ハンピ
ヴィッタラ寺院と王宮跡

イスラム勢力に対抗するためのヒンズー教国の首都ハンピ
ヴィジャヤナガル王国の最高傑作と言われる寺院と王宮跡をまとめてみました。
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2008年12月訪問

写真はヴィッタラ寺院の石の山車(ラタ)




ヴィッタラ寺院



ヴィッタラ寺院は16世紀にクリシュナ・デーヴァ・ラーヤ王がオリッサに勝利したことを記念に建立した寺院で、ヴィジャヤナガル様式の最高傑作と言われています。

寺院は95m×164mの回廊で囲まれ、三方に塔門(ゴブラ)が造られており、境内には本堂の他にも多くの祠堂が建っています。写真は正面の塔門を入ってすぐの光景。正面の本堂の前にあるのは石造りの山車(ラタ)です。

   

元々、儀式に使われていた木製の山車(ラタ)を模して造られたものだそうです。山車(ラタ)の内部にはガルーダを祀っています。昔はこの山車(ラタ)の上部に煉瓦製のシカラがあったということですが、今では残念ながら失われており、本来は動いた車輪も現在はコンクリートで固められてしまっています。動かないのは残念ですが、全体の彫りは実に繊細で見事です。


山車(ラタ)も見事ですが、一番の見どころはやはり本堂でしょう。奥の聖堂の前に壁のない開放的なマンダパ(拝殿)があって、その柱が実に見事なのです。現在、本堂の中には入ることができないため、周囲から見るしかないのですが、柱の華麗さはため息もの。ヤーリーに乗る戦士や束柱(たばねばしら)、天井まで見事なレリーフで埋め尽くされています。

   


本堂の中に入れた頃は、叩くと違う音が響くミュージック・ストーンと呼ばれていた56本の列柱をガイドさんが叩いてくれたということです。どんな音がしたんでしょうか。それにしても、柱にここまでこだわりを見せたというのは面白いですね。暑い場所なので壁のないオープンな建物を建て、壁の代わりに柱を装飾したということなんでしょうか。

   


柱だけでなく、基壇部分もきれいですし、天井も素晴らしいです。
かって、この寺院には毎夜3000ものランプが灯されていたと言います。
ランプの光に照らされて、どんなに美しかったことでしょうか。





正面の塔門(左下)と境内を取り囲む回廊(右下)

   


本堂(左)以外にもいくつかの祠堂が並びます。
ガイドさんによると、内部が一段高くなっている本堂左手の建物は結婚式場だとか(左下)。
他にも音楽堂(右下)などもあります。基壇のレリーフが踊っている人達でした。

   


美しい建物に囲まれた空間です。本当にきれい。





ヴィッタラ寺院の近くにもバザールの跡が残っています。
寺院の周囲には未だ修復されていない建造物が多く、美しい彫刻が転がっていました。
かっては寺院の周囲も賑わっていたに違いありません。

   



キング・バランス

ヴィッタラ寺院のそばに「キング・バランス」と言われる不思議な建造物があります。
王様の体重と同じだけの貢物をするための秤だとか、
祭りの時にブランコを付けて神様を遊ばせたとも言われています。
この辺りは地面にもレリーフが彫られています。





王宮跡

ハンピには寺院跡が多く残りますが、首都だけあって城壁内には多くの遺構が残っています。

ヴィジャヤナガル王国は元々、イスラム勢力に対抗するためにヒンズー教徒が結束して成立した国です。

1336年に即位した初代王ハリハラ1世がハンピを都と定めて以降、代々の王は王都の防御を固め、100年近い年月をかけて強固な城壁で守られた王都を築きあげました。

いわばハンピは北から南下しようとするイスラム勢力の進軍を阻止するために造られた王都だったわえです。

ハンピを16世紀に訪れたポルトガル商人は「7重の城壁で囲まれた王都は世界一の防備を誇り、首都を貫く数本の大通りはいずれも長さが1キロほどあった」と書き残しています。
強固な防御を誇ったハンピも1565年に北方のイスラム連合軍に敗れ、王都は破壊されました。
城壁内の遺構は破壊されているものが多いですが、それでもかなりの見ごたえがあります。

写真は物見の塔。



王妃の浴室

王妃の浴室は王妃の沐浴場とも言われ、プールの周囲を回廊で囲んだ建物です。

今は水がないので分かりずらいですが、写真で人々が降りている場所がかってのプール。

15m四方の大きさがあります。

15世紀のアチュタルヤ王が造ったもので、王には50人以上の后がいて、后たちをここで泳がせ、その夜の相手を選んだのだとか。

回廊部分にイスラム風の美しいアーチが見られることから、この建物はインド・サラセン様式と呼ばれています。

ヴィジャヤナガル王国はイスラムに対抗するために出来た王国ですが、対抗しながらもイスラムの影響を受けているわけですね。

また、イスラムからの攻撃は常にあったようで、アチュタルヤ王の前王はイスラムに負け、娘を差し出しているのだそうです。

イスラムとの攻防の中でイスラムの影響を受ける浴室で泳ぐ后たちは、どのような気持ちだったんでしょうか。



マハー・ナバビ・ディッバ

   

マハーとは「偉大な」、ナバビとは「9」、ディッバとは「基壇」の意味です。今は22m四方、高さ10mの基壇が残るだけですが、元々は基壇の上に白檀やチークを使った建物があったそうです。

王や王族が、ここから行進等を見学したと考えられ、16世紀に訪れたポルトガル商人には「日が暮れると多くの松明が灯され、特に王が座る場所は松明で覆われ、大変優雅な演劇や催し物が披露された」と書き残しています。

ヴィジャヤナガル王国は宝石や香料・綿花等の交易で栄えたということで、基壇にはアラブとの交易を示すレリーフなどが彫られています。



階段池

幾何学的な模様が印象的な階段池
貯水池とも沐浴場とも言われています。





ロータス・マハル

ロータスとは「蓮」、マハルとは「宮殿」



ここは后たちが夏の暑い時期に涼んだ建物と言われています。1階は吹き抜けになっていて風が通るように工夫されており、2階に部屋が造られています。この1階部分にイスラムの影響のアーチが多様されていることから、この建物もヒンズーとイスラムが融合したインド・サラセン様式と言われています。基壇は花崗岩ですが煉瓦とモルタルで造られているそうです。

   



王妃の宮殿

基礎部分のみ残る王妃の宮殿

   

基壇しか残っていませんが、ここの基壇のレリーフも見事です。戦士や象が描かれています。
左の写真の左端に写っているのは物見の塔。色々な形の物見の塔がありました。



象舎と兵舎

隣接する象舎(左下)と兵舎(右下)

   

象舎(左)は15世紀に建てられたもので、中央部分が3階建て、両側に5つづつ部屋があり、イスラム風のアーチの部屋に象が住んでいました。3種類のドームが建物に変化をもたらしています。

すぐ横にあるのが兵舎。ヴィジャヤナガル王国の兵士達の鎧は金銀に輝き、象たちも綾織やサテンの布で華麗に飾られていたのだそうです。象舎は実に巨大でした。



ハザララーマ寺院



ハザララーマ寺院は城壁内にある寺院です。15世紀に建立されたもので王室礼拝所と考えられているようです。祀られているのはラーマヤナ叙事詩の主人公ラーマ王子で、柱や壁に彫られた多くのレリーフは見ごたえがあります。

   

ハヌマーンのレリーフもありました(左下)。クリシュナらしきレリーフもあります。
ラーマもクリシュナもヴィシュヌ神の化身とされています。

     


ハンピの建築物は柱の美しさが際立っているのですが
この寺院では壁のレリーフの美しさが目立ちます。
綺麗なレリーフの中にもハヌマーンっぽい猿がさりげなく描かれていて面白い。

   


この寺院の外壁には楽人や兵士・象などのレリーフが彫られています。
これは首都におけるマハーナヴァミの大祭の大行進を刻んだものなのだそうです。





ハンピはインドでは珍しい都市遺跡です。
修復されているのは、ごく一部ですが、それでも見どころが多い。
2日はかけて見学したい場所です。

ヴィッタラ寺院・王宮以外のハンピもまとめてあります。



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参考文献

ユネスコ世界遺産D(講談社)
世界遺産を旅する8(近畿日本ツーリスト)
21世紀世界遺産の旅(小学館)
インド神話入門(新潮社とんぼの本)

現地ガイドさんの説明を基本にまとめています。