プランバナン遺跡群

プランバナン遺跡群のうち、ロロ・ジョングラン以外の遺跡をまとめてみました。
ロロ・ジョングランはこちら→ロロ・ジョングランを見る。
チャンディというのは「寺院」「霊廟」の意味です。
2005年5月訪問


チャンディ・セウ

チャンディ・セウはロロ・ジョングランと同じ遺跡公園内にあります。
入口には2体のクベラ(守護神)が鎮座してお出迎え。
クベラはなかなかの大きさで愛嬌があります。




クベラの前を通って、参道を進みます。
   


チャンディ・セウの「セウ」というのは「千」という意味で、日本語に直訳すれば「千寺」となります。

ロロ・ジョングランの伝説で敵の王が建てようとした1000の寺院がここにあった、とされており、今はほとんどが壊れてしまっていものの、かっては240もの仏堂が並ぶ寺院だったそうです。
1000には及ばないものの、240というのは凄い規模ですね。

チャンディ・セウが建造されたのはボロブドゥールと同じころ、つまり8世紀後半から9世紀にかけて。
現地ガイドさんはチャンディ・セウは仏教寺院で「ボロブドゥールを建てた王の娘と結婚した王が建てた」と言っていました。

仏教寺院だとするとボロブドゥールを建てた仏教国シャイレーンドラ王朝の寺院なのかな、と思えますが、場所的にはヒンズー寺院であるロロ・ジョングランの本当にすぐそばに位置します。

ロロ・ジョングランを建てたマタラム王朝はヒンズー教を信仰したという説明でしたが、両王朝は、どのような関係だったのでしょうか。

地球の歩き方には仏教色の強いヒンズー教寺院と書いてあるくらいなので細かいことはもしかすると分かっていないのかもしれません。

しかし、仏教寺院かヒンズー教寺院か、ということになれば、やはり仏教寺院でしょう。

写真を見れば分かるように、寺院の屋根にはストゥーパ(仏塔)が乗っていますし、遺跡に残る仏像の印相が方角によって分けられており、それは密教の影響なのだそうです。



写真の中央祠堂には、かっては3mもの巨大な仏像が飾られていたのだそうです。しかし、金属製だったため、どこかに持ち去られてしまったとのことで、今では残念ながら石の台座しか残っていません。しかし、壁面には綺麗なレリーフが残っていました。仏の上には天人が舞っています。

   


寺院の中に残る仏像。



ツアー参加者の中に、このチャンディ・セウを10年位前に訪れたという人がいて「当時は瓦礫の山だった」「よくここまで修復復元したものだ」と驚いていました。日本で出版されている本にも古い写真がありますが、それを見ると、確かに瓦礫の山でなんにもないに等しいです。

かっては中央祠堂には屋根もなかったとのことですが、現在では中央祠堂に屋根もあります。遺跡の中で修復作業も行われていたし、現在も修復復元が進められているところなのでしょう。

私が訪問した後、インドネシアでは大地震が相次ぎ、ロロ・ジョングランの被害が日本でも報道されました。チャンディ・セウがどうなっているか心配です。また、瓦礫の山に戻っていなければ良いのですが・・・・。






チャンディ・プラオサン

チャンディ・プラオサンはチャンディ・セウの東約1キロほどの田園地帯にあります。
付近では羊が放牧されていました。



チャンディ・プラオサンは850年ころに建てられた仏教寺院で、かってはチャンディ・セウと同規模の大きな寺院だったということですが、現在は大きな仏堂が南北に2つ残っているほかは瓦礫の山となっています。

この寺院については碑文が発見されていて、シャイレーンドラ王朝のサマラトゥンガ王の娘ブラーモーダヴァルダニーがマタラム王朝のラカイ・ピカタン王に嫁いだこと、その王と王妃がこの寺院を建立したことが記されているそうです。

ラカイ・ピカタン王といえばロロ・ジョングランを建立した王です。
つまり、ピカタン王、ヒンズー教寺院を建てながら、仏教寺院も建てたことになります。

また、シャイレーンドラ王朝はボロブドゥールを建立した仏教王国です。

当時、ヒンズー教と仏教は融合が図られていたのでしょうか?

まあ、ヒンズー教では釈迦もヴィシュヌ神の化身とされるらしいから、いいのかもしれませんが。

仏教もヒンズー教の影響で密教化したというし・・・。

ひょっとして、仏教寺院かヒンズー教寺院かにこだわることもないのかもしれません・・・。
日本人だと、どこか引っかかってしまいますが・・・


この寺院、あまり訪れる人もおらず、ひっそりとしていますが、内部に6体の美しい石像が残っており、おすすめの場所です。


石像が残っているのは、南側の寺院。寺院の1階が3部屋に分かれていて、その部屋ごとに菩薩像が2体置かれています。かっては全て三尊仏だったのに、いずれも中尊仏が持ち出されてしまったのだそうです。きっと、チャンディ・セウの仏像のように金属製だったのでしょう。脇侍だけというのは寂しいですが、それでも6体の仏像には感激です。

中央の部屋に置かれている金剛手菩薩像(左)と観世音菩薩像(右)



破損しているのが残念ですが、優美ですね。

   



更に、外に出て北堂の先に進むと、今度は野ざらしになった仏様が・・・。ごらんのように、壇の上に、仏像がずらりと並んでいます。四角い壇のうち、入口にあたる東側を除く三辺に、このように仏達がずらりと並んでいるのです。日本のどこかで見たような、ちょっと懐かしい風景。




おそらく、かってはこの壇の上に柱が置かれ、屋根があったのでしょう。しかし、詳しいことは分かっていないらしいです。仏達についても同様に詳しいことは分かっていないとのこと。中にはヒンズーの影響が強いと思われる仏像も見られます。

その中で左下の写真の仏像は何ともいえず懐かしい雰囲気。日本の仏様に近い気がします。
また、この寺院の南堂は壁面のレリーフも見事です。美しい天人像が並びます(右下)。

   


クベラ(守護神)も残っていました。ここのクベラはちょっとカワイイ。






チャンディ・カラサン

チャンディ・カラサンはジョグジャカルタからプランバナン村に入る手前にあります。
国道沿いの遺跡で道路からも見学が可能

   

チャンディ・カラサンは8世紀後半に建造され、後に9世紀になって増築されたものだそうです。
仏教寺院ということですが、この寺院で有名なのは右上の写真のカーラ。漆喰も見事に残っていて、カーラの保存状態が大変いいことで知られています。周囲のレリーフも、よく残っていて綺麗。

このカーラ、よく見ると下あごがありません。この下あごがない、というのが中部ジャワの特色なのだそうです。

この寺院からも本尊は持ち去られています。石の光背のみが残っていますが、よく見ると光背にはカーラ・マカラ・象が彫られています。インドネシアの光背の特徴とのことで興味深いものです。




チャンディ・サリ

チャンディ・カラサンから国道を横切り小道を歩いて数分
民家の中にチャンディ・サリはあります。

   


ここの見どころは外壁の美しいレリーフ。



チャンディ・サリとは「美しい寺院」という意味。建立は9世紀前半とのこと。2階建てで、僧院もしくは瞑想の場として利用されていたらしいのですが、この寺院でも内部の仏像は全て持ち去られてしまっています。

しかし、この外壁の美しさだけで、十分、見る価値があるのではないでしょうか。左下の天人は実に愛らしい表情ですし、右下の天人が持っているのは弦楽器だそうです。

   




チャンディ・サンピ・サリ

チャンディ・サンピ・サリは他の遺跡とは離れた場所にぽつんとあります。




チャンディ・サンピ・サリは小さなヒンズー寺院です。綺麗に復元されていますが、見るべきものは外壁のドゥルガー・ガネーシャ・アガスティアの像くらいしかありません。

 ドゥルガー
 ガネーシャ
アガスティア
 

 この遺跡の意味は「6mもの火山灰の下から発見された」というところにあります。プランバナン遺跡群の遺跡は1006年の大噴火を始めとする数々の噴火や地震によって、あるものは地下に埋もれ、あるものは瓦礫の山と化してしまいました。この遺跡は、そんな歴史を物語るものです。
インドネシアと同じ地震国・火山国である日本人には、重く響く話です。




ラトゥ・ボコ(ボコの丘)

プランバナンの南にある丘、ラトゥ・ボコ
伝説のロロ・ジョングランの父王の宮殿があったとされる場所です。



ここからはロロ・ジョングランなどの遺跡を眺めることができます。階段を登るのは正直、ちょっときついですけれど、丘の上には喫茶店もあるので一服することもできます。

また、丘の上には本当に宮殿の跡があり、沐浴場や祠、砦などが残っています。9世紀中ごろのものではないかと言われているそうです。

   


プランバナン遺跡の華がロロ・ジョングランであることは間違いないにしても
その周囲の遺跡も、かなり魅力的です。
1日でロロ・ジョングランとあわせて見ることも可能です。



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参考文献

ボロブドゥール遺跡めぐり(新潮社 とんぼの本 田枝幹宏・伊東照司著)
この本はジャワ島の遺跡巡りに必携の本です。

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。