ペラ マケドニア王国の2番目の都 アレクサンダー大王が生まれたペラ 大王の故郷を訪ねました。 2018年10月、2019年12月訪問 写真はペラ遺跡、ディオニュソスの家 ![]()
アレクサンダー3世は即位して2年後の前334年に東方遠征を開始。 翌前333年にはペルシャ帝国のダレイオス3世をイッソスの戦いで破ります。 ポンペイ出土のイッソスの戦いを描いたというモザイク(ナポリ国立考古学博物館蔵) ![]() 敗走するダレイオス3世を追って前330年にはペルシャ帝国を征服 アムダリア川を越えてシルダリア川まで進み、ソグナディア(現タジキスタン)も征服 更にはインドにまで侵攻し、広大な領土を獲得します。大王と称されるのも当然の偉業を果たしました。 しかし、前323年、大王は熱病により32歳11か月の若さでバビロニアで亡くなります。 ![]() この若さで、しかも遠征出発後僅か11年間で大帝国を築いたアレクサンダー大王 何が彼を駆り立て、何が大遠征を可能にしたのか。 ![]() 上のポンペイ出土のモザイクは1世紀の作。没後400年近く経ってからのもの。 故郷にはアレクサンダー大王存命中や亡くなって間もない時期の肖像が残っています。 結構、丸顔で可愛い。ちょっとたれ目。大王は左右の目の色が違うオッドアイだったと言われています。
テッサロニキからペラ遺跡と博物館に向かいました。 ![]() ペラはテッサロニキの北西約38q。車で約1時間。 途中、綿花畑が延々と広がっていました。 ペラ遺跡と博物館
このため博物館で遺跡のお勉強をして、広大な遺跡でかっての姿を夢想する・・というのがお勧め。 実際には博物館から見学したのですが、博物館の展示品を交える形で遺跡から紹介します。 アゴラ 博物館から遺跡に移動中、車窓から撮ったアゴラ ![]() アゴラはギリシャ時代、市民生活の中心となった場。 政治・経済・文化・宗教の中心でした。 ペラのアゴラは200m四方の広さ。当時のギリシャで最大のアゴラだったといいます。 確かに凄く広い。 アゴラの周囲は2階建ての店や工房が並んでいました。 博物館で復元されていたアゴラの工房。壺が大量生産されていました。 ![]() ペラ遺跡に入ってすぐに現れるのがディオニュソスの家。 ディオニュソスの家 ![]()
博物館のメインホールで展示されている2つのモザイク
どちらも、とても大きなモザイクなので博物館の上の階から撮るのがおススメです。 なんとも優美なディオニュソス このモザイクが発見されたことからディオニュソスの家と呼ばれます。 ![]() 鹿を襲うグリフィン ![]() 美しいモザイクですが、モザイクに使われている石、特に周囲の石が大きいと思いませんか。 海に近いペラでは周辺から採れる石をそのままモザイクに使ったのだそうです。 ライオン退治をするアレクサンダー大王(右)と友人クラテロス(左) ![]() アレクサンダー3世の時代には実際にペラ周辺にライオンがいたのだそうです。 クラテロスはミエザの学園で共に学び、後に大王を支える将軍となりました。
遺跡に戻ります。ディオニュソスの館は実に広い。 王宮以外ではペラで一番大きな家だったそうです。 ![]() 道のように見えるのは家の廊下部分。 遺跡にあった復元図だと家はこんな感じ。2つの中庭があり、一部2階建て。 ![]() イオニア式の柱も美しい。 ![]() 幾何学模様のモザイクは大きな石を利用しています。 ![]() 集水槽 遺跡を進むとメインストリートに水を集めるための集水槽が残っていました。
公文書館 アゴラの南西の端にあった公文書館 ![]() 他にも屋根のある場所があるので向かいます。 ヘレンの家 ![]() 屋根の下にはオリジナルのモザイクが残されています。 冬場は保存のため砂で覆われてしまうので、2018年10月の写真。 ![]() ちょっと分かりにくいですね。水をかけたいけどそうもいかない。 こちらが説明写真。 ![]() 絶世の美女でトロイ戦争の発端となったヘレネ。 彼女が子供の時にアテネのテセウスに拉致された時のモザイク。このモザイクが家の名前の由縁。 なんとこのモザイクには作者のサインが残っています。オクリシス作。 博物館では実物大の写真展示がありました。 馬の躍動感が凄い。 ![]() 拉致される幼いヘレン ![]() この家からは他にもモザイクが見つかっていて、遺跡にオリジナルが残されています。 鹿狩りのモザイク
中央の鹿狩り部分 ![]() 最近見つかったというアマゾネスとの戦いのモザイク
遺跡で見学できたのは以上のみ。 しかも2019年12月に訪れた時はヘレンの家のモザイクは砂で保護されて見れませんでした。 ここからは博物館の展示品を紹介します。 博物館の展示品で目を引くのは既に紹介したモザイクですが、壁画も素晴らしい。 大理石を模したポンペイ様式の壁画や生き生きとした人物など・・・
ポンペイの発掘の方が先だったのでポンペイ様式と言われますがマケドニアはポンペイの400年前 王宮跡から見つかった柱頭 ![]() 屋根飾りやライオンの雨樋 ![]() ペラ遺跡の南西に位置するダロンの聖域(写真展示) ダロンとはペラで信仰されていた癒しの神。3つの穴から出るパワーを閉じ込めているのだそうです。 ![]() 他では見ない形状ですね。マケドニア独自のもの?実に興味深い。 聖域から見つかったモザイク ![]() 商業が盛んだったことを説明する部屋もありました。地中海交易が盛んだったそうです。 壺には産地を表示するスタンプを押していました。 ![]() 型を使った大量生産も行われていたのだそうです。
美しいテラコッタ製の小さな像
当時の女性たち
博物館の展示品の多くは遺跡付近の墓から見つかった副葬品です。 マケドニアでは棺を寝台に置き埋葬しました。写真中央がその寝台。 寝台の4隅(脚の部分)は必ず決まった模様で装飾されていました。 ![]() しかし寝台の台の部分には個性が出ています。 こちらは鹿を襲うグリフィン ![]() 副葬品には様々なものがありますが、やっぱり、マケドニアといえば黄金 付近の墓からは大量の豪華な黄金の副葬品が見つかっています。 ![]() 人が亡くなると魂が出て行かないように口や顔を黄金のマスクで覆って埋葬しました。 女性の墓からは見事な装飾品が大量に見つかっています。マケドニアの豊かさが偲ばれます。
男性の墓からは武器・防具が見つかっています。 マケドニア軍を支えた戦士たちだったのでしょう。マスクは、やっぱり黄金。
大王は遠征先で亡くなり、故郷に戻ってくることはありませんでした。 大王の死後、マケドニア王となったカッサンドロスが街を碁盤目状に整備しますが 前2世紀に街はローマの支配下に入り、 その後地震で衰退したそうです。 ヴェルギナ(アイガイ)を見る ギリシャと周辺の遺跡に戻る ![]() 参考文献 古代ギリシャ・時空を超えた旅(2016年東博展覧会図録) アレクサンドロス大王の父 原随園著 新潮選書 図説ギリシャ・エーゲ海文明の歴史を訪ねて 周藤芳幸著 ふくろうの本 図説アレクサンドロス大王 森谷公俊著 ふくろうの本 古代ギリシャがんちく図鑑 柴崎みゆき著 バジリコ株式会社 基本的には現地ガイドさんと添乗員さんの説明を元にまとめています。 |
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