。
丸い頭に大きな丸い目、それに大きなくちばしが付いてるんですが・・。


下の写真が渡り鳥の卵を取りに行く島。手前から、モツカオカオ・モツイチ・モツヌイという名前。



一見近そうに見えますが、ここは海流が早く、おまけにサメがうようよいるのだとか。断崖から身を乗り出してみると、波が凄い・・・砕け散ってます。こわ〜〜い。こりゃ、命がけのレースですね。
それなのに、レースで勝った本人ではなく、その部族長が島を支配するっていうのは、ずるい気がします。


鳥人などのレリーフは崖の上に数多く残されています。左下の写真の左に写っている岩が上の写真の2体の鳥人が彫られている岩です。隣の小さな岩にもレリーフが残っています。
右下はレースの間、人々が結果を待っていた儀式用の家の入口。上の岩にレリーフが残ります。

   


儀式用の家と雨水を貯めた石(左下)。家は風除けのためなのか入口も狭いです。儀式の間、ここで膝を抱えて寝ていたのだそうですが、かなり窮屈そう。右下はマケマケ。創造神です。

   



ちょっとラノ・カウ火山に登ってみました。登るといっても、儀式村が頂上付近にあるので、ほんのちょっと高いところに登る、という程度ですが・・・。でも、ちょっとでも登っただけでも、位置関係がよく分かります。写真の右が海・・・左が火口湖。葦が生い茂って湖面はちょっとしか見えません。湖の直径は1,6キロ。湖から山の高さは200m。儀式村は、火口の縁にあるんですね。


イースター島は火山噴火でできた島だとのことで、島中火山だらけなんだそうです。なんでも、ここラノ・カウ火山と島の北にあるテレバカ火山、それに島の北東のポイケ半島というところにあるプアカテキ火山が噴火して3つの島ができ、それが隆起してイースター島になったとのこと。イースター島をムー大陸の名残とする説は残念ながら否定されてしまっています。。



展望台

儀式村から車で10分ほどのところに火口湖の展望台があります。
ここには比較的保存状態の良い鳥人のレリーフが残っています。
手足や長いくちばしが分かりやすいですが、顔はどうなっているんでしょうか。





アフ・ビナフ

ラノ・ラク火山の東側の海岸にアフ・ビナフはあります。
正確には、2つの祭壇・・・bPとbQがあります。
まずはbPと呼ばれるもの。
かっては祭壇(アフ)の上にモアイが立っていました。
   

手前に埋もれたちっこいモアイがありますが、もともとは石組みの祭壇の上にモアイが6体くらい載っていたのだそうです。この祭壇の石組みが南米インカの石組みに似ているんで有名ということ。

確かに、インカに似ているように見えるので寄って撮ってみました(右)。う〜〜ん。インカに似ているのは間違いないけど、クスコなんかに比べると、かなり大雑把・・・ですよね。

この石組みはイースター島の人たちが南米から来たという説の有力な根拠になっているのだそうです。イースター島の人たちの起源についてはポリネシア人説が有力ですが、これだけインカに似ているんだから南米から来たんだっ!と言う人がいるんだそうです(ヘイエルダールとか)。

DNAからはイースター島の人たちはポリネシアンとされているとのこと。つまり、タヒチとかと同じですね。そこで、このインカ風石組みなんかをどう考えるか・・なんですが、元々はポリネシアンで、後々、南米からの影響もあった、とするのが素直なんじゃないのでしょうか。

この祭壇の作られた年代は1500年ころでインカの黄金期とも重なります。黄金期のインカで威勢のいいのが海に乗り出したんじゃないでしょうか。ちなみに火口湖に生えている葦はトトラ葦・・・南米ティティカカ湖に生えている葦と同じです。接触があったこと自体は間違いなさそうですね。


こちらはbQ.モアイはどこ?と思いますが・・・みんな倒されています。
実はイースター島のモアイはモアイ倒し戦争によって、全て倒されていたのだそうです。
正確にはアフ(祭壇)上のモアイは全て倒されていました。

   

簡単にまとめると、イースター島には、昔、支配階級のエエベ族(長耳族)と被支配階級のモモコ族(短耳族)がいて、エエベ族がモモコ族にモアイを作らせたりしていましたが、18世紀後半、モモコ族がエエベ族を倒し、それと並行して、部族間の争いも盛んになり、各部族のモアイが倒されまくるモアイ倒し戦争となりました・・・ということらしいです。

この島を訪れた西洋人の記録では1770年には倒されていなかったモアイが1774年には倒されていて、島民も飢餓状態であったというので、このモアイ倒し戦争は1770年から1774年までの間の出来事だと考えられています。それにしても、島中のモアイが倒されていたというのは、勝者がいなかったということなんでしょうか・・・。

天気が悪かったせいか、ここのモアイは、みんな悲しげに見えました。
頭だけ埋まっていたり・・・
右下の赤いのは女性のモアイと言われているものです。

     



アフ・ヴァイフ

アフ・ヴァイフは18世紀後半に始まったモアイ倒し戦争の激戦地と言われています。

   

海に近い場所に造られたアフ(祭壇)の上のモアイは、ことごとく倒され、うつぶせになっています。
ここのアフは本当に海に近い。アフの裏は波打ち際です。よく波に浸食されなかったものです。
このアフからは170〜200の人骨が発見されたそうです。大きな部族があったのでしょう。

アフのそばに石で囲んだサークルがあります。これはモアイの目に魂を入れる儀式をした場所。




そもそも、モアイは何なのか。未だに定説はないものの、祖先神で、村を守るものと考えられていたというのが有力です。つまり、モアイは部族ごとに築かれた祭壇(アフ)の上に置かれた神格化された先祖であり、部族の守り神でもあったわけです。そして、モアイは目に霊力があると考えられていました。
倒されているモアイには全て目がありません。祭壇(アフ)上のモアイを倒し、目を壊すことで、その力を奪おうとしたようです。



アフ・アカハンガ

アフ・ヴァイフから車で5分ほど。
やはり海岸線にアフ・アカハンガがあります。



ここには3つのアフがあるのですが、やはり全てのモアイが倒されています。
仰向けに倒れているモアイもありました。
モアイのそばの赤い石はプカオ。モアイの頭に乗っていた帽子ともまげとも言われているものです。

それにしても、派手に倒したものです・・・。




ここには、アフだけでなく、昔の住居跡も残っています。左下の写真がそれ。
石で基礎を作っています。この石には、実はよく見ると穴が開いていて、その穴にサトウキビの茎を立て、それを上で結んで壁というか屋根にしたということです。
面白いのは、この石組みがボートの形をしていること。、これはイースター島に最初に上陸したホツ・マツア王一行が当初、ボートを逆さに伏せて雨露をしのいだ、ということに由来するとか。ホツ・マツア王はこの地に埋葬されているとも言われています。

実はアフ・アカハンガを最初に刊行した時、強い雨に降られました。その時、雨宿りをしたのが右下の写真の洞窟。昔、住居にも使われたという洞窟で、色んな国の人たちが雨宿りしてました。

   

イースター島と言うとモアイ、と単純に考えていましたが・・・
島の歴史はなかなかに重たいものです。


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参考文献

Newton別冊 古代遺跡ミステリー
Newton別冊 古代世界への旅
Newton別冊 新・世界の七不思議
沈黙の古代遺跡 マヤ・インカ文明の謎(講談社+α文庫)
巨石人像を追って(NHKブックス 木村重信箸)


基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。