国立考古学博物館

アテネにある国立考古学博物館
クレタ島以外のギリシャ全土の出土品を展示しています。
歴史好きなら必見の場所
2016年9月、2017年4月訪問



博物館入口から真っ直ぐ進むと正面がミケーネの部屋。その右側がキクラデスの部屋。

キクラデスの部屋(前3000〜前2000年)

キクラデス文明は大小200もの島々からなるエーゲ海のキクラデス諸島で
紀元前3000年ころから起こった初期青銅器時代の文明です。

ハープを奏でる人
 
 アウロスを吹く人

キクラデス文明は写真のような大理石でできた人物像が特徴。直立した姿のものが多いですが、こんなにかわいい像もあります。鼻しかありませんが、目や口を描いていたようです。
エーゲ海の島々は天然資源が不均一に分布することから、島々が互いの特産品を交換し合うために海上交易が盛んになりました。しかし、何故か紀元前2000年ころ、キクラデス諸島の集落は謎の終焉を迎えます。

博物館ではキクラデスの部屋の隣はミケーネの部屋ですが
歴史的に続く文明は2階のティラ・ギャラリー

ティラ・ギャラリー(前17世紀)

ティラ・ギャラリーは前17世紀の大噴火で火山灰に埋もれたサントリーニ島(ティラ島)の
アクロティリ遺跡からの出土品を展示する部屋です。

ボクシングをする少年
 
 百合と燕

キクラデス諸島の集落が衰退した前2000年ころ、クレタ島に巨大な宮殿を持つ文明・ミノア文明が登場します。ミノア文明はギリシャ文明・ヨーロッパ文明の原点とも言うべき文明で、平和で明るい壁画などが特徴ですが、実はクレタ島からの出土品は全てクレタ島イラクリオンの考古学博物館にあってアテネの考古学博物館では見ることができません。その代りというか、2階の特別室にミノア文明の影響下にあったと考えられるサントリーニ(ティラ)島アクロティリ遺跡の美しい壁画が展示されています。等身大の人物像やクレタ島以上に自然で自由な壁画が素晴らしい。

ミノア文明についてはイラクリオン考古学博物館
アクロティリ遺跡と壁画などの出土品はアクロティリ遺跡と博物館で独立してまとめています。


1階入口正面の部屋に戻ります。

ミケーネの部屋


博物館の入口正面の部屋に、ひときわ目を引く黄金のマスクが展示されています。シュリーマンが1876年にペルポネソス半島付け根近くに位置するミケーネの円形墓域Aから発見した「アガメムノンのマスク」です。写真でも立派ですが、本物の方がずっと男振りがいい。

シュリーマンはこの黄金のマスクだけでなく数々の黄金製品を発掘し、ホメロスが謳った「黄金に満ちたミュケナイ」が物語ではなく事実であることを明らかにしました。

8歳の時にトロイ落城の挿絵を見てトロイ戦争を事実と信じ込んだシュリーマンがトロイを発掘するのは有名な話ですが、シュリーマンはトロイ発掘後にトロイの対戦相手・ギリシャ総大将アガメムノンの都ミケーネも発見したわけです。

もっとも、彼が発掘したトロイがトロイ戦争より遥か昔のものであったように、このマスクもミケーネ文明初期の前1550〜1500年ころのもので前1250年ころに起こったとされるトロイ戦争より、ずっと昔のものであることが今では分かっています。 シュリーマンは最後までアガメムノンのマスクと信じていたようですが・・・


豪華な黄金製品



 黄金のマスクは死者の顔を覆っていたもの。
黄金のカップ。牡牛を捕まえようとしています。
 

ミケーネ文明はクレタ島のミノア文明より数百年遅れてギリシャ本土で興った文明です。
ミノア文明の影響を受けながら、次第に力を蓄えていきました。

クノッソス宮殿の牛飛びの儀式にそっくり。
 
 女性像にもミノア文明の影響を感じます。
クレタに似ているけど、正直、クレタより稚拙で硬い印象


ミノア文明と異なるミケーネ文明の特殊性は、戦士の存在でしょう。

ミノア文明では墓から武器はほとんど見つかっていませんが、ミケーネ文明の墓からは戦士の武器や兜などが数多く出土しています。

右の写真は猪の牙を利用して作られた兜。この兜はミケーネ戦士の特徴とされました。

この兜を作るためには多くの猪を倒さないといけないわけで、勇猛さの証だったわけです。猪の牙を馬の毛で繋いだものだということでした。

またクノッソス宮殿を初めとするミノア文明の宮殿では外敵に備えるための城壁というものがなく、宮殿は開放的な造りでしたが、ミケーネ文明の宮殿は堅固な城壁を備えていました。

クレタ島の宮殿は前1450年ころミケーネ文明によって多くが滅ぼされます。クレタから文明を吸収したミケーネがクレタを征服したわけです。

更にミケーネは地中海各地に植民地を築いていきます。トロイ戦争も、そんな時代に起きたものだったのでしょうか。

黄金の装飾が見事な剣



ミケーネ文明は前12世紀ころ、謎の衰退期に入ります。
前1250年ころのトロイ戦争の影響?それともエジプトをも襲った海の民によるもの?
その後の数百年はギリシャの「暗黒時代」と呼ばれます。

ここからは博物館入口に戻り、入口左の部屋から時計回りに進みます。

アルカイック期(前800〜前480年)の部屋


長い暗黒時代の後、前800年ころからギリシャ各地にポリスが生まれ始めます。

ポリスは聖域に守護神を祀る神殿を築き、人々は神殿に多くの像を奉納するようになります。

初めはエジプトの影響が強かった彫刻は、次第にギリシャ独自の特徴を持つようになります。
前800ころから見られる彫刻様式がアルカイック期と呼ばれるもの。アルカイックとは古代ギリシャ語で「古い」という意味。

このころの彫刻に見られる不思議な微笑み、アルカイック・スマイルは有名です。

謎の微笑みとともに、アルカイック期を特徴づけるのが、次第に像に動きが生じ、硬く硬直した人体が次第に柔らかく自然なものに変化していくこと。

左は前560年ころの「飛走するニケ」。勝利の女神の上半身は正面を向いていますが、下半身は横向きで全力疾走している姿が表現されているのだそうです。奇妙な印象を受けますが、当時の彫刻家が動きの表現方法を模索していたんでしょう。

この時代を代表する彫刻がクーロス像(青年)やコロー像(少女像)
クーロス像は、片足を一歩前に出し、両手を体から話した姿をしていますが
時代とともに、次第に動きが自然となり、体が柔らかくなっていきます。

クーロス像(青年像)の変遷

 前590年ころ
 
 前530年ころ
前500年ころ
  


人々の生活を描いたレリーフもありました。
レスリングをする人々(前510年ころ)



上のレリーフの横には犬と猫を争わせる人の姿が彫られています・




前480年、サラミスの海戦で大国ペルシャを破ったアテネは黄金期を迎えます。
黄金期の彫刻は「古典期」と呼ばれます。

古典期(前480〜前330年)の部屋

古典期の部屋に入ると、いきなり有名なポセイドン像が出迎えてくれます。

   


「有名なポセイドン像」と書きましたけれど、実は最近ではポセイドンではなくゼウスだという説が有力。

ポセイドンの武器は三叉の鉾。ゼウスの武器は
雷霆。

この像のポーズだと三叉の鉾を持つのは不自然で、雷霆を振り上げているところとするのが自然ではないかというのがゼウス説の根拠。

いずれにせよ、この像が力強さとともに神性を表現していることに変わりはなく、海原を支配するポセイドンと言われても、天空の支配者である最高神ゼウスといわれても納得せざるを得ない威厳を備えています。

そもそも、裸で、こんな姿勢なのに、威厳があるのは不思議。古典期の神像は何故か人間とは違う何かを持っているように感じます。

この像は青銅製。エウボイア島(エヴィア島)北端のアルテミシオン岬の沖合の海底から引き揚げられました。像を運ぼうとした船が沈んだのではないかと考えられているそうです。



右のレリーフはポセイドン像の後方に置かれているもので、古代ギリシャ最大の秘儀、エレウシスの秘儀を描いたもの。前430年ころ。

エレウシスの秘儀というのは、穀物・豊穣の女神であるデメテルに関わる儀式で、古代ギリシャで多くの人々が受けたとされています。

豊穣紳デメテルは娘のペルセポネが冥界の王ハデスにさらわれた後、娘を探して世界中を放浪しますが、その時デメテルを女神と知らずに温かくもてなしたのがエレウシス王家の人々。

女神はエレウシスの国に幸福を授けることとし、自分の神殿を造らせ、王子トリプトレモスに農耕を教えた後、神殿で人々に秘儀を授けました。

元々は豊穣の儀式で、後に命の再生と復活の秘儀となったのではないかとされていますが、この秘儀の内容を話したものは死をもって罰せられるとされたため、詳細は分かっていません。

右のレルーフ中央の少年が王子トリプトレモス。左右がデメテルとペルセポネとされます。左の女神が王子に穀物の穂を、右の女神が冠を授ける姿を描いたもの。


アテナ・パルテノス
   


パルテノン神殿に祀られていたアテナ・パルテノス(処女紳アテナ)。古代アテネの守護神。

古典期を代表する偉大な彫刻家フェイディアスがパルテノン神殿の本尊として作った像は高さ10m。肌は象牙、衣装や装飾品は黄金で作られていました。

フェイディアスのオリジナルは当時から評判で多くの模刻が作られました。おかげで、オリジナルが失われた今も当時の姿を偲ぶことができます。
この像はオリジナルを最も良く伝えているものとされています。

女神は右手に勝利の女神ニケを乗せ、メドゥーサの顔のついた盾を左手で持ちます。

盾の内側には蛇。ベルトも蛇です。蛇はお守りとしての意味があったそうです。
そして兜にはスフィンクスとペガサス。

アテナ女神は気高い中年女性として表わされたそうです。この像も模刻ながら普通の人間とは違う神性を感じさせます。


古典期は神様だけでなく、人間の表現も素晴らしい。
当時の墓標には人々の悲しみが美しく描かれています。
当時の墓標にはレキュトス型の墓標と神殿型の墓標がありました。

右はレキュトス型の墓標の代表作。
レキュトスというのは古代ギリシャで用いられた壺で、ご覧のような形をしてます。この墓標の高さは人の倍くらいあって、かなり大きなものです。

この墓標はミレーネのレキュトスと呼ばれているもの。ミレーネという名前の若い女性の墓標で、彼女がヘルメスに手を引かれて、アケロン川を渡ろうとしている姿が彫られています。

アケロン川というのはギリシャ神話で冥界との間を流れる川とされています。日本の三途の川みたいなものですね。古代ギリシャと日本の共通点が面白い。

ヘルメスは一般には商人や盗賊の神とされますが、旅人の守り神でもあることから死者の魂の案内役ともされました。良く見るとヘルメスのサンダルには羽根が生えています。翼のついたサンダルはヘルメスのシンボル。

墓標には2人を見送る3人の親族も描かれていて、若い娘を葬る悲しみが今と同じことを感じさせます。
   


こちらは神殿型の墓標。
出産後亡くなった女性の墓標
赤ん坊を差し出しているのが涙を誘う。
腰かける死者に別れを告げる女性
なんとも切ない。


悲しいものだけではありません。
こちらは躍動感を感じさせる馬に乗る少年



少年も馬も凄い迫力


この像はポセイドン(ゼウス?)像と一緒に発見されたそうです。


馬に乗る少年のすぐ近くに置かれていたアフロディテ像
   
前4世紀の像の模刻だそうです。
アフロディテだけは、神様なのに、どうも俗っぽいなあ。


マラトンの少年(古典期末期)
こちらは優美な少年
   


アンティキセラの青年(古典期末期)
メドゥーサの首を持つペルセウスとも、リンゴを持つパリスとの説もあるそうです。
私はパリスの審判の場面のような気がしますが。
   



ヘレニズム期(前330〜後31年)以降


アレキサンダー大王が亡くなる前後からプトレマイオス朝エジプトが滅ぶ頃までをヘレニズム期といいます。
美術の大衆化が進んだ時期と言われ、古典期に比べ、感情表現や像の動きが、よりダイナミック、ドラマティックになっています。

左は前330年ころのセイレーン像。ちょうど古典期とヘレニズム期の移行期のころの作品。
セイレーンは上半身が人間の女性、下半身が鳥の海の怪物で、美しい歌声で人を惑わせ、船を沈めるとされています。同時に彼女らは冥界の王ハデスの妻ペルセポネの侍女でもあり、死者の魂を冥界に送るのが役目でもありました。
なんとも悲しげな表情の、このセイレーンは墓前に置かれたものと考えられるそうです。

かって栄光を誇ったアテネはペルポネソス戦争で衰退し、ポリス間の戦いでギリシャは疲弊し、アレクサンダー大王の父フィリポス2世のときにマケドニア支配下に入ります。
そして、大王死後はローマの支配下に入り、その後もヴィザンティン、ヴェネツィア、オスマントルコと支配者が代わっていくことになります。
ギリシャが独立したのは1820年。
およそ2000年ぶりの独立でした。


ミロス島のポセイドン像(前130年ころ) 足元にいるのはイルカ
   


傷ついたガリア人



気になった作品・ローマ時代のものかもしれません。
嘆きのポーズなのか、なんとも艶めかしい。



こちらは優美なディオニュソス像。テーブル台だそうです。後2世紀、ローマ時代の作品。

 ディオニュソスの左はサテュロス
 ディオュニソスの頭を飾るブドウが美しい。



2017年春特別展

2017年春に訪れた時は特別展をしていました。
海に関する展示みたいです。

アンティキティラ島の機械


ギリシャのオーパーツとして有名なアンティキティラ島の機械。アンティキティラ島の沈没船から発見されたもので、発見されてしばらくの間は注目されることはありませんでしたが、後に天体の運行を計算する古代のコンピューターであることが判明しました。多くの歯車からできており、日食や月食が計算できるのだそうです。紀元前2世紀ころに造られたものとされており、古代ギリシャの天文学の素晴らしさを示すだけでなく、歯車の精巧さも18世紀のものに劣らないとか。


アフロディテとパンとエロスの像(前100年ころ)
言い寄るパンをサンダルで打とうとするアフロディテ
   

女神に名を借りた世俗的作品だと思います。当時の人々の好みが分かりますね。


ディアドゥメノスの像
男性の理想的体型を表現している像とされます。古典期。
   



2回訪れましたがツアーだと全く時間が足りない。
1日じっくり時間を取って来たいものです。
また、前回見れたのに閉まっていた部屋もありました。
何回も訪れないといけない場所みたいです。


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参考文献

古代ギリシャ・時空を超えた旅(2016年東博展覧会図録)
図説ギリシャ・エーゲ海文明の歴史を訪ねて 周藤芳幸著 ふくろうの本
図説ギリシャ神話・神々の世界篇 松島達也著 ふくろうの本
図説ギリシャ神話・英雄たちの世界篇 松島達也・岡部紘三著 ふくろうの本
古代ギリシャがんちく図鑑 柴崎みゆき著 バジリコ株式会社

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。