ローマ

永遠の都ローマ
長い歴史を持つ街は多くの顔を持ちますが
古代ローマをテーマに廻ってみました
2017年10月訪問

写真はコンスタンティヌスの凱旋門とコロッセオ


地下鉄コロッセオ駅を降りると目の前はコロッセオ。
コロッセオ周辺にはローマ帝国の威光を示す数多くの遺跡が残っています。

コロッセオ

コロッセオがある限りローマも存在すると言われたコロッセオ。今日も健在です。


猛獣と剣闘士の戦いや剣闘士同士の戦いなどが繰り広げられた円形闘技場。直径188m、短径156m、周囲527m、高さ57mという巨大な建造物で、収容人数なんと5万人。

コロッセオは72年にウェスパシアヌス帝によって着工され、その息子ティトウス帝の時代に完成しました。ウェスパシアヌス帝が亡くなりティトウス帝が即位した年にポンペイを壊滅させたヴェスビオ火山の噴火が起きています。

4層からなり、下からドーリア式、イオニア式、コリント式の柱で飾られています。下から3層目まではアーチ窓がありますが、4層目はアーチ窓はありません。最上層の4層目は日よけの幕を張るためのものだったそうです。

観客席は下の層ほど身分が高く、元老院議員階級、騎士階級、平民と分かれ、女性はウェスタの巫女以外は最上階からしか観覧できませんでした。出入口は80もあり、チケットに出入口の番号が記されていたそうです。

当初は模擬海戦も行われました。市民への娯楽とパンの提供はローマ帝国の国是。人々は剣闘試合に熱狂しましたが、実はキリスト教徒の迫害・処刑が行われた場所でもあります。

コロッセオの地下には猛獣の檻や道具置場、人の移動のための通路などが造られていました。


コロッセオのすぐ脇にはコンスタンティヌスの凱旋門が建っています。

コンスタンティヌスの凱旋門



コンスタンティヌスの凱旋門はローマに残る凱旋門の中で最も大きいもの。高さは25m。3つのアーチを持ち、ご覧のように見事な保存状態でもあります。
3世紀後半、拡大したローマ帝国は帝国を四分割し、複数の正帝・副帝が並び立っていました。西の副帝の庶子であったコンスタンティヌスは312年にローマを拠点としていたマクセンティウスを破り西の正帝となります。凱旋門は、この勝利を讃え、ローマ市民が贈ったもの。コンスタンティヌスの勝利はキリストの旗印を得てのものとされ、313年にミラノ勅令が出され、コンスタンティヌス帝はキリスト教を公認した皇帝となります。キリスト教徒弾圧の場だったコロッセオ近くにキリスト教を公認した皇帝の凱旋門が建っているというのは、何とも歴史のいたずらというか・・・・。

コンスタンティヌスの凱旋門は美しい装飾でも有名。
色々な建造物から持ってきてしまったものだそうです。

コロッセオから見た凱旋門
 
 中央アーチ付近の装飾

実はコロッセオからは凱旋門が良く見下ろせます。
特に凱旋門の上の方のレリーフはコロッセオから見る方が細部まで良く分かります。



コロッセオを背に西をみたところ。手前に凱旋門。正面にフォロ・ロマーノ



フォロ・ロマーノ

コロッセオ側のフォロ・ロマーノ入口。奥に見えるのはティトウスの凱旋門。
右手手前に並ぶのはウェヌスとローマの神殿の列柱


フォロ・ロマーノのフォロとは神殿やバジリカなどの公共的建物が集まる街の政治・宗教・商業の中心となった広場のこと。広場の東にはコロッセオ、西にはカンピドーリオの丘。フォロは両者の間、約300mにわたる幅100mほどの広場です。フォロの南はローマの建国者ロムレスが暮らしたとされるパラティーノの丘。丘に挟まれたこの土地はかっては沼地で人が住めず、墓地として使われていました。しかし、土木技術に優れたエトルリア人の王たちがローマを治めた紀元前6世紀に大下水溝が建設され、沼地の水をテヴェレ川に排水できるようになります。この干拓事業により、この地は神殿や戦勝記念碑を建てる場所として利用できるようになり、ローマの発展とともに広場は繁栄していきました。しかし、ローマ帝国が滅ぶと蛮族の侵入により破壊され、残った神殿等も建築資材として石材が持ち去られます。発掘が始まったのは19世紀のことでした。

カンピドーリオの丘に建つ市庁舎から見たフォロ・ロマーノ


少し角度を変えて撮ってみました。


カンピドーリオの丘に建つ市庁舎・カピトリー二美術館の連絡通路からはフォロ・ロマーノが非常によく見渡せ、絶景ポイントとなっています。フォロ・ロマーノが低地にあることも良く分かります。
左からセヴェルスの凱旋門、手前の3本の柱(2枚目の写真だと重なって2本に見えます)がウェスパシアヌスとティトゥスの神殿、その右の修復工事中の8本の柱がサトゥルヌス神殿。その奥に広がる中央広場の中に1本立つ柱はフォカスの記念碑。その背後にも多くの神殿等が並びます。

観光ではセヴェルスの凱旋門近くにある入口から入りました。
中央広場まで進んで見えた景色。凱旋門や神殿の柱が残ります。その背後にある建物が市庁舎。


市庁舎はローマ時代の公文書館(タブラリウム)の上に建っています。
市庁舎にあるアーチ型の窓からの景色が先ほど載せたフォロ・ロマーノの絶景。



左から8本柱のサトゥルヌスの神殿、フォカスの記念碑
3本柱のウェスパシアヌスとティトゥスの神殿
 
 セヴェルスの凱旋門
3世紀創建のパルティア人に対する戦勝記念碑

カンピドーリオの丘に接するフォロの西側には多くの神殿が並んでいました。8本の柱が残るサトゥルヌス神殿は紀元前5世紀初頭に創建されたという古い神殿で、現在の遺構は前42年に建て直され、後3世紀に修復されたもの。サトゥルヌスは農業の神でジュピター(ゼウス)の父。
3本柱が残る(重なって2本に見えます)ウェスパシアヌスとティトゥスの神殿は1世紀後半の皇帝に捧げられたもの。ウェスパシアヌス帝はコロッセオの建設に着工した皇帝で、ティトゥスは完成させた皇帝。ウェスパシアヌスとティトゥスの神殿の北側、セヴェルスの凱旋門の裏手あたりには土台しか残っていませんがコンコルディア神殿が建っていました。前3世紀末に建てられた神殿にはオリンポス12神の彫像が2つづつ対になって祀られていたそうです。
中央広場に1本立つフォカスの記念碑は東ローマ皇帝フォカスによって7世紀に立てられたものでフォロ・ロマーノの遺跡で最も新しいもの。フォカスはパンテオンを法王に捧げた人物。


中央広場を挟む形でセヴェルスの凱旋門からの道とサトゥルスの神殿からの道が2本通っています。

セヴェルスの凱旋門に通じる道に面してフォロ北側にはエミリアのバジリカがありました。


バジリカ(公会堂)とは裁判や商取引のための建物。天気が悪い時にもフォロに集まる人々が活動できるように屋根を提供する目的で建てられました。最初に建てられたのは前179年、その後、何度も修復されたそうです。16のアーチを持つ柱廊が二層に連なり、一階には銀行の店舗が入っていたとのこと・・・今ではほとんど面影がないですが、ところどころに美しいレリーフや柱が残っています。フォーリ・インぺリア通りの入口から遺跡に入ると最初に目にする場所です。

エミリアのバジリカを見ながらセヴェルスの門の近くに向かうと目に入る煉瓦造りの建物
元老院が決定を下すクーリアという建物で復元されたもの

クーリアは床のモザイクが見事ということですが時間がなくて行けませんでした。
今度は中央広場の南側に行ってみます。

 サトゥルヌス神殿に通じる聖なる道
 中央広場に残る記念碑

サトゥルヌス神殿に通じる聖なる道の南側にはユリウスのバジリカ
カエサルが建てたバジリカですが、基壇の他は余り残っていません。



次は中央広場の東側を見て回ります。
セヴェルスの凱旋門近くから撮ってみた中央広場東側。


写真左側、保存のための屋根が架けられているのがカエサルの神殿。暗殺されたカエサルが火葬された場所にアウグストゥスが建てた神殿ですが、正直セメントの塊のようなものしか残っていません。その右、写真中央付近の白い建物がウェスタの神殿。そして写真の右端、3本の柱が残るのがカストルとポルックスの神殿。神殿背後の小高い丘はローマ建国者ロムルスが暮らしたとされ、歴代皇帝たちも暮らしたパラティーノの丘。

カストルとポルックス神殿


カストルとポルックス神殿は既に前5世紀には建っていたとされる古い神殿です。

伝説によればローマを拓いたのは、トロイ王子アイネイアスの末裔にあたるロムレスとレムスの双子で、建国当初は近隣の種族を制圧同化しながら領土を広げました。
前7世紀からはエトルリア出身の王が3代続き、エトルリア人が土木事業に優れていたことからフォロのような低湿地帯の干拓や神殿建設が行われましたが、前6世紀に即位したエトルリア人のタルクイニウス王は驕慢王と呼ばれるほど人気がなく、古代ローマ人は王を追放して共和制を開きます。

この時追放された王とローマの間で激しい争いが起こりますが、どこからともなく現れた美しい双子がローマを勝利に導きます。更に、戦いの後、フォロの泉で馬に水を飲ましていた双子がローマの勝利を告げて姿を消しました。この双子をローマ市民はジュピター(ゼウス)の双子であるカストルとポルックスと信じて疑わず、双子神に捧げる神殿が建設されました。

神殿は何度も修理再建され、現在残っている3本の柱はティベリウス帝によって後6年に建てられたもの。

パラティーノの丘を背にしたウェスタ神殿


カストルとポルックス神殿の近くに立つ円形の神殿ウェスタ神殿。かっては20本のコリント式の円柱が丸く並んでいたそうです。現在は一部しか残っていませんが、曲線が美しい。

ウェスタは竈の女神。竈は家の中心であることから家族の守護神でもあります。ローマでは国は大きな家族とされていたため、竈の女神は国を守る女神とされ、この神殿ではローマの不滅性を示す聖なる永遠の火が巫女たちによって守られていました。
神殿の形が丸いのも、最古の住居が円形の小屋だったことに由来するそうです。

また、この神殿の奥にはローマの祖とされるトロイ王子アイネイアスがトロイから持ってきたパレス・アテネ女神像が置かれていたとの伝承もあります。パレス・アテネ女神像はローマの世界制覇を叶えるものと言われていました。

このような伝承からすると神殿の歴史はかなり古いと考えられますが、現在の建物は2世紀末にセヴェルス帝の妃ユリア・ドムナによって再建されたもの。セヴェルス帝はフォロ西の凱旋門を捧げられた皇帝でパルミュラを破り帝国の領土をメソポタミアまで広げました。息子はカラカラ帝です。

ウェスタの巫女の家


ウェスタ神殿の裏手にはウェスタ神殿に仕える巫女たちの家があります。

ウェスタの巫女の家は巫女が暮らすとともに、様々な祭事を行った場所。3つの池を有する長方形の中庭を囲む形で2階建ての建物が築かれ、中庭北側の列柱廊には歴代巫女長の彫像が置かれていました。

ウェスタの巫女は貴族の娘たちの中から選ばれ、定員は6名。6歳から10歳くらいになると巫女の修行を始め、30年の間、巫女として国家祭事全般を務めました。

巫女は純潔を守らなくてはならず、処女を失ったり、聖火を絶やしたりすると生き埋めの刑に処せられるという非常に厳しいものでした。

しかし、同時に巫女たちはその勤めに見合った特権が与えられ、最高行政官と同様に警吏が付き添い、円形闘技場でも普通の女性は最上階からしか観覧できなかったのに、彼女らには来賓席が用意されました。

彼女らは人々から最高の敬意が払われ、神聖な威厳の象徴とされていて、死刑囚も彼女らに会えば刑を免除されたのだそうです。

ウェスタの巫女の家の背後にある巨大なアーチはマクセンティウスのバジリカ
312年、コンスタンティヌスはマクセンティウスを破り、翌313年にキリスト教を公認します。



ウェスタの巫女の家からフォロ北側を見たところ
左の立派な神殿はアントニヌスとファウスティーナの神殿、右の丸い建物はロムルス神殿


アントニヌスとファウスティーナの神殿。ハドリアヌス帝に養子に指名され皇帝となったアントニヌスは五賢帝の4番目、ローマ帝国が安寧の世を謳歌していた時代の皇帝です。皇帝は妻ファウスティーナが141年に亡くなるとこの神殿を建て、皇帝が亡くなると皇帝も一緒に葬られました。この神殿の保存状態が良いのは後に教会とされたから。実は後世、建材にしようと柱を倒そうとしたものの堅牢過ぎたのか倒れなかったんでやむなく?神殿を教会に改築したんだそうです。神殿の柱には引き倒そうとロープを回した跡が残っています。ロムルスの神殿はマクセンティウス帝が幼くして亡くなった息子ロムルスのために建てた神殿で、帝が戦死したため未完成となっています。

アントニヌスとファウスティーナの神殿
 
 ロムルスの神殿

フォロはローマの繁栄とともに次第に手狭になり、歴代皇帝は次々と自分のフォロを建設しました。
フォロ・ロマーノの北には歴代皇帝のフォロ(フォーリ・インペリアーリ)が並び、
そこを通る道はフォーリ・インペリアーリ通りと言います。

フォーリ・インペリアーリ通りのフォロ・ロマーノ入口付近から見たコロッセオ


フォーリ・インペリアーリ通りに沿って、フォロ・ロマーノだけでなく多くの皇帝のフォロが並びます。

フォーリ・インペリアーリ

アゥグストゥスのフォロ


フォロ・ロマーノとフォーリ・インペリアーリ通りを挟んですぐ北にあるのがアウグストゥスのフォロ。前44年にカエサルが暗殺された後、カエサルから後継者の指名を受けていたオクタウィアヌス(後のアウグストゥス)はカエサルの弔い合戦をするにあたり、復讐心マルスの神殿とフォロを建設することを誓いました。勝利し、初代皇帝アウグストゥスとなって建てたのがこの神殿とフォロ。


カエサルのフォロ


フォロ・ロマーノの北に隣接するように広がるカエサルのフォロ。フォーリ・インペリアーリ通りを挟んでアウグストゥスのフォロと向かい合う位置にあります。このフォロの建設はカンピドーリオの丘の一部を切り崩す大工事でしたが、カエサルはガリア地方を制圧した時の戦利品によって工事を成し遂げました。フォロにはカエサルの属するユリウス家の始祖と伝わるウェヌス(ヴィーナス)に捧げた母なるウェヌス神殿が建てられました。ウェヌス神殿の柱が僅かに残っています。


トラヤヌス帝のフォロ


後98年に即位したトラヤヌス帝は軍人上がりで数々の遠征を繰り返し、ローマ帝国の領土を最大に押し広げた皇帝です。戦に強かっただけでなく、水道・港湾・道路などの公共建設事業を進め、福利厚生策をとって最高の君主と讃えられました。五賢帝の2番目の皇帝です。

トラヤヌス帝が築いたフォロは歴代皇帝のフォロの中でも最大規模。9000uの広さ。

フォロは107年から112年にかけて建設されましたが、その際、土地が不十分だったことからカンピドーリオの丘とクイリナーレの丘をつないでいた丘の一部が削られ、整地されました。

フォロの北西部にはウルビアのバジリカという名のバジリカがあり、その後ろにトラヤヌスの記念碑が立っていますが、この記念碑の高さは40mあり、削られた丘の高さと同じとされています。

この記念碑にはトラヤヌス帝がダキア地方(ルーマニア・トランシルヴァニア地方)遠征し、勝利した場面が彫られています。元々は柱の上には皇帝の像が置かれていましたが、後に聖ペトロの像に替えられました。

トラヤヌス帝のフォロと市場


トラヤヌス帝の市場と呼ばれる建物は広場の曲線に合わせて曲線を描き、3階建て。1階は11に分けられ、2階は屋根付の回廊式、3階はテラスになっています。市場と呼ばれていますが、本当の用途は不明。路面に荷車が通った跡はなく、各階の行き来は階段を使わないといけないため、実際には市場じゃなかったんじゃないか、とか、貴金属や金融業が入っていたんじゃないか、とか、最近ではフォロの一部の役所だったんじゃないか、という説も出ているそうです。




フォーリ・インペリアーリ通りの先はヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂
カンピドーリオの丘に建つイタリア統一を記念する建物


フォロ・ロマーノやフォーリ・インペリアーノを散策していると目に入ってくる建物です。
カンピドーリオの丘は他にもカピトリー二美術館など見どころがたくさんあります。
カンピドーリオの丘は独立してまとめました。

パンテオンも見たくて少し離れた場所ですが足を伸ばしました。

パンテオン

現存するローマ建築の中で最も完全な姿を留めるパンテオン


パンテオンとは「万神殿・全ての神々を祀った神殿」という意味。初代皇帝アウグストゥスの側近アグリッパがアウグストゥスに捧げる神殿を建てようとしたものの、市民の反発を避けるためオリンポスの神々に捧げる万神殿として前27年に建てたもの。初代パンテオンは後80年に火災で焼失。その後、118年にハドリアヌス帝が再建したのが現在の建物です。入口には「アグリッパが3度目の行政官に選ばれた時にこの神殿を建てた」とラテン語で記されていますが、これはハドリアヌス帝が記念として残したもの。ハドリアヌス帝は五賢帝の3番目の皇帝です。
かって正面破風を飾っていた彫刻は失われているものの、ローマ時代の建物でこれだけ保存状態の良いものは他になく、また石造建築物として世界最大。これだけ保存状態が良いのは7世紀にビザンティン帝国のフォカス帝が法王ポニファティウス4世に献上し教会とされたから。




パンテオン正面には高さ14mのエジプト産花崗岩の列柱が並び、その先には円形の巨大な無柱空間が広がっています。

中に入って目を奪われるのが巨大なドーム。しかも、屋根のドームには直径9mの穴が開けられていて、そこから陽の光が差し込む造り。

ドームの直径は直径43,3m。パンテオンはドームの直径と同じ直径43,3mの球がすっぽり収まる・・・という構造をしています。

どうして2000年も前に、このような建物を建築する技術があったのか。鉄筋もないのに、どうして巨大なドームが落ちてこないのか・・・。

周囲の壁には膨大な石材の重量を分散するためのアーチが埋め込まれ、壁の厚さが6,2mもあるとか、上部は軽くなるように軽石の骨材を使い、開口部の厚さは1,5mと薄くなっているとか、古代ローマのセメント工法が駆使されているとか、色々説明はされるんですけど、ともかく驚異的な技術で圧倒されます。

それだけでなく何とも言えず美しいドームです。
豪華な素晴らしい空間。

ハドリアヌス帝は独創的な建築物を築いたことで有名ですが・・・
皇帝の代表的建築物と言えるかもしれません。

床は美しい大理石


7つの壁龕と8つの小祭壇が設けられています。
かってはオリンポスの神々を祀った場所にキリスト教の祭壇が置かれています。


パンテオンにはラファエロ、ウンベルト1世、エマヌエール2世の墓もあります。

ラファエロの墓の上の聖母子像
 
 こちらはキリスト教の宗教画が飾られた小祭壇

パンテオンはローマを代表する広場のひとつ、ナヴォーナ広場近くにあります。

ナヴォーナ広場



四大河の噴水など見事な噴水で有名ですが、実は3世紀にドミティアヌス帝が建設した競技場の跡地
3万人を収容したとされる観客席部分に後世の建物が建ち並んでいます。

広場の中心・四大河の噴水のオベリスクはアッピア街道のマクセンティウスの競技場からの出土品
   

四大河の噴水


広場の北にあるネプチューンの噴水
裏手の建物がカーブしているのは競技場のカーブの名残


ローマって、凄いなあ。

コロッセオは予約券を買っておくと長時間並ばないで入ることができます。
フォロ・ロマーノは正直駆け足の観光でした。
石一つにも歴史があったりするので、
じっくり見ようと思ったら丸一日でも足りないのかもしれません。
パラティーノの丘も行きたかったんですが見どころが閉まってたので諦めました。
パンテオンは少し離れた場所にありますが足を伸ばして良かった。


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参考文献

ローマ古代散歩 小森谷慶子・小森谷賢二著 新潮社 トンボの本
過去と現在 ローマ 日本語版(遺跡で購入)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。