シパン

北ペルーのチクライヨ郊外、ライバイケにシパン遺跡はあります。
紀元前後から後700年にかけて栄えたモチェ文化の遺跡です。
1987年、ツタンカーメン以来と騒がれるほど大量の金製品が発掘されました。
2011年9月訪問

写真は発掘時を再現したレプリカ


 モチェ文化は紀元前後から後700年にかけて北ペルーで栄えた文化です。かってはランバイケより南に位置するトルヒーヨ近郊モチェ川流域で太陽のワカ・月のワカを築いた人々が北ペルー広域を支配したのだと考えられていました。しかし、ランバイケ地方でシパン王墓などの発掘が進むにつれ、ランバイケ地方の勢力の大きさが明らかになってきています。

このため近時は、@モチェ川流域の支配者と血縁関係にある者がランバイケ川流域に移ったのだという説や、A同時期にモチェ川流域の支配者とランバイケ川流域の支配者が協力しながら発展し、モチェは南に、ランバイケは北に勢力を伸ばしたが、最終的にモチェが優越したのだという説が有力となっています。

下はシパン王墓が発掘されたワカ・ロハーダの復元図。2つの隣接する神殿(右)と王墓(左下)からなります。左下の王墓からは既に15の墓が発見されており、私が訪ねた2011年9月には16番目の墓を発掘中でした。男性の墓だけでなく女性の墓も発見されています。



実際のワカ・ロハーダは復元図を見ないと往年の姿を想像することすらできません。
単なる泥の山です。
右下は神殿部分、左下は神殿から王墓を眺めたもの。
   

 モチェの神殿はアドべと呼ばれる日干し煉瓦で築かれているため脆く、繰り返されるエル・ニーニョにより、すっかり元の姿を失っています。人が作ったものとは思えない巨大さですが、大量の金が埋まっていると想像するのも困難です。

写真はシパン王墓(650年から700年ころ)

発掘当時を再現したレプリカです。
実際の発掘現場に再現されています。

中央の多数の副葬品とともに葬られているのがシパン王。豪華ですね。
もっとも、モチェの金は銅の含有量が多かったので、発掘当時はこんなに金ぴかではなかったはずです。
副葬品については、埋められる前の姿に復元されているみたいですね。
金・銀・トルコ石・貝殻・・・よく盗掘されなかったものです。

多数の殉死者がいます。
王の左右に男性、若い女性3人、子供1人。
リャマや犬も発見されています。

右上に一人横たわる男性は護衛役の兵士ではないかと言われていますが足首から先が切られています。ここに留まって王を守れということでしょうか。

更に左上の壁には見張り役と思われる兵士が座っています。
 

遺跡から発見された副葬品は、ランバイケのシパン王墓博物館で展示されています。王墓から発見されたものだけで大きな博物館ができてしまうのですから、ツタンカーメン以来の大発見と騒がれたのも大げさではないかもしれません。

シパン王墓博物館は素晴らしい博物館で、副葬品の豪華さ、工芸品の技術の高さに圧倒されますが、残念ながら写真撮影禁止。荷物やカメラのチェックも厳しいです。

展示品の豪華絢爛さを考えると仕方がないことかもしれませんが・・・シパンの素晴らしさを説明できないのも残念です。

そこで、本物には及ばないもののレプリカを使って説明します。

まず、王の目鼻は金で出来た目鼻を象ったもので覆われています。顔の下半分も隠されていますね。

耳飾りは金とトルコ石でできています。人物や動物等のモザイクが見事でした。

首には落花生を連ねたような形の金と銀の首飾りをしています(実はトウモロコシだとか)。

トルコ石や貝殻のビーズで編んだ首飾り(胸飾り?)も見事。

お腹のあたりに2つ金で半円状の物がありますが、これはガラガラ。鈴みたいに音がするもの。

腰から足にかけて金と銀で銀杏の葉の裾を広くしたような形のものがありますが、これは腰飾り。
王の体の右側と頭の右側に大きさは違うものの同じような形の金製品がありますが、これは頭飾り。



遺跡に戻って、次は神官王と呼ばれる王の墓。こちらも妻、子供、殉死者・・・
子どもと一緒に何故か犬とヘビも 
   



次は古代王の墓。

後100年ころのものと言われており、シパンで一番古い王の墓です。

この古代王とシパン王は科学調査の結果、血縁関係にあることが確認できたそうです。

シパン王家が存在していたといっていいみたいですね。

さて、この古代王の墓、一見地味で、何の写真だ、面白くもない、と言われるかもしれませんが、実はこれが凄い。

シパン王墓博物館の展示品の中でも、ここからの出土品は芸術的にも技術的にも素晴らしいものばかりなのです。

たとえばクモのネックレス。細い金線を利用した繊細な作品で、現在でも同じものを作るのは大変なんだとか。

他にもカニの神?やタコの神?
こう聞くと笑ってしまうかもしれませんが、これがまた凄い。芸術性が際立っている。


余りの素晴らしさに、私は高いお金を払ってシパンの本(しかも英語)を買いました。タコとカニに惚れました。

その本が下の写真。左下が表紙でシパン王の墓の発掘現場と発掘されたトルコ石と金の耳飾り。
右下は背表紙。古代王の墓から発掘されたもの。擬人化されたネコ科動物の神像で、夜の神か夜の神の代理の神秘的な生き物なのだそうです。吊り上った目や爪の鋭い手足。そして頭に被っているのは双頭の蛇。この双頭の蛇は後のシカン時代にもよく使われています。

   


ペルーで高いお金出しただけでなく、帰国後もアマゾンで探して右の本を買いました。

1999年から2000年にかけて日本で開かれた展示会のカタログです。

ペルーで買った本は写真が非常に多くて、もちろん満足していたのですが、いかんせん全編英語は厳しい。日本語の本が見つかってラッキーです。

しかも、この本の表紙は、私が惚れ込んだ古代王の墓から見つかったカニの神?のアップです。
(タコは日本には来なかったようです)

この本では「カニの怪物」と説明されていました。眼の力強さとカニのハサミが印象的。

首に巻いているネックレスはフクロウの頭を連ねたもの。

この像は打ち出した金属板を溶接し、さらに象嵌を施しているのだそうです。
アップで見ると技術の見事さがよく分かります。

後100年ころに凄い技術があったものですね。




遺跡のそばにもシパン博物館という小さな博物館があります。ここは写真撮影が自由です。

かっての王の姿を復元した人形がありました。
金ぴかでまぶしいです。

王は金片を編んだ服をまとい、首から胸にかけて貝殻のビーズで編んだ白と赤の胸飾りを付け、その上に、ジャガーでしょうか、ネコ科の動物の仮面を連ねた胸飾り、耳には巨大な耳輪、
鼻の下というか口を覆う金飾り、金の頭飾り、更に手にする杖も金ぴかです。

王は他にも多くの装飾品を身に着け、その中には鈴のように音がするものもありました。
金ぴかな上に音もするわけです。

ここまで装飾品を付けていたため、王の首や背骨には障害が生じていたとか。

王は人前では歩かず、輿に乗って移動していました。

歩かないためでしょうか、銀のサンダルも発見されています。



 展示品からはモチェの世界観・宗教観を見ることもできます。モチェで特徴的なのは多くの神がいること、動物が神になったりしていること、動物と人間が一体化したような半人半獣の像の多さ。

最高神は創造神でもあるアイ・アパエック。ヘビやコンドルと一体化されて表されることもあります。
クモはアイ・アパエックの一番弟子とされ、魔術師の神でもありました。

デカピタドールはコウモリ・クモと一体化していて、犠牲者の首を持つ姿で描かれることが多い神。「首切り人」の意味だそうです。雨乞いの儀式の際に描かれることが多いようです。

フクロウは神官の守り神。シカは狩猟民族の神・若さの神、イグアナは死の神。狐は土地の神。
カニは川の神。タコは海の守り神・・・・。


不思議な姿のものが多いです。

   


   


身近な植物や生き物の土器はかわいい。トウモロコシやフクロウ。
   



最後に写真撮影禁止のシパン王墓博物館。
ワカ・ロハーダに行かずとも、ここには行くべし。


モチェの神々の不思議な造形や金色の光にくらくらします。
正直、こんなに面白いとは思いませんでした。



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参考文献

古代アンデス 神殿から始まる文明(朝日新聞出版・大貫良夫/加藤泰建/関雄二 編)
沈黙の古代遺跡 マヤ・インカ文明の謎(講談社+α文庫・増田義郎監修・クォーク編集部編)
黄金王国モチェ発掘展(TBS)

参考文献が少なく、基本的に現地ガイドさんの説明を紹介しています。
今後、発掘調査が進めば、全く違う事実も出てくるかもしれません。