ギリシャ北東部

テッサロニキからトルコ国境へ
ギリシャ北東部を古代エグナティア街道に沿って旅しました。
マケドニア地方東部とトラキア地方の見どころを紹介
2018年10月訪問

写真はアンフィポリスのライオン像



テッサロニキからトルコまでギリシャ北東部を横断しました。
古代エグナティア街道に沿って遺跡を巡ります。


しばらくは、かってのマケドニア王国の東部地方を進むことになります。
ローマ帝国以前にマケドニア王国が整備した場所です。


テッサロニキから車で東に向かうと大きな湖が2つ現れます。平野が広がり、山には木が多い。肥沃な土地なんでしょうね。まず、目指すのはパンゲオ山の西に位置するアンフィポリス。
パンゲオ山には金鉱山があり、アレクサンダー大王の父フィリッポス2世は金鉱山を掌握するため、パンゲオ山の西側にあるアンフィポリスとパンゲオ山の東側にあるフィリピを手に入れます。この金鉱山経営がマケドニアに富をもたらし、常備軍の維持も可能としました。

アンフィポリス

テッサロニキから車で約1時間ちょっと走ったところで巨大な石のライオン像がお出迎え。
アンフィポリス近くのストリモナス川から1934年に発見されたライオン像です。

現在は海から少し離れた内陸に位置しますが、かってのアンフィポリスはエーゲ海に流れ込むストリモナス川の蛇行に沿って人々が暮らす港町でした。この街はアレクサンダー3世の父フィリッポス2世が獲得した街でマケドニア王国で重要な場所だったとされています。

とはいえ余りアンフィポリスの発掘は進んでいません。それでもここを訪れたのは、近年「もしかしたらアレクサンダー大王の墓かも」という丘が見つかったから。
発見されたのはヴェルギナのフィリッポス2世の墓が埋まっていた丘のなんと5倍もの大きさ。

アレクサンダー大王の墓がどこにあるのかについては争いがあり、未だに大王の墓は見つかっていません。しかし、こんな大きな墓は大王の墓以外ありえないとか、母オリンピアスはアンフィポリスに葬ることを希望していた・・・といったことから、こここそが大王の墓と言われているのです。もっとも、ギリシャの財政難で全く調査発掘は進んでいないということですが・・・。

アレクサンダー大王の墓の候補地とされる丘が見えて来ました。凄い大きい。
せめて近くに行きたいけど厳しい立入制限・警備がなされているそうです。



博物館に向かいます。博物館はなんと古代の墓の上に建っていました。


この墓はスパルタの将軍ブラシダスの墓。アンフィポリスは元々はアテネが支配しようとしていました。しかし、街の人々はアテネの支配を嫌い、スパルタに助けを求めます。
スパルタの将軍ブラシダスはアテネのトゥキディデス(ツキジテス)を破ります。敗れたトゥキディデスは陶片追放され、その結果「戦史(ペロポネソス戦争の歴史)」を書くことになったのだとか。

ブラシダスは、その後も前422年にアテネのクレオンと戦い、戦いには勝利したものの戦死しました。アンフィポリスの人々はブラシダスに感謝し、この地に葬ったのです。

ブラシダスの勝利によりアンフィポリスは独立を守りますが、前357年にマケドニアのフィリッポス2世が街を征服します。王は自治権も認める緩やかな支配を行い、次第に街をマケドニア化させていきました。フィリッポス2世は前356年にはパンゲオ山の東側に位置するフィリピも支配下に置き、この地方の支配を盤石なものとしていきます。

アレクサンダー3世の時代には街はマケドニアの主要な軍港となり、前334年、アレクサンダー3世はアンフィポリスの港からペルシャ遠征に出発しました。


マケドニアの黄金
 

素晴らしく精巧な金細工。博物館で買った絵葉書です。



マケドニア時代の邸宅の壁画



ライオン像の復元説明図もありました。本来の台座は今よりかなり立派だったようです。
ライオンは大王の母オリンピアスのシンボル
   

アレクサンダー大王の死後、妻ロクサネと遺児アレクサンダー4世は後継者争いの中、この街に幽閉され、後に殺されます。そして前2世紀にはマケドニア王国もローマの支配下に入ることとなりました。街はローマ支配を経てビザンティン時代も繁栄を続けましたが、8世紀ころ衰退します。

ローマ時代の彫刻
 エロス
 セイレーンでしょうか


ビザンティン時代のバシリカ(聖堂)の柱頭




アンフィポリスを出て更に東へ。金鉱山があったパンゲオ山を見ながら進みます。
窓ガラスで光ってしまいましたが・・・車窓から見たパンゲオ山


アンフィポリスの博物館から車で1時間ほどでカヴァラに着きました。

カヴァラ




カヴァラはギリシャ北部でテッサロニキに次いで2番目に大きな街。煙草の積出港として有名。

前6世紀にパロス島から移住してきた人々が町を建設し、その後、前4世紀にアンフィポリスとフィリピを手中に収めたマケドニア王国のフィリッポス2世が治めるようになります。

当時の街の名は「ネアポリス(新しい街)」。フィリピの外港として栄えました。

その後はローマ、ビザンティン、オスマントルコと支配者が変わります。現在のカヴァラはオスマントルコの雰囲気を残す独特の雰囲気を持つ街となっています。

カヴァラのもう一つの特徴は、この街がパウロが最初に上陸したヨーロッパの街であること。
現在のカヴァラは、かっての港を埋め立てたことから昔の港より海が遠ざかっています。港から坂道を少し登ると、パウロが最初にヨーロッパに上陸した場所に建つアイギスニコラウス教会があります。ここがかっての海岸線。
パウロが布教に努めた場所だからか、ビザンティン時代はクリストゥポリス(キリストの町)とも呼ばれていました。

アイギスニコラウス教会のあたりからは水道橋カマレスが良く見渡せます。
ローマの水道橋?と思いますが、オスマントルコ時代の16世紀に建設されたもの。



この街はオスマントルコからエジプトを事実上独立させたモハメット・アリの生まれた場所でもあります。

モハメット・アリは18世紀後半にカヴァラで誕生しました。貧しい生まれでしたが、軍で出世し、オスマントルコのエジプト総督となり、富国強兵策を推し進めます。
ヨーロッパ列強からの圧力により彼の推し進めた政策は挫折することになりますが、それでもエジプトの事実上の独立を果たしました。
このためモハメット・アリは「近代エジプトの父」と呼ばれているそうです。現地ガイドさんは「エジプト最初の国王」と説明していました。

右の写真は街の高台に立つモハメット・アリの騎馬像。

この像のそばには、彼が母のために建てた豪華な家も残っています。この付近からの見晴らしは最高で、青い海と白い街並みの眺めが素晴らしい。

モハメット・アリは貧しい人々のための建物も建てました。今では高級ホテルになっています。

坂の多い街ですが、なんともいえない風情があります。
 


半島の高台にはビザンティン時代の要塞


歴史のある街にしては古代のものが残っていないのが少し物足りないのですが
街の郊外に凄い遺跡があります。


フィリピ遺跡

カヴァラから内陸に約12q行ったところにあるフィリピ遺跡(ピリッポイ)。
マケドニアのフィリッポス2世が築いた街はビザンティン時代まで繁栄を続けました。


見どころの多い遺跡なので独立してまとめました。フィリピ遺跡はこちら


聖リディア教会


聖リディア教会はフィリピ遺跡のすぐ近くにあります。

この教会は聖パウロが50年に初めて洗礼を行った場所に建てられています。

聖パウロは「マケドニアに来て欲しい」というマケドニア兵の幻に導かれてカヴァラ(ネアポリス)に上陸し、ヨーロッパでの伝道を開始します。

フィリピの街の外れのジガクテス川で洗濯をしていた街の女達に布教を行い、その結果、街の豊かな商人の娘リディアがキリスト教に改宗することとなります。聖パウロはジガクテス川でリディアに洗礼を行いました。写真の教会の裏手にはジガクテス川が流れていて、聖パウロが洗礼を行ったという場所が整備されています。

他にも聖パウロは街で占いをしていた奴隷の少女をキリスト教に改宗させますが、その結果、少女から悪霊が去り、少女は占いをできなくなります。これを少女のオーナーが怒り、パウロは投獄されますが、その時、牢獄の近くだけに地震が起こり、パウロは牢を出ることができたとも伝わっています。フィリピ遺跡にはパウロの牢獄と言われる場所も残っています。

聖パウロが最初の洗礼を行ったとされる場所
現在も用いられているようです。きっと人気の洗礼場所なんでしょうね。



教会に入るとパウロの伝道の道を示したモザイクがありました。
エフェソスからフィリピに、そしてテッサロニキへと伝道の旅は続きます。



この日は更に東に進んでクサンティという町に宿泊
ギリシャの地方区分でマケドニア地方を出てトラキア地方に入ったことになります。
ところがここでアクシデント発生。
明日見学予定のトライアノポリス遺跡が財政難で閉まってしまったかも・・・とのこと。
行ってみるまで分からないとのことですが、閉まっていた場合に備え急遽別の遺跡を見学することに


ズオニ遺跡



ズオニ遺跡はトラキア地方南東の海岸沿いにある古代ギリシャ遺跡。前7世紀にサモトラケ島の人々が建設しました。ズオニとは「帯」という意味で、海以外の三方を山で帯状に囲まれた天然の良港となっています。面白いのは遺跡から発見された碑文がギリシャ文字を使っているのに読めなかったこと。調査の結果、トラキア人がギリシャ文字を使ってトラキア語を彫ったものであることが分かりました。サモトラケの人々はトラキア系で次第にギリシャ化していったのだそうです。
交易で栄えた町にはアポロンの聖域とデメテルの聖域があり、この地方の信仰の中心でした。

遺跡に残っているのは前5世紀古典期のものが中心

アポロンの聖域
瓦礫の山ですが、石の配置や復元図からかっての姿を想像することはできます。
   復元図
アポロン神殿を中心にストアで囲まれていました

アポロンの聖域から少し行ったところに壺がたくさん置かれた場所がありました。
貯蔵庫かと思ったら、これはこの地の一般住居。

床の下に壺を並べて、その上に木の床を造りました。
海が近く湿気が多い場所だったため、壺を使って高床式の風通しの良い家にしたのだそうです。
 
復元図
 


住居近くにあった「イクモス」 ブドウを載せて足で踏んでワインを造りました。
   上に乗るのは少年だったそうです


一見瓦礫の山のように見える遺跡ですが、粉ひきの跡が残ってたりして楽しい。
   


こちらは西の市壁に沿って建てられていた大邸宅。かなり大きく、商人の館ではないかとのこと
商人は宴会で客をもてなし、ベッドに寝転んで商談をしたのだそうです。
   


ズオニの町は東側の海側は崖となっていますが、西側は緩やかな砂浜
このため西側から来る敵に備えた町造りになっていたそうです。

 西側の門だったと考えられる場所
門の横に雨水を集める水道らしきものもあります
 遺跡東側から見た景色
西側に砂浜が広がっています

西側からの敵の来襲とかは脅威だったんでしょうけれど、余りに風光明媚な地。
こんなところで暮らしたら、幸せだったんじゃないのかなあ。

町はマケドニア時代も続きました。
大王の死後、敵の来襲に備えて市壁を造り直し、城塞化を図ったそうです。



こちらは陶器を焼いた竈。低温で赤を、高温で黒を出しました。
   


デメテルの聖域
捧げ物を置くテーブルのある部屋があったそうですが、正直想像するのも難しい。


ズオニの町はアレクサンダー大王の死後も交易で栄えましたが、ローマ時代に近くにトライアノポリスが築かれると町の人々はトライアノポリスに移って行きました。更にキリスト教が盛んになるとアポロンの聖域・デメテルの聖域は破壊され、町は衰退していったそうです。

地味だけど非常に興味深い遺跡でした。
前5世紀・古典期の人々の暮らしが分かる遺跡って珍しい気がします。
何より海が美しい。

ズオニ見学後は当初の目的だったトライアノポリスに向かいます。
アレクサンドルポリを通り過ぎ、遺跡に行ったものの・・・やはり閉まってました。

トライアノポリス

トライアノポリスはアレクサンドルポリから更にトルコ国境近くに進んだところにあります。
2世紀にトライアヌス帝がダキア(現ルーマニア)攻略の拠点として築いたのが街の始まり。


その後、トライアノポリスはバルカン半島を横断しコンスタンティノープル(現イスタンブール)を繋ぐエグナティア街道の拠点として栄え、4世紀には司教座の置かれたキリスト教の街となりました。
52度の温泉が出ることから、古代には「テンピラ(温泉)」とも呼ばれます。
オスマントルコ時代には温泉施設と宿泊所(ハナ)が造られました。ローマ時代の発掘はほとんど進んでいないということですが、それでもやっぱりここまで来たら見てみたかった。入れないので遺跡の近くから撮ったのが上の写真。オスマントルコ時代の温泉施設が写っています。

仕方ないのでアレクサンドルポリに戻って昼食となりました。

アレクサンドルポリ

トルコ国境にほど近い街、アレクサンドルポリ


トルコ国境とは約14,5qしか離れていないアレクサンドロポリ。アレクサンダー大王所縁の街かと思ったら、実は新しい街。街の名はギリシャ独立戦争で誕生したギリシャ王国時代の王アレクサンドロス1世(在位1917〜1920年)に由来するのだそうです。お土産屋さんを覗いたら、サモトラキ島に近いからなのかルーブル美術館のサモトラキのニケ像のお土産や街の灯台のお土産くらいしかありませんでした。でも、なんとも明るい街です。おまけに料理がとってもおいしかった。



お昼のレストラン。本当においしかった。街の人々にも人気のお店だったみたい。

街の人がひっきりなしに買いに来てました。



街では新鮮なお魚を売っています。ちっちゃなエイも売ってました。



食事がおいしくて海も空も青い。


アレクサンドロポリから国境まではあっという間でした。
ギリシャ北東部は余り日本では人気がないかもしれませんが
訪れてみると実に興味深い場所が多かった。
そして海が美しい。

財政難で遺跡が閉鎖されたり、発掘が止まってるのが心配だけど・・・


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参考文献

古代ギリシャ・時空を超えた旅(2016年東博展覧会図録)
図説ギリシャ・エーゲ海文明の歴史を訪ねて 周藤芳幸著 ふくろうの本
図説アレクサンドロス大王 森谷公俊著 ふくろうの本
古代ギリシャがんちく図鑑 柴崎みゆき著 バジリコ株式会社

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。