ラノ・ララク

イースター島南東部、小高い山がラノ・ララクです。



イースター島観光のハイライトは、なんといってもラノ・ララクでしょう。この山の山麓はかってモアイの製作工場でした。イースター島は海底火山の噴火と隆起でできた島でラノ・ララクも火山です。加工しやすい火山岩だったため、モアイがここで造られることになりました。ラノ・ララクには製作途中のモアイや、運び出す途中だったと思われるモアイが約400体も残っています。


駐車場からラノ・ララクへ向かいます。
ラノ・ララク中腹を撮ってみました。黒い点々は全てモアイです。



山の中腹には遊歩道が何本か走っていて、そこを巡りながらモアイ見物(笑)をすることになります。
この道を進んで登っていくと、右手にアフ・トンガリキを臨むことができます。他にレストハウスからの道もあり、ラノ・ララクの火口(湖になっています)に行くには、その道の方が近いです。


ラノ・ララクから見たアフ・トンガリキ



小さくて分かりにくいかもしれませんが、写真中央の海岸線に写っているのが15体のモアイが並ぶアフ・トンガリキです。
アフ・トンガリキはラノ・ララクから最も近いアフの一つだと思いますが、それでも遙か遠くです。ラノ・ララクで作ったモアイをどうやって各地のアフまで運んだんでしょうか。イースター島では、モアイは自分で歩いたとも言われていますが・・・。

トンガリキの後ろに写っているのはポイケ半島。かっての支配階級であるエエベ族が滅ぼされる前に立てこもった場所です。


アフ・トンガリキが見えるあたりからは次々とモアイが現われます。
立った状態のモアイは、元々はラノ・ララクのモアイだけでした。

   

 やっぱりラノ・ララクはイースター島観光のメインですね。モアイがいたるところにごろごろいるのは魅力的です。これらのモアイ、本当は体もあるのですが首しか見えないのは山肌の浸食が早く、埋もれてしまっているからなのだそうです。

またアフの上に立ったモアイはアフの保存のため近寄れませんが(アフは今でも島民にとっては神聖なものなので足で踏んだりしてはいけないのです)、ここのモアイはすぐそばまで近寄れるのが魅力。もっとも火山石で造られたモアイはもろいので触ったりするのは厳禁とされています。






次々と現れるモアイですが、特に有名なものをいくつか紹介します。

有名なモアイ・その1 正座するモアイ。

   
正面から見たところ(左)と後姿(右)
南米に似た石像があると言われるますが、ポリネシアにも似た像があります。
ちなみに、このモアイのあたりから見るトンガリキは絶景です。



有名なモアイ・その2 おなかに船が彫られているモアイ


写真だと、かなり分かりにくいですが、肉眼だと結構よく見えます。

おなかに彫られている船は3本マストの船。

でも、イースター島には、もともとは3本マストの船などないのだそうです。

それなのになぜ?というと、つまりはこれが彫られたのはイースター島の住民が西洋人と接触した後のことだということです。

西洋人がイースター島を発見したのは1722年のことだったので、それ以降に造られたということになりますね。

ちなみに西洋人がイースターの日に発見したことから、イースター島と呼ばれるようになったのだそうです。

このモアイ、1体で立っているのではなく、すぐそばにもう1体モアイが立っています。





有名なモアイ・その3 彫りかけのモアイ



彫りかけのモアイが見られるところは何か所かありますが、ここでは幾つもの彫りかけのモアイを見ることができます。写真でも2体写っていますが、他に横にも彫りかけのモアイがあります。

モアイの作り方がわかって面白いですね。モアイはこうやって彫り進めて、最後に背中を彫って岩から切り出すんだそうです。



有名なモアイ・その4 イースター島最大のモアイ

彫りかけですが、なんと20m以上あります。

実際にアフの上に立てられたモアイで最大のものはテ・ピト・クラのそばにあるアフ・パロで10m(現在は倒されたままになっていますが)。

その倍以上の大きさ。

ほとんどモアイ大仏といっていい大きさですね。

どうやって、これを運び、アフの上に立てるつもりだったのか。

モアイをどのようにして運んだのかについては、未だ分かっていませんが、少なくともこのモアイを造っていた当時の人たちは、これだけ大きなものを海岸線にあるアフまで運ぶことができると考えていたわけです。

このモアイはラノ・ララクでも結構上の方にあるので、探すのはちょっと大変かもしれません

近くからは、あまりに大きくてよく分からないのですが、遠くから見ると他のモアイに比べ異様に大きい姿が分かります。




ラノ・ララクの火口には湖があります。
しかも、なぜか火口側にまでモアイがあります。
天気が良かったら頂上まで行ってみた方が面白いと思います。






アフ・トンガリキ

イースター島南東部、ラノ・ララクの少し先にアフ・トンガリキはあります。



アフ・トンガリキは15体のモアイが並ぶイースター島最大のアフです。そばには大阪万博のときに日本に来たというモアイも1体ありますし、アフの前の広場にはマケマケ神や魚などのレリーフの残る石が数多く置かれています。ラノ・ララクと並ぶイースター島の見どころの一つでしょう。


大阪万博に来たモアイのそばから撮ってみました。
15体のモアイが載るアフ・トンガリキの後ろにはポイケ半島。
アフのすぐ後ろは海です。




15体のモアイが並ぶのは壮観です。しかし、少し古い本を読むと「チリ大地震の際の大津波によってモアイもアフを作っていた石も散乱し、倒れたモアイ達はただ土に返るのを待っているように見える」といった記述があります。少し前はそういう状況だったのです。それがこんなに立派に修復されている・・・修復に当たったのは、誇らしいことに日本企業です。

このモアイ達、壊れてばらばらになってしまったり、津波で大きな傷がついてしまったりしていたのを拾い集め、古い写真を見ながら、特殊な接着剤などでつなぎ合わせて元の姿に修復・復元したのだそうです。アフを築いていた石もばらばらに散乱していたそうですが、本当に見事に復元されています。

修復・復元は複雑なジグゾーパズルのような根気の要る作業だったそうですが、ここまで見事に復元されると、さすが日本企業・・といった愛国心が湧き上がって来ます(笑)。





復元されたモアイは海に背を向けています。モアイは部族ごとに築かれた祭壇の上に置かれた神格化された先祖であり、部族の守り神でもありました。部族を守るため、モアイは海に背を向けて村の方角を見ています。15体ものモアイが残るトンガリキには島最大の集落があったそうです。

15体のモアイ、ひとつひとつ見ていくと、顔も違うし、背丈も違います。祖先神とされているモアイは力のあった部族長とかがモデルなんでしょう。ただモアイの大きさについては、モデルとなった部族長の力によるという説もあるようです。実際の部族長の背丈ではなく、大きな勢力・権力を持っていた場合は大きなモアイを作った、というわけです。


左下 横から見たモアイとアフ。 右下 岩絵のある広場から見たトンガリキ

   

アフ・トンガリキのそばにある岩絵には創造神マケマケ(右上の写真の左下に顔が彫られています)や、鳥人(左下)、更には魚(右下)などが彫られています。

   



ちなみにトンガリキのアフの裏手に回ると、モアイ達がラノ・ララクを見上げているように見えます。
見事に逆光になってしまいましたが、二上山のような稜線の山がラノ・ララク。
「モアイが故郷の山を眺めるの図」






ポイケ半島

イースター島の北東部にあるのがポイケ半島です。
「来年(2006年)から入れなくなるよ」と言われたのでツアーに参加してみました。
4WD車で私有地の牧場を抜け、道なき道を半島の中央部に向います。

   

ポイケ半島は、かってイースター島を支配していたエエベ族(長耳族)が反乱を起こした被支配階級・モモコ族(短耳族)に追い詰められ、最後に立て籠もった場所と言われています。モアイを造ったエエベ族の最後の場所です。エエベ族は皆殺しにされてしまったとも、モモコ族がエエベ族の知識を残すために一人だけ助けたとも言われています。

半島の端っこに進むと、アフ・キキリロアという遺跡がありました。・・・遺跡と言っても小さなモアイとか、モアイ・アフのかけらが散乱しているだけなんですが。




なんとなく物悲しくなる風景です・・・。



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参考文献

Newton別冊 古代遺跡ミステリー
Newton別冊 古代世界への旅
Newton別冊 新・世界の七不思議
沈黙の古代遺跡 マヤ・インカ文明の謎(講談社+α文庫)
巨石人像を追って(NHKブックス 木村重信箸)


基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。