デルフィ遺跡

古代名はデルポイ
古代ギリシャでアポロンの神託がなされた場所
ギリシャ神話の舞台を訪れました
2017年4月訪問

写真はアポロンの神域のアポロン神殿


デルフィ(古代名デルポイ)は古代ギリシャでアポロンの神託がなされた場所。アポロンはゼウスとレトの間に生まれた神で双子の姉はアルテミス。アポロンは芸術の神であるとともに予言を司るとされ、アポロン神殿の巫女によるデルフィの神託はギリシャ世界全土に名声を轟かしていました。

個人が人生を占っただけでなく、ポリスも国家存亡の危機にはデルフィの神託を仰ぎ、国の命運を占ったのです。ギリシャの国民的英雄ヘラクレスの有名な12の冒険はデルフィの神託を受けて行われたものでしたし、ペルシャとの戦いを前に「木の壁」のみが守るとの神託を受けたアテネはこれを船に頼ることと理解し、サラミスの海戦でペルシャを打ち破りました。
もっとも神託は曖昧な言葉で行われたため、「父を殺し、母と交わる」という神託を受けたオイディプスは、これを育ての親コリントス王と王妃のことと誤解し、コリントスに戻らなかった結果、実の父テーベ王ライナスを殺し、母イオカステと結婚してしまう・・・といった悲劇も生み出しています。

古代ギリシャの人々にとって、どこよりも神聖な地であったデルフィを訪れました。


遺跡のあるデルフィの町のレストランからの眺め


ギリシャは海岸線が非常に入り組んだ複雑な地形をしています。ギリシャ本土とペロポネソス半島はコリントス付近まで大きく湾が入り込んでペロポネソス半島が島のように分けられていますが、デルフィはこの湾の北側の町イテアからほど近いギリシャ本土パルナッソス山麓に位置します。
上の写真の左上に青く線のようにあるのがギリシャ本土とペルポネソス半島を分けるコリンティアコス湾。海沿いにある町がイテア。そこから山の麓まで広く平らなオリーブ畑が広がっていますが、この場所でかって戦車競技が行われたのだそうです。
デルフィはこの海から上陸して、山を登った場所、山の斜面にあります。今はアテネから車で3時間ほど山越えをして向かうことができますが、古代の人々は、山越えにせよ、ペロポネソス半島を廻って海から向かうにしろ、この地に辿り着くまで、さぞかし苦労したことでしょう。

遺跡を訪れる前に博物館を見学しました。
博物館入ってすぐのところにあった、アポロンの神域の復元図


復元図中央に列柱の立ち並ぶ立派な建物がアポロン神殿。その背後にある壁の様なものが劇場。そして、アポロン神殿に通じる山の斜面に立ち並ぶ多くの建物は多くのポリスがアポロン神に捧げた奉納品などを収めた宝庫や記念碑です。
立体模型もあったので上から撮ってみました。山の斜面、アポロン神殿に向かう「く」の字型の参道に沿って多くの宝庫等が競うように並んでいるのが分かってもらえると思います。




博物館の展示は紀元前8世紀ころの青銅製の奉納品から始まります。おそらく、そのころからデルフィが神託の場として信仰を集めるようになったのでしょう。

神話によると、この地はかって大地の女神ガイアの聖地で、ガイアの子のピュトンという大蛇が守っていました。その後、この地を気に入ったアポロンが大蛇を弓で射殺し、彼の神託所としたのだそうです。

古くは地母神信仰の場だったのが、ギリシャ世界が成立するとともに、ギリシャ神話の神アポロンの聖地とされたのかもしれません。

アポロンの神託は不思議なシステムで行われていました。神殿の地下に大地の割れ目があり、そこに三脚台の鼎を置いて、その上にピューティアと呼ばれる巫女が座り、大地の割れ目から立ち上る霊気を吸ってトランス状態になった巫女が口走った言葉を神官が解釈して伝えたのだそうです。

アポロン神殿が最初に建てられたのが紀元前700年ころ、その後、後4世紀にキリスト教が広まるまでこの地は栄え続けました。


デルフィの遺跡は神託がなされたアポロン神殿があるアポロンの神域だけではありません。他にも、人々がデルフィで最初に訪れたアテナ・プロナイアの神域、その後アポロンの神域に入る前に身を清めたカスタリアの泉、更にはデルフィで行われたピュティア競技祭のための競技場やその練習のための運動場までありました。

ピュティア競技祭というのは、オリンピアで行われるオリンピック同様の競技祭。元々はアポロンが音楽の神でもあったことから音楽を競っていたそうですが、その後、運動競技も行われるようになったそうです。流行ってたんですね。

デルフィの運動場ではオデッセウスが猪に襲われて傷を負った場所でもあります。オデッセウスがトロイ戦争後帰還した際、乳母はその傷から正体を隠したオデッセウスに気が付きます。ギリシャ神話って、こういったディテールの充実度が凄いです。

アテナ・プロナイアの神域や運動場はアポロンの神域より少し下った位置にあって、アポロンの神域から見下ろすことができます。左の写真はアテナ・プロナイアの神域。目の前にあるほど近いし、行きたかったんだけど、時間の関係で行けませんでした。凄い残念。



アポロンの神域

遺跡入口付近から見たアポロンの神域。山の斜面に建物の跡が点在している印象



ローマ時代のアゴラ



神域入口の手前にあるのがローマ時代のアゴラ
煉瓦を使っているのがローマ時代の特徴。手前に水路もあります。

ローマ時代のアゴラは結構良く残っていのですが
神域に入って進むとこんな感じ


ゆるやかな登り道の左右に色々と建造物があったんだろうな・・・ということは分かりますが、まあ、廃墟というか・・・・。かってはローマ時代のアゴラを抜けた神域の入口にはコルキュラ市奉納の牡牛像が置かれ、その先に様々なポリスが奉納した記念碑や宝庫が並んでいたといいますが。


遺跡にあった説明図。左側が神域入口。分かる範囲で説明文を入れてみました。



神域入口付近の記念碑の復元図。トロイの木馬が右端に見えます。



半円状の台座のようなものが左右にありました。アルゴス奉納の記念像の台座でしょうか。
   

この先にシフノス人の宝庫があったはずなのですが、遺跡では見る影もありません。
でも、シフノス人の宝庫からの出土品は博物館の見どころの一つです。

シフノス人の宝庫

復元図
 
 入口の装飾と少女柱

かってはさぞ美しい建物だったことでしょう。少女は髪や耳を金属で飾っていたそうです。


宝庫の破風はヘラクレスとアポロンが聖なる鼎を奪い合うシーン。
そして、破風の下はトロイ戦争。



破風のレリーフ


中央左右の人物が三本の脚のある鼎を奪い合っているのがわかるでしょうか。これは重病に悩んだヘラクレスが治療法を知るためデルフィの神託を得ようとしたものの、巫女が神託を与えなかったので、怒ったヘラクレスが巫女の座る三脚の鼎を奪おうとしたというシーン。アポロンが三脚の鼎を奪い返そうとし、アルテミスもこれに加勢します。結局、この騒動はゼウスの仲裁で収まったとのこと。中央に立つのがゼウスでしょうか。ヘラクレス重病なのに神と争うなんて凄い元気。

宝庫には神々と巨人族との戦いの場面も彫られています。
 神に加勢するヘラクレス(左)
 戦うアテナ女神


シフノス人の宝庫のあったあたりで参道は右に折れていきます。
その先にアテネ人の宝庫があるのですが、その手前に面白い石が置かれています。

オンファロス

遺跡。後ろの建物はアテネ人の宝庫
 
 博物館のオンファロス

この円錐形の石はオンファロスと呼ばれるもの。オンファロスというのは「地球のへそ」という意味だそうで、デルフィが地球の中心であることを示しているものです。随分と出べそですね。
神話ではゼウスが大地の中心を知ろうと、地平線の左右の端から2羽の鷲を飛ばしたところ、鷲が出会ったのがデルフィなんだそうです。博物館にあるのはローマ時代のもので、かってオンファロスの石は絹の紐で覆われていたということから、紐で覆われる形に彫られています。元々はこの上に2羽の黄金の鷲が置かれていたということでした。実際、デルフィは古代ギリシャ世界の中心に位置していたそうです。アテネ・デルフィ・オリンピアで二等辺三角形となるんですって。


アテネ人の宝庫




アテネ人の宝庫は、デルフィの遺跡の中でひときわ目を引く立派な建物です。

他の宝庫は、みんな廃墟同様なのに・・・と思うのも当然で、実は、これは後に復元されたもの。

フランスの考古学会が1906年に、かっての姿を忠実に復元したものなのだそうです。

宝庫は縦10m、横6m。入口にはドーリア式の柱が2本立っています。

この宝庫南側の壁には、マラトンの戦いの勝利を感謝してアポロンに捧げるとの謝辞が彫られ、宝庫のメトープにはギリシャの国民的英雄ヘラクレスの冒険の場面や、アテネの英雄テセウスの戦いの姿が彫られたレリーフで飾られていました。

博物館で見ることができるオリジナルは保存状態があまり良くないのですが、下のテセウスの戦いの場面はなんとか想像で欠けている部分が補えるかもしれません。一番左はテセウスとアマゾンの戦いの場面です。




アテネ人の宝庫の裏手から発見されたのが左のアルゴスの兄弟像。
アルカイック期の彫刻で、ご覧のとおり大きな像です。

彼らはクレオピスとビトンという名の兄弟。彼らの母がヘラの祭りに出席する際、母が乗る牛がいなくなってしまい困っていたのを、彼ら二人が牛の代わりに母を運びました。

息子たちの働きで無事、母は神殿に着き、周囲の人々は親孝行な二人を大絶賛。息子を褒められた母はヘラに「最高の栄誉を息子たちに与えて欲しい」と祈願します。

そうしたところ、宴が終わった時、神殿で眠るように死んでいる兄弟が発見されたので、アルゴスの人々は彼らの像を作ってデルフィに奉納したのだとか。

ちょっと、今の私たちの感覚では訳が分からない話ですが、彼らは祝福のうちに、誇らしさいっぱいの中で亡くなった、というのが凄いことらしいです。ギリシャ七賢人の一人ソロンも人が幸せかは死んだときに分かる、として彼らのことを語っているのだとか。


坂道を少し上ると、奇妙な岩があります。

シビラの岩

写真中央の奇妙な形の岩がシビラの岩


シビラというのはデルフィの伝説的巫女で預言者。
彼女が予言を行ったとされる岩が、この奇妙な岩です。

シビラの岩のあたりからアポロン神殿の柱が見え始めます。
このあたりに、ナクソス人のスフィンクスが置かれた柱がありました。

ナクソス人のスフィンクス

博物館に置かれたスフィンクス(前575〜560年)
高さ2.32m。聖地を見守っていました。
   


坂を上っていくと、白い大理石の柱と、その上の茶色い柱が見えて来ます。
上の茶色い柱がアポロン神殿
その下の白い柱がアテネ人の列柱



アテネ人の柱廊



アテネ人の柱廊は紀元前478年にアテネがペルシャをサラミスの海戦で破った時の戦利品を飾るために建てられたもの。もともとは7本の柱が木製の屋根を支えていたそうですが、現存するのは3本のみ。美しいイオニア式の柱で、アテネから運んだ白大理石が使われています。


アテネ人の柱廊の先の坂道を登れば、いよいよアポロン神殿。
右手に見えるのは蛇が巻き付いた形のプラタイアイの戦勝記念碑台座



近付いてきたアポロン神殿
 
 プラタイアイの戦勝記念碑台座


アポロンの神域には数々の宝庫や記念碑・記念像が置かれていましたが、アポロンの神殿近くにも実に記念碑・記念像が多い。

右の写真は記念碑の復元説明図。
左側の3匹の蛇が巻きついた形のものが、右上のプラタイアイの戦勝記念碑のかっての姿。

3匹の蛇が三脚の鼎の脚を頭で支えています。
三脚の鼎の上に乗った巫女がアポロンの神託を行っていたことを考えると、非常にデルフィらしい記念碑といえるのではないでしょうか。

プラタイアイの戦いはサラミスの海戦後、ペルシャの残存兵をスパルタが討ち果たした戦い。
サラミスの開戦前、スパルタ軍は中部ギリシャのテルモピュライの戦いで、ペルシャの大軍相手に国王レオニダスを初めとする僅か300の兵で戦い、全員玉砕します。この戦いで戦闘準備の時間を稼いだことがサラミスの海戦の勝利に繋がったと言われ、スパルタの勇名を轟かした戦いでした。スパルタにとって、プラタイアイの戦いはレオニダス王らの弔い合戦としての意味もあったのでしょう。

他にも、このあたりには非常に美しい踊る少女像がアテネによって寄進されていました。

踊る少女像は博物館で見ることができます。
薄手の衣装を身に着けた彼女ら。よく見ると、おへそが分かるんですよ。
   


プラタイアイの戦勝記念碑台座付近から見たアポロン神殿



アポロン神殿

神殿正面


アポロン神殿は紀元前700年ころに建てられたのが最初と言われます。当初は木製の神殿だったらしく、現在残る神殿は紀元前370年ころのもの。長さは約60m、幅約23m。ドーリア式の柱が全部で38本あったそうです。復元図によると、かって神殿東側(正面)の破風には4頭引きの馬車に乗ったアポロンが多くの従者を引き連れてデルフィの地に迎え入れられる様子が彫られていたそうですが、残念ながら博物館で見ることができる破風の彫刻の保存状態は良くありません。

   

しかし、アポロンの神殿からは実に美しい彫刻も見つかっています。

神殿から発見された勝利の女神ニケ
足に羽が生えています
 
 神殿西側破風の中央に立つディオニュソス像
女神と見間違えるほどの美しさ

アポロン神殿の中には残念ながら入れません。

アポロン神殿の横を通って裏手にある劇場に向かいます。
少し高くなっていて、神殿の見晴らしがいい。


かって神託は地下で行われ、オンファロスの石も地下に置かれていたとのことですが・・・
地下に通じる道を見つけることはできませんでした。


アポロン神殿から裏手にある劇場に向かう途中も、かっては多くの建物や像が置かれていました。

そこから見つかった右の青銅の御者像はデルフィの博物館の宝ともいうべきもの。
この像だけの部屋が設けられています。

やたら下半身が長い姿なのは、かって、高い場所に置かれていたため、下からの目線を考えてのもの。
ピュティア祭の戦車競技で優勝したことを記念して収められたものということで、元々は馬と戦車と御者という大掛かりな像でした。

下半身の長さは現実の人間離れしているものの、非常に細部までリアルに作られていて、サンダルを履いた足も美しいし、青銅製のまつ毛まであります。
優勝したのに御者が余り嬉しそうではないのは、戦車競走の場合、勝利の栄冠は馬の持ち主に与えられ、御者が栄光を手にすることはなかったから。
でも、馬主と違って御者の姿がこうして後世まで残り、その美しさを讃えられることになったわけです。ちょっと皮肉ですね。

三島由紀夫が絶賛したと言う美青年
 
 後姿。たすき掛けです。


劇場

アポロンの神殿の裏手にある劇場。

ピュティア競技祭の時に使われたもので、紀元前4世紀ころのもの。

ギリシャの劇場は自然の傾斜地を利用して造られたと聞いたことがありますが、この劇場もパルナッソス山の傾斜を利用して造られたもののように思われます。

大理石で作られた35段の観客席の上からのデルフィの眺めは素晴らしい・・・と地球の歩き方に書いてありましたが、残念ながら修復中。
縄が張ってあって、劇場の中に入ることはできませんでした。

更に地図によると、この劇場の先にピュティア競技祭の時に使用されたスタジアムもあるとのことなのですが、残念ながら道に縄が張ってあって先に進むことはできません。おそらく同様に修復中なのでしょう。

劇場の上から見ることはできませんでしたが、劇場付近からのデルフィの眺めも、十分素晴らしいものでした。山の岩肌と相まって、なんとも神秘的な雰囲気が漂う場所です。


神域と言われるのも納得の美しさと格調のある風景




デルフィ博物館

これまでに紹介できなかった展示品を紹介します。

黄金で飾られたアポロンとアルテミス
アポロン
 
 アルテミス

アルテミスはアポロンの妹だと思ってたんですが、現地ガイドさん曰く姉。
先に生まれて、アポロンの出産の際、母を助けたんですって・・・
遺跡のアテネ人の柱廊付近の解説文に、このアポロン像・アルテミス像の写真がありました。
その周辺で見つかったのでしょうか。


金箔が貼られた牡牛像


木製の牡牛の像に金箔を貼ったのが年月の経過で木の部分が腐食してしまったもの。


アポロンとカラスの壺絵


カラスが黒くなったのは、アポロンに嘘を言って恋人を殺させたから。

恋人の名はコロニス。テッサリアの王女です。アポロンはカラスからコロニスが浮気をしていると告げられ、怒ってコロニスを射殺すのですが、その直後に後悔し、コロニスのお腹の中にいた赤子を助け出します。コロニスが浮気をしていたというのが事実だったのか嘘だったのかは両説あるようですが、カラスはそれまで白かったのが、コロニスの喪に服するように、この時からアポロンによって黒くされたのだとか。コロニスとアポロンの子は成長して医神アスクレピオスとなります。


アンティノウス像
   

アンティノウスはローマ皇帝ハドリアヌス帝の寵愛を受けた美青年。ハドリアヌスが自分の権力を維持するためにはどうしたらよいかを占ったところ、「一番大事なものを捨てろ」との神託を受けました。その後、アンティノウスはナイル川で謎の死を遂げます。皇帝のために入水自殺をしたとも言われています。ハドリアヌス帝はアンティノウスを神格化し、多くの像を作りました。この像は立った姿で発見されていて、人為的に埋められたのではないかと考えられているそうです。


最後に行けなかったアテナ・プロティアの神域と競技場
アポロンの神域からの眺めです。



遺跡は何とも言えない格調があるものの廃墟なので
博物館から訪れたのは正解でした。
博物館で出土品を頭に入れてから
在りし日の姿を想像しながら遺跡を歩くのがおススメ


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参考文献

古代ギリシャ・時空を超えた旅(2016年東博展覧会図録)
ギリシャ神話 呉茂一著 新潮社
ギリシャの神話・神々の時代 カール・ケレーニイ著 中央公論社
ギリシャの神話・英雄の時代 カール・ケレーニイ著 中央公論社
図説ギリシャ・エーゲ海文明の歴史を訪ねて 周藤芳幸著 ふくろうの本
図説ギリシャ神話・神々の世界篇 松島達也著 ふくろうの本
図説ギリシャ神話・英雄たちの世界篇 松島達也・岡部紘三著 ふくろうの本
目で見る世界七不思議の旅 森本哲郎編 文春文庫ビジュアル版
古代ギリシャがんちく図鑑 柴崎みゆき著 バジリコ株式会社

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。