ラホール城

ムガール帝国最盛期の皇帝達の城
帝国の栄華を語る城は危機遺産でもあります。
最大の見どころである鏡の宮殿は独立してまとめました。
2015年1月訪問

写真はアラムギリ・ゲート


ラホール城はムガール帝国3代アクバル大帝が建設を始め、その後、4代ジャハンギール帝、5代シャー・ジャハーン帝、6代アウラングゼーブ帝が建設を続けた城です。

3代アクバル大帝はムガール帝国の覇権を確立した皇帝です。彼はインドのデリーからアグラに遷都しアグラ城を建てますが、元々要塞だったアグラ城の暮らしを嫌い、アグラ郊外のファテープル・シークリーに都を移します。しかし、そこも14年で放棄し、ラホールに遷都し、1566年にラホール城を築きます。
その後、ラホール城は4代5代6代と歴代皇帝によって建設が続けられますが、その時期はムガール帝国最盛期と一致します。ラホール城はムガール帝国最盛期の城と言えるわけです。


城内にあった案内図と城の建設に携わった歴代皇帝

 ラホール城全体図

 上左 3代アクバル大帝  上右 4代ジャハンギール
下左 5代シャー・ジャハーン 下右 6代アウラングゼーブ

ラホール城は西門にあたるアラムギリ・ゲートから通常は入ります。
アラムギリ・ゲートは6代皇帝がバードシャーヒ・モスクに向い合う形で建てた門。
きっとモスクと同時に建てたのでしょう。モスクとの間は庭園になっています。
しかし、私が訪れた時はアラムギリ・ゲートは修復中で裏門から入ることとなりました。

バードシャーヒ・モスクから見たアラムギリ・ゲート
 
裏門
 

裏門は堅固な造り。

裏門を入ると綺麗な門がありました。シャー・バージ・ゲート。
傷みが激しいですがタイルの装飾が施されていて、かってはさぞ美しかったに違いありません。



門を抜けて、しばらく坂道を登ります。

荒れているけど風情があるかな・・・
 
 アラムギリ・ゲートの裏あたり


坂道を登りきると広々とした公園のようになっていて建物が見えました。
5代シャー・ジャハーンが建てたディワニアームです。

ディワニアーム(謁見所)




正面から見たディワニアーム
2つの大砲はイギリス時代のもの


ディワニアームは3代アクバル皇帝が建てた宮殿に付属する形で5代皇帝シャー・ジャハーンが建設した謁見所です。この謁見所の裏がアクバル大帝の時代の宮殿となっています。そのためか城内の位置を示す案内図にはアクバル大帝とシャー・ジャハーンの肖像画がありました。

このディワニアームは皇帝が臣民の謁見を受けたり、裁判を行ったりした場所。40本の円柱をアーチで連結した列柱ホールとなっています。ただ、残念なことに19世紀の砲撃で破壊され、残っているオリジナルの円柱は40本のうち、わずか9本ということです。それでも謁見のためのバルコニーは見事。シャー・ジャハーンは愛妃ムムターズのためにタージ・マハルを建設した皇帝です。このバルコニーも白大理石を好んだシャー・ジャハーンらしい装飾的なバルコニーに思えます。

城内案内図
 
 謁見のためのバルコニー


裏がアクバル大帝の時代の宮殿だというので裏に廻ってみたら・・・・
凄まじい荒廃ぶりです。現地ガイドさんによると現在修復中とのことですが・・・。

 
 

実は、ムガール帝国には「7代目までは安泰」という予言がなされていました。ムガール帝国は3代アクバル大帝から6代アウラングゼーブ帝の時代に最盛期を迎えますが、6代アウラングゼーブ帝が1707年に亡くなると帝国は急速に衰え、7代皇帝の短い治世の後、力のない皇帝が続き、ラホールはアフガン族に奪われ、1770年にはラホール城もシーク教徒の王国に売り渡されてしまいます。予言が的中したことになります。

シーク教徒に渡った城は略奪の限りを尽くされ、その後の戦いでは戦場にもなり、荒れ果ててしまいました。城の保護修復が始まったのは20世紀に入ってからのこと。このため、ラホール城の保存状態は全体的に悪く、修復されているのはごく一部。危機遺産でもある世界遺産なのです。

気を取り直して・・・・
ディワニアームの裏は4代皇帝ジャハンギールの庭園と宮殿があります。


4代皇帝ジャハンギールの庭園と宮殿

ジャハンギールの庭園と庭園に面するジャハンギールの寝室。
ジャハンギールの寝室の右の建物は夏の宮殿、写真右端は王妃の部屋。


4代皇帝ジャハンギールは実はあんまり評判の良い皇帝ではありません。アクバル大帝の長男でありながら、何度もアクバル大帝に反逆を繰り返しました。ただ、他の息子がいなかったことから、アクバル大帝の死後、4代皇帝となります。
余り出来が良くなくて新しいことをする気もなかったのか、ジャハンギールは父アクバル大帝の政策を踏襲し、その結果、帝国の繁栄は続きます。

ジャハンギールは領土を失ったりもしましたが彼の治世でペルシャ文化の流入が進み、独特の文化が生まれます。

ムガール帝国は2代フマユーンの正妃がペルシャ人だったこともあり、ペルシャの影響を受け、ペルシャの亡命貴族も受け入れていました。

ジャハンギールは皇子時代にペルシャ亡命貴族の娘に恋をします。
父アクバル大帝の反対により、二人は結婚できず、娘は他の貴族に嫁ぎますが、彼女の夫の死後、再び二人は出会います。

皇帝となっていたジャハンギールは彼女を正妃として迎えました。彼女の名前はヌール・ジャハーン。才色兼備の女性だったといいます。


彼女の影響も大きかったのか、ペルシャ文化の流入は進み、ムガール帝国に大きな影響を与え、絵画・建築・風俗など様々な分野でインド・ヒンドゥーとペルシャ・アラビアの融合が進むこととなったのです。


ジャハンギールの庭園はペルシャ風の四分庭園
田の字型に分割された広大な庭園です。
かっては噴水が美しかったことでしょう。
ジャハンギールの寝室は庭園に面し、アクバル大帝の宮殿と向かい合っています。



現地ガイドさん曰く、庭園の真ん中で女性が踊り、皇帝はそれを見て楽しんだのだとか。


ジャハンギールの寝室は今は博物館になっています。
タージマハルの模型や、ミニアチュール(細密画)などが展示されています。
ミニアチュール(細密画)はジャハンギール帝の時代に成立しました。



博物館は残念ながら写真撮影禁止
なんと停電中(パキスタンは電力不足)で懐中電灯で見学しました。
でも、ミニアチュール(細密画)もアラビア・ペルシャ文字も素晴らしかった。


ジャハンギールの寝室の右隣に建つのは夏の宮殿
皇帝が夏、城の外を眺めたという建物です。
似た建物がアーグラ城にあった気がします。それにしても傷みが激しい。


修復されれば、かなり美しい小館になると思います。もったいない。

 面白いのは地下室?1階?があること
夏は上で、冬は下で過ごしたのだとか。
 赤砂岩の美しい透かし彫り。
それだけに落書きの跡が痛々しい。


王妃の部屋

ヌール・ジャハーンのための建物でしょうか。



ここも荒れ果てていますが、良く見ると赤砂岩の彫りが実に見事です。
彫りの見事さはファテープル・シークリーを思い出しました。庇に象が彫られているのもインド風。
   


ラホールの博物館にヌール・ジャハーンの肖像画がありました。


ご覧のとおりの美女です。これで頭が良かったというのだから文句なしの才色兼備です。

それだけでなくジャハーンギール帝の虎狩りに同行した時、象の背の輿から6発撃って1発も外さず4匹の虎を仕留めたという逸話もあるというのですから、もう怖いものなしです。

ジャハンギール帝は不摂生が祟ったのか体調を崩し、彼女が政治を動かすようになります。
彼女は皇帝の体を案じ、皇帝も彼女を自分の一番の理解者として大事にしていたようですが、彼女が前夫との間に生まれた娘を皇帝の息子の一人と結婚させようとしたことから、帝国内部で次期皇帝を巡る争いが生じることとなります。

5代皇帝となるシャー・ジャハーンは、この時、反旗を翻し、以後5年間、父ジャハンギール帝が亡くなるまで戦いと逃走の日々を送ります。

その時、シャー・ジャハーンと行動を共にした愛妃ムムターズは、実はヌール・ジャハーンの弟の娘、つまり姪にあたります。美人の家系。

結局、帝位を巡る権力闘争に勝利したのはシャー・ジャハーンでした。対立していたヌール・ジャハーンでしたが、年20万ルピーの年金生活を送ったそうです。勝ち組の人生?


ジャハンギールの庭園・寝室の西隣にあるのが5代シャー・ジャハーンが建てた宮殿です。

5代シャー・ジャハーン帝の庭園と特別謁見室

白大理石を愛したシャー・ジャハーンらしい美しい建物



ここだけ案内図を撮るのを忘れたみたいなので、自分で作ってみました。
ジャハンギールの庭園・寝室のすぐ西隣に5代皇帝シャー・ジャハーンの庭園とそれに面した特別謁見室があります。

そして、庭園を挟んで反対側に、シャー・ジャハーンの寝室があります。

5代皇帝シャー・ジャハーンは愛妃ムムターズのためにタージ・マハル廟を建てたことで有名ですが、彼は文武に優れた皇帝だったようで、幼い時から祖父アクバル大帝に目をかけられていたそうです。
シャー・ジャハーンはデカン高原を征服し、帝国の安定を築きました。

横から見た特別謁見室

高官との謁見用に造った建物だそうです。


綺麗だったので、近くからも撮ってみました。
シャー・ジャハーンの時代になると、建物が突然優美になる気がします。



3代アクバル大帝は赤砂岩を利用し、4代もそれを踏襲していますが、5代シャー・ジャハーンは白大理石を好みました。この特別謁見室(ディワニ・ハース)はアーグラ城のハース・マハル殿をモデルに全てが白大理石でつくられたもので、かっては輝く黄金で装飾され、至る所に宝石や半貴石が埋め込まれていたといいます。ラホール城が奪われてから略奪されてしまっていますが、建物本来の美しさは損なわれていません。


内部の噴水。柱やアーチも見事。
 
 美しい透かし彫り


かっては宝石・半貴石が象嵌されていた噴水
全て奪われてしまっています。



天井部分。傷みが激しい。
かっては美しく、豪華だったのでしょう。
 
 窓から外を撮ってみました。
傷みは激しいものの風格があります。


シャー・ジャハーンの庭園を撮ってみました。技術があれば2枚をつなげられるのですが・・・。
   



シャー・ジャハーンの寝室

庭園を挟んで特別謁見室と向かい合う形で建つシャー・ジャハーンの寝室
現地ガイドさんは夏の宮殿と説明していた気がして、ちょっと自信がない。


自信がないのは、余りの荒廃ぶりに呆然となってしまったから。捨て去られて荒廃した城というのは幾つも見て来ましたが、ここはかっての美しさ・豪華さが容易に想像できるだけに、かえってその荒廃ぶりが痛ましい。略奪や戦争による荒廃だけでなく、最近のいたずら書きまであるんですよ。酷い。少しづつ修復が始められているようですが、かっての姿を取り戻せるのは何時なのか・・・。

壁や天井で光るのは鏡。鏡の小片がはめ込まれています。
かっては室内のランプ等の光を美しく反射し輝いていたに違いありません。
   


かっての宮殿内はフレスコ画でも美しく飾られていたようです。

 透かし彫りの周囲に残るフレスコ画
 落剝が激しいですが男女の姿

ラホール城が危機遺産でもあるということを実感。
城の荒廃ぶりに悲しくなってしまいましたが、すぐ隣はちょっと趣が異なり、楽しめます。


女性のための宮殿

正式名称は分かりません。現地ガイドさん曰く「女性のための宮殿」

左端に写っているのは女性のモスク
 
 白い建物は女性が外を見る場所。左は物見台

シャー・ジャハーンの庭園のすぐ西隣の一角が現地ガイドさん曰く「女性のための宮殿」

5代シャー・ジャハーン帝が、宮廷で働く女性たちのために造った宮殿で、女性たちが人目を気にすることなく過ごせるようになっているんだとのことでした。

左上の写真の左端に写っているのは女性用のモスクということだし、右上の写真の白い建物は女性たちが城の外を眺めるためのもの。

白い建物のすぐ近くには女性用のプールもあります。ただ、近くに物見台があるので、男性兵士が詰めてたんじゃないかと気になります。良いんですかね、兵士に見られて・・・・。

他に女性用のスチームバスもあったりして女性への配慮が伺われる場所です。

面白いのは「抜け道の階段」。お城が落城した時に逃げ出すための通路があって、そこにつながる階段が残っています。


シャー・ジャハーン、女性に優しいと思いましたが、案内図には4代ジャハンギール帝の肖像画もあったので、2代に渡って造ったものなのかもしれません。実はヌール・ジャハーンの意向もあったりして。

落城の時の抜け道
 
 巨大な井戸


この女性のための宮殿の隣が有名な鏡の宮殿です。

鏡の宮殿(シーシュ・マハル)

ラホール城の中で最も保存状態が良く、素晴らしい美しさの鏡の宮殿。
余りに見どころが多いので、独立してまとめました。
鏡の宮殿を見る



ラホール城最大の見どころであることは間違いありません。



モスク

城の観光の最後に城内のモスクを訪れました。


現地ガイドさんからは「モティ・マスジッド」との説明を受けた気がするのですが自信がありません。私が以前見た本ではモティ・マスジッドは「真珠モスク」と呼ばれる白大理石のモスクと書いてあったからです。これ、白大理石じゃないですよね。それとも、ここまで荒れ果てちゃったんでしょうか。

地球の歩き方の地図の位置関係からすると確かにモティ・マスジッドのようにも思えるんですが、よく分からない。現地ガイドさんによるとインド・デリーと同じデザインなんだそうです。

入口にはフレスコ画でしょうか、装飾が残っていました。
   


これにてラホール城の観光は終わり。
城外に出ます。
アラムギリ・ゲートとバードシャーヒ・モスクが見えました。



象が使ったという階段を下りて城外に出ました。
段差が小さく、ゆったりとした階段



ムガール帝国の栄枯盛衰を語る城
なんとか修復保存をして欲しいものです


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参考文献

ユネスコ世界遺産⑤(講談社)
世界遺産を旅する8(近畿日本ツーリスト)


基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。