ペラ遺跡とヴェルギナ遺跡(アイガイ)

アレクサンダー大王が生まれたマケドニア王国の都ペラ
大王の父と子が眠る旧都アイガイ
マケドニア王国の新旧2つの都を訪れました。
2018年10月訪問

写真はペラ遺跡、ディオニュソスの家


アレクサンダー大王ことアレクサンダー3世を生んだ古代マケドニア王国の本拠地はギリシャ北部。

ドーリス系と考えられている彼らは紀元前7世紀ころにオリンポス山の北麓に定住し、アイガイを最初の都とします。

彼らはヘラクレスの末裔でアルゴスから来たと自称していましたが、ギリシャのポリスとは異なる多くの習俗を持っていたそうです。そのためオリンピア競技会に出場しようとした時にはバルバロイ(野蛮人)扱い。ヘラクレスの末裔とごり押ししてやっと出場を認められました。

ペルシャ戦争ではペルシャに付きましたが、ペルシャ敗戦後も巧みに生き残ります。その後のギリシャのポリス間の抗争には加わらず、前5世紀末には都をペラに移し、ギリシャ文化の導入を図って国力の増強を図りました。

前4世紀には王位を巡る争いで異民族の侵入を招き、弱体化しますが、アレクサンダー3世の父フィリッポス2世が前359年に即位すると急速に勢力を拡大。
フィリッポス2世は一気にマケドニアを全ギリシャ同盟の盟主に押し上げます。
しかし、ペルシャ征伐を目指したフィリッポス2世は娘の結婚式の日に暗殺されてしまいます。

父を継いで前336年にマケドニア国王となったのが、若干20歳のアレクサンダー3世でした。

アレクサンダー3世は即位2年後の前334年に東方遠征を開始。
翌前333年にはペルシャ帝国のダレイオス3世をイッソスの戦いで破ります。
ポンペイ出土のイッソスの戦いを描いたというモザイク(ナポリ国立考古学博物館蔵)


敗走するダレイオス3世を追って前330年にはペルシャ帝国を征服
アムダリア川を越えてシルダリア川まで進み、ソグナディア(現タジキスタン)も征服
更にはインドにまで侵攻し、広大な領土を獲得します。大王と称されるのも当然の偉業を果たしました。
しかし、前323年、大王は熱病により32歳11か月の若さでバビロニアで亡くなります。



この若さで、しかも遠征出発後僅か11年間で大帝国を築いたアレクサンダー大王
何が彼を駆り立て、何が大遠征を可能にしたのか。


上のポンペイ出土のモザイクは1世紀の作。没後400年近く経ってからのもの。
故郷にはアレクサンダー大王存命中や亡くなって間もない時期の肖像が残っています。
結構、丸顔で可愛い。

ヴェルギナの父王フィリポス2世墳墓出土
おそらく20歳前のアレクサンダー(絵葉書)
 
 前325〜300年ころの大王像
ペラ博物館蔵

テッサロニキからペラ遺跡と博物館に向かいました。
ペラはテッサロニキの北西約38q。車で約1時間。
途中、綿花畑が延々と広がっていました。

ペラ遺跡と博物館



マケドニアの最初の都はペラより南のアイガイでした。ペラに遷都されたのは前5世紀のアルケラオス王の時代。ペラとは「黒い」という意味で、土地の豊かさを意味するそうです。土地が豊かなだけでなく当時のペラは海に面し、港もありました。現在は内陸に位置するのでちょっと信じがたいですが、アクシオス川が運ぶ土砂の堆積が海を遠ざけたのだそうです。2500年の時の流れが地形をも変えたのですね。遷都の目的は交易のため港を求めたところにもあったのでしょう。

フィリッポス2世は前382年、アレクサンダー3世は前356年7月20日にペラで誕生しました。

マケドニア王家はヘラクレスの末裔を自称していましたが、アレクサンダー3世の母オリンピアスはエベイロスの王女でトロイ戦争の英雄アキレウスの血を引いているとされていました。このためアレクサンダー3世はヘラクレスとアキレウスというギリシャ屈指の2人の英雄の血を引いているとして育てられます。そして、父が招いたアリストテレスを家庭教師とし、ミエザの学園で学びました。

右は博物館にあった遺跡の地図。ペラの人口は6〜7万人でアテネと同規模だったそうです。

王宮やアゴラ、いくつもの大邸宅、マケドニアの土着神ダロンの聖域などが発掘されているそうですが、発掘中などの理由で見学できる場所はごく僅か。私が見学できたのはアゴラの近くのディオニュソスの家とヘレンの家の周辺のみでした。
このため遺跡見学としては博物館で遺跡のお勉強をして、広大な遺跡でかっての姿を夢想する・・という形になります。でも、やっぱりアレクサンダー3世が暮らした王宮は見たかったなあ。

実際には博物館から見学したのですが、遺跡から紹介します。

ディオニュソスの家



ペラ遺跡に入ってすぐに現れるのがディオニュソスの家。

美しいモザイクが目を引きますが、この家からは他にも美しいモザイクが見つかっていて、ペラ博物館屈指の見どころとなっています。

左は遺跡にあった説明図。中庭を回廊が取り囲み、その周囲に美しいモザイクが施された部屋が並びます。
現地ガイドさんによると、美しいモザイクが施された部屋で、当時の商人たちが商談をしたのだそうです。そして、その奥に家人のプライベート空間があったということでした。

遺跡を見た第一印象はポンペイの邸宅に似ている・・・ということ。ポンペイはマケドニア王国より約400年後ですが、既にマケドニア王国時代に原型が出来ていたということでしょうか。
ポンペイよりずっと古いのに、ポンペイの邸宅より一つ一つの部屋が広い気がします。
ポンペイがローマ帝国の地方都市だったのに対し、ペラはマケドニア王国の都だったということによる違いなのでしょうね。

この家から発見された美しいモザイクは博物館に入ってすぐのところに展示されています。

博物館で展示されている美しいモザイク。遺跡から運ばれたオリジナルです。

豹に乗るディオニュソス
 
 ライオン退治をするアレクサンダー大王

どちらも、とても大きなモザイクなので博物館の上の階から撮るのがおススメです。

なんとも美しいディオニュソス
このモザイクが発見されたことからディオニュソスの家と呼ばれます。



ライオン退治をするアレクサンダー大王(右)と友人クラテロス(左)


アレクサンダー3世の時代には実際にライオンがいたのだそうです。
クラテロスはミエザの学園で共に学び、後に大王を支える将軍となりました。

遺跡に残る円柱



集水槽

遺跡を進むとメインストリートに水を集めるための集水槽が残っていました。

 奴隷の子が入って掃除していたそうです
 遺跡にあった説明写真。水道完備の街でした。


公文書館

アゴラの南西の端にあった公文書館
ペラのアゴラはギリシャ全土で最大の広さでした。


他にも屋根のある場所があるので向かいます。

ヘレンの家



屋根の下にはオリジナルのモザイクが残されています。


ただ、ちょっと分かりにくいですね。水をかけたいけどそうもいかない。
こちらが説明写真。


絶世の美女でトロイ戦争の発端となったヘレネ。
彼女が子供の時にアテネのテセウスに拉致された時のモザイク。このモザイクが家の名前の由縁。
なんとこのモザイクには作者のサインが残っています。オクリシス作。
この家からは他にもモザイクが見つかっていて、遺跡にオリジナルが残されています。

鹿狩りのモザイク
遺跡のオリジナル
 
 博物館の写真展示

最近見つかったというアマゾネスとの戦いのモザイク
遺跡のオリジナル
 
 説明写真

遺跡で見学できたのは以上のみ。
博物館の展示品を紹介します。


博物館の展示品で目を引くのは既に紹介したモザイクですが、壁画も素晴らしい。
大理石を模したポンペイ様式の壁画や生き生きとした人物など・・・

遺跡の邸宅から発見された壁画(前4世紀)
 
廟の壁画。 物語の一場面でしょうか

ポンペイの発掘の方が先だったのでポンペイ様式と言われますがマケドニアはポンペイの400年前


商業が盛んだったことを説明する部屋もありました。地中海交易が盛んだったそうです。
壺には産地を表示するスタンプを押していました。



アゴラから発掘された工房。壺が大量生産されていました。



型を使った大量生産も行われていたのだそうです。
   


美しいテラコッタ製の小さな像
   


ペラ遺跡の南西に位置するダロンの聖域(写真展示)
ダロンとはペラで信仰されていた癒しの神。3つの穴から出るパワーを閉じ込めているのだそうです。


他では見ない形状ですね。マケドニア独自のもの?実に興味深い。

しかし、やっぱり、マケドニアといえば黄金
付近の墓からは大量の豪華な黄金の副葬品が見つかっています。



人が亡くなると魂が出て行かないように口や顔を黄金のマスクで覆って埋葬しました。
女性の墓からは見事な装飾品が大量に見つかっています。マケドニアの豊かさが偲ばれます。
   


男性の墓からは武器・防具が見つかっています。
マケドニア軍を支えた戦士たちだったのでしょう。マスクは、やっぱり黄金。
   

大王の死後、前2世紀に街はローマの支配下に入り、その後地震で衰退しました。


ペラからマケドニア最初の都アイガイだったというヴェルギナ遺跡を目指します。
南に車で約1時間ちょっとで大王の父フィリッポス2世らの墓とされるヴェルギナ遺跡に到着。


ヴェルギナ遺跡(アイガイ

ヴェルギナ遺跡はテッサロニキの南西約80qのところに位置します。


マケドニア王国の最初の都アイガイとは「山羊」という意味。ヘラクレスの末裔であるペルディッカス1世が「山羊の導くところを都にしろ」との神託を受け、山羊に導かれて辿り着いた地とされています。しかし、アイガイがどこなのかは長い間不明で幻の都とされていました。
幻の都アイガイ発見のきっかけはヴェルギナの丘の上のビザンティン時代の教会を建てなおそうとしたところ前5世紀の遺物が出てきたこと。19世紀から発掘が始まりますが中々進まず、ようやく1977年になってテッサロニキ大学のアンドロポフ教授による本格的調査が始まります。この調査で4つの墳墓が発見され、2つは既に盗掘を受けていたものの残る2つは未盗掘で墓の中から豪華絢爛な副葬品が多数発見されました。この未盗掘の2つの墳墓が大王の父フィリッポス2世と大王の子アレクサンダー4世の墓とされ、この地が幻の都アイガイであると確定したのです。

4つの墳墓は埋め戻され、まるごと地下博物館となっています。


実に素晴らしい博物館ですが、残念ながら写真撮影禁止。
ミュージアムショップで絵葉書とか買おうと思っていたら、なんと早々に店じまいしていて大ショック。
仕方ないので遺跡前のお土産屋で絵葉書を買いました。

絵葉書の背景はヴェルギナ遺跡。今回は見学できませんでした。
右側上段はアレクサンダー4世の墓の入口。フィリッポス2世の墓はもう少し豪華。
墓は元々は人々が参拝できるようになっていましたが、
ローマ侵攻時に略奪を避けるために埋めて隠したのだそうです。
アイガイは地震によって1世紀以降衰退し、町も王墓も人々から忘れ去られました。


博物館最大の見どころはアレクサンダー大王の父・フィリッポス2世の墓と副葬品。フィリッポス2世が生まれたころのマケドニアは弱小国で、3男だった彼は若いころテーベで人質として暮らしたこともありました。しかし、彼の聡明さを見込んだテーベの人は、人質である彼にギリシャの戦法・陣形を教えたのだそうです。帰国後、兄たちが次々と亡くなり、前359年に23歳で即位。

王はギリシャの重装歩兵を改良し、長さ5mの槍を装着した密集歩兵部隊を考案。この歩兵部隊と騎兵を組み合わせたマケドニア軍は当時最強を誇ったそうです。軍事力だけでなく外交力も駆使して、王は領土を拡大。金鉱や木材そしてギリシャ北部の豊かな土地の開墾で国を富ませます。そして、即位後約20年でマケドニアを弱小国から全ギリシャの盟主へと成長させたのです。
右は王の墓から発見された象牙製の王の頭部。小さなものですが実に精密に彫られていて、王の精悍さを伝えています。絵葉書左下の写真を拡大してみました。ちなみに右下は同時に発見された若きアレクサンダー。

フィリッポス2世はペルシャ遠征開始目前に暗殺されます。同性愛のもつれという偉大な王にしてはあっけない最後でした。

フィリッポス2世は鎧兜を着けた姿で火葬され、遺骨はヴェルギナの太陽と呼ばれる16光線の太陽のレリーフが施された黄金の納骨箱に納められました。

墓からは火葬の際に焼け残った鎧兜や、王が使用していた剣などの武具や防具、そして豊かな黄金製の品々が見つかっています。
王は戦で右目を失明し、左足を負傷していたと言われ、副葬品がその特徴と合致していたことから、墓はフィリッポス2世の墓とされました。

もっとも今でも本当にフィリッポス2世の墓なのか争いはあるそうですが、素晴らしい墓なのは間違いありません。ヴェルギナ遺跡では、もう一つ未盗掘の墓が見つかっており、そこには10代の少年が葬られていました。大王の死後誕生し、前309年に暗殺されたアレクサンダー4世とされています。もちろん豪華でしたが骨壺は銀製で大王の子の墓にしては寂しいようにも感じられました。

下の絵葉書の下段中央はアレクサンダー4世の墓からの出土品



博物館には盗掘された墓2つも保存されています。盗掘で副葬品などは全て失われていたのですが、そのうちの1つの墓からは見事な壁画が発見されました。冥界の王ハデスがペルセポネを略奪するシーンが描かれています。前4世紀に、こんなに素晴らしい動きのある壁画が描かれていたとは驚き。他の壁面には娘の失踪を嘆くデメテル女神が描かれていて動と静の対比も見事。



これらの墓の発見から、ペラ遷都後もアイガイは祭儀の中心だったと考えられています。
実に素晴らしい、見ごたえのある博物館でした。
それだけに絵葉書、それも土産物屋の絵葉書でしか紹介できないのが実に残念。
土産物屋で本も2冊買いました。

7ユーロで購入(他の店は5ユーロだった)
博物館だけでなく遺跡も紹介
 
 19ユーロで購入
博物館については素晴らしい充実度

どうせなら博物館だけでなく遺跡も見学したかった。
フィリッポス2世の暗殺現場という劇場や宮殿跡が残っているそうです。
ヴェルギナからテッサロニキまでは車で約1時間でした。


若干20歳のアレクサンダー3世のペルシャ遠征が可能だったのは
父フィリッポス2世が遠征のための基礎を築いていたからのようです。
フィリッポス2世なくして大王の大遠征は不可能だったでしょう。
アレクサンダー3世自身の偉大さを否定することはできませんが
もし父王が暗殺されず自らペルシャ遠征を開始していたら
そしてアレクサンダーがもっと長生きしていたら
世界史はどう変わっていたのでしょう。


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参考文献

古代ギリシャ・時空を超えた旅(2016年東博展覧会図録)
図説ギリシャ・エーゲ海文明の歴史を訪ねて 周藤芳幸著 ふくろうの本
図説アレクサンドロス大王 森谷公俊著 ふくろうの本
古代ギリシャがんちく図鑑 柴崎みゆき著 バジリコ株式会社

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。