ハンガロア村



ハンガロア村はイースター島唯一の村です。19世紀にチリ政府とイギリス政府の間でイースター島全部を羊毛会社の放牧地とする契約が結ばれ、島民はハンガロア村一か所に押し込められました。今でも島民はハンガロア村で生活を続けており、役所・病院・銀行なども全てここにあります。ホテルもハンガロア村に集まっていて、イースター島観光の拠点となっています。



アナカイ・タンガタ

ハンガロア村近くの海に面した洞窟がアナカイ・タンガタです。


海沿いの階段を下りていくと、波打ち際に大きな洞窟があいています。アナカイ・タンガタです。

アナカイ・タンガタというのは、なんと「食人洞窟」という意味。凄い意味ですが、この洞窟から骨がたくさん見つかったことから、最初は人を食べてたんじゃないかと思われて、こう名付けられたのだそうです。しかし、実際は人骨は全くなく、見つかったのは全て羊の骨でした。

既にハンガロア村のところで書きましたが、イースター島は、かって島ごとイギリスの羊毛会社に羊の放牧地として貸し出されてしまい、島民はハンガロア村一箇所に押し込められていました。イギリス得意のエンクロージャーです。で、そのとき、島民がこっそり羊を盗んでは、ここでバーベキュー大会を開いていたということで、その時の骨なんだとか。イースター島民、タフです。

しかし、単なるバーベキュー会場ではありません。この洞窟には剥落がひどいものの、下のような壁画が残っています。



よく分かりませんが、どうやら鳥の壁画らしいです。そういわれれば、真ん中あたりのは鳥に見えないこともないですね。なんと500年も前のものだそうです。

で、鳥といえばイースター島では鳥人儀式。今のところ、オロンゴの儀式でレースに出る人選を行った場所なんじゃないか、というのが有力説らしいです。他にも、ここでボートを作ったんじゃないか、という説もあるらしいけど。



プナ・パウ

ハンガロア村から少し離れたところにプナ・パウはあります。

ここはモアイの頭に載っていたプカオを切り出していたところ。石切り場です。

地面が赤いのは赤色凝灰岩の山だからです。
プカオの色ですね。

ちなみに右の写真で転がっているのがプカオです。

近くに寄ってみると、プカオは人よりも大きく、驚かされます。どうやってモアイの頭に載せたんでしょうか。
ともかく、大きなプカオがごろごろしています。

プカオが何かについては、帽子とする説と髪形(髷を結っている)とする説とに分かれています。18世紀に西洋人が見た島民は頭の上で髪を束ねる習慣を持っていたのだそうです。いわばまげですね。

プカオが赤い理由についても説が分かれています。
ポリネシアンにとっては赤という色はロイヤル・カラーなのだ、という説もあれば、プカオを髪型とする説からは、当時、髪を赤く染めていたからではないか、と主張されているのだそうです。



博物館

ハンガロア村の郊外に博物館があります。
入口では、わんこがお出迎えをしてくれました。
残念ながら、館内は写真撮影禁止です。



ここにはアナケナ・ビーチから見つかったモアイの目や、女性のモアイ像(これも細長いけど、少しは人に見えます)、それにイースター島の文字といわれるロンゴ・ロンゴなどが展示されています。

ロンゴ・ロンゴは今では誰も読めなくなってしまった謎の文字。紀元前2300年ころのインダス文明の文字に似ているとも言われていますが、余りにも時代と場所がかけ離れていて両者の関係はよく分かっていません。ロンゴ・ロンゴについては最近では聖歌や家系などを暗唱するための記号のようなものではないかとの説もあるようです。

小さいながら見ごたえのある博物館ですが、ちょっと驚くのが日本の企業の援助で作られた博物館だということ。トンガリキの修復といい、イースター島と日本って、かなり縁が深いんですね。



タハイ遺跡

ハンガロア村から歩いて行ける遺跡です。村の中心から15分くらい。
博物館のすぐ裏手でもあります。
ここには3つのアフが残っています。




写真だと左から5体のモアイ、プカオをかぶったモアイ、プカオのないモアイと見えますが、実際に歩いてみると、プカオをかぶったモアイが一番遠くにあります。
5体のモアイが立つているのがアフ・バイ・ウリ、プカオをかぶったモアイがアフ・コテリク、プカオのないモアイがアフ・タハイといいます。 


   

左の5体のアフ・バイ・ウリが最も古く初期のモアイ、中央のアフ・タハイ(写真だと右端)が中期のモアイ、そして、プカオをかぶったアフ・コテリクが最も新しい後期のモアイなのだそうです。
左から右にどんどん新しくなっています。初期のモアイほど丸っぽくて、段々と顔が長くなっています。美の基準が変わったのでしょうか。

アフ・バイ・ウリとアフ・タハイの間には海に続くスロープもあります。結構、立派に修復されていますが、これは何なのでしょう・・・。ムー大陸の話とかが好きな人にとっては、かってはスロープの先にも陸地があったのだ、イースター島はムー大陸の一部だったのだ、という話になるみたいです。夢のある話ですが、残念ながらイースター島は海底火山の噴火でできた島であって、失われた大陸の一部などではありえないことは今はもうはっきりしています。だったら、このスロープは何?という話に戻ってしまうのですが、どうやら今のところ、「よく分からない」というしかないそうです・・・。


アフ・バイ・ウリ
タハイ遺跡で最も古いモアイです。





アフ・タハイからアフ・ウリ・バイを見たところ。
アフ・ウリ・バイの前は広場になっていて、ここで儀式が行われたと考えられています。





アフ・コテリク
タハイ遺跡で最も新しいモアイです。顔が細長く、背も高い。
目が印象強烈です。

   

アフ・コテリクにはイースター島のモアイで唯一目が入っています。アナケナ・ビーチで発見された目を参考にした復元なのですが、目が入るとモアイの印象ががらりと変わりますね。正直、ちょっとコワイです。
モアイは部族の祖先などが神格化されたものとされていますが、目が入ることでモアイは力を持ち、部族を守りました。そのため、モアイ倒し戦争の時はモアイの力を奪うために徹底的に目が破壊されました。モアイの目は白珊瑚と石でできています。アナケナ・ビーチで発見された目は黒目の部分にプカオと同じ赤色凝灰岩を使っていましたが、黒い石を使ったこともあったそうです。

アフ・コテリクの前には石を丸く置いたサークル(パイーナ)があります。かっては、このサークルで儀式を行いました。一説では、ここでモアイの目に魂を入れる儀式をしたといわれています。


アフの近くには貴族・神官の家の跡や鶏舎が残っています。





タハイ遺跡村は夕方から観光客で賑わいます。
実はここではモアイの後ろに沈む夕日を撮ることができます。
ホテルから歩いて来られる撮影ポイントですから賑わうのも当然ですね。









実に綺麗でした。


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参考文献

Newton別冊 古代遺跡ミステリー
Newton別冊 古代世界への旅
Newton別冊 新・世界の七不思議
沈黙の古代遺跡 マヤ・インカ文明の謎(講談社+α文庫)
巨石人像を追って(NHKブックス 木村重信箸)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。