アンジャル

アンチ・レバノン山脈の麓
ウマイヤ朝の城壁都市アンジャル。
2003年7月訪問

写真は宮殿址


アンチ・レバノン山脈の麓、ベガー高原にアンジャル遺跡はあります。水が豊かなこの地は昔からダマスカスとベイルートを結ぶ中継地点として栄えていました。8世紀にダマスカスに首都を置いたウマイヤ朝のカリフ(太守)アル・ワリード1世は、この地を保養所と定め、宮殿を建築し、計画的に城壁都市を建設します。

列柱道路



ワリードは長方形の敷地を城壁で囲み、東西南北を貫く十字の大通りを築き、城壁の東西南北に門を置きました。十字の道によって、街は4区画に分けられ、南東区画は宮殿とモスク、南西区画は居住区、北東には第宮殿、北西には公衆浴場といった形で街が築かれました。

写真は大通りに残る列柱。円柱の上をアーチでつないでいます。柱は巨大なものではなく、むしろ繊細な印象を受けました。そして、街の中央、東西に貫く道と南北に貫く道の交差する地点には四面門が残っていました(右下)。

   

四面門というのは基壇の上に四本の柱を置いて1組とするものです。かっては交差点の東西南北に四基の四面門が置かれていました。パルミラに残る四面門と同じ構造だったと思われます。



宮殿

アンジャルで復元された宮殿址。

太守アル・ワリード1世が保養所として建築した宮殿です。

714年から715年ころにかけて建てられたと考えられています。

印象的なのはアーチ。繊細な美しさです。
アーチが2段になっているというのは、2階建てだったのでしょうか。

この建物はビザンティン時代の聖堂建築の様式で建てられているのだそうです。
8世紀にはイスラム建築様式は、まだ確立されていませんでした。イスラム教徒はビザンティンやローマの建築を学んで、自分たちの様式を創っていく過程にあったわけです。

また、興味深いのが宮殿の壁。
建物の壁は煉瓦と切石が交互に積まれています。
バームクーヘンのような綺麗な壁になっていて、装飾効果を狙ったようにも思えますが、実は、これは地震対策。

このように層を重ねることで、地震の時、緩衝装置として働き、建物を地震から守ったのだそうです。



街の建物にも地震対策が施されています。
宮殿の背後の緑も美しい。




計画的に造られたアンジャルですが
8世紀半ばにウマイヤ朝が分裂すると放棄されたようです。
僅か40年の儚さでした。




アンジャルは訪れる人も少なく
決して派手な遺跡ではありません。
世界遺産となったのは、その歴史的価値によるところが多いのでしょう。
それでも繊細な、なんとも言えない風情のある遺跡です。


西アジアの遺跡に戻る



参考文献

ユネスコ世界遺産(講談社)
世界遺産を旅する10(近畿日本ツーリスト)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。