ブラ・レジア

チュニジア北部にあるブラ・レジア
珍しい地下住居と美しいモザイクが見られる遺跡です。
2011年1月訪問

写真はアンフィトリテの家のアフロディーテのモザイク


チュニジア北部にあるブラ・レジアは、古代ヌミディア王国の首都だった場所です。ヌミディア王国はベルベル人の国家で、カルタゴとローマが争った当初はカルタゴ側に付いたものの、後にローマ側に付き、第3次ポエニ戦争の発端を作ってローマの勝利に貢献しました。
しかし、カエサルと反カエサルの争いの際、反カエサル派についたことから滅ぼされ、ローマの属州となりますが、その後も農業と貿易で栄え、ローマ、ビザンチンと繁栄を続けました。



共同浴場

遺跡入口で目を引く大きな建物はローマ時代の共同浴場



この浴場が建てらえたのは後2世紀で、ブラ・レジア出身でローマの執政官になった貴族の娘が建てたものです。きれいなアーチが残る他、そこかしこにモザイクも残っています。
面白いのは○とYのマーク。○は太陽で温水を、Yは噴水で冷水を表す「しるし」なんだそうです。

   



宝物の家

浴場から北に進むと宝物の家と呼ばれる住居跡に出ます。
モザイクが綺麗なのですが、実はこの住居、地面を掘って作った家。見下ろす形で見学です。
   

ブラ・レジアは夏は暑く、冬は寒いという気候の場所で、特に夏は45度を超える酷暑となります。この夏の暑さから逃れるため、地下に家を作る地下住居が発達しました。夏の3か月間は地下で生活をしていたのだそうです。ブラ・レジアでは多くの地下住居を見ることができ、しかも住居は美しいモザイクで飾られています。モザイクはローマ時代からビザンチン時代にかけてのもの。

この宝物の家では地下の中央の部屋は食堂、その両脇が寝室となっています。ここからは7世紀のビザンチン時代の金貨が大量に発見されたことから「宝物の家」と呼ばれているのだそうです。



狩猟の家

のどかな道をしばらく進むと狩猟の家と呼ばれる家に出ます。
   

この家は大変大きく、玄関が3つある他、トイレ・浴室もあります。浴室があるのは豊かさの証。
小麦や大麦をひく丸い石も残っていました。
地下の中庭を囲む柱も見事です。
ここも地下は食堂と寝室になっているそうです。
食事と睡眠は涼しいところで・・・というのは最近の日本も暑いから分かりますね。



新狩猟の家

狩猟の家のすぐ隣に新狩猟の家があります。
ここからは見事なモザイクが発見されています。

ライオン狩りのシーンなのでしょうか。






アンフィトリテの家

少し離れたところにアンフィトリテの家があります。
ここは地下に入ることができます。

   

ここはブラ・レジアでも最も美しいモザイクがある場所です。地下の一角にモザイクはあります。
モザイクはアフロディテとケンタウロス、そしてポセイドン。アフロディテの頭上には冠を捧げるキューピット、そして、イルカに乗ったキューピットは鏡を差し出しています。ここは単なる住居ではなく、神殿だったのではないかと考えられています。確かに、礼拝所のようにも見えます。

   

アフロディテの右はケンタウロス。左はポセイドン。
ケンタウロスとポセイドンの頭はカニですし、多くの魚たちも描かれています。
モザイクが細かく、素晴らしい。
かってはアフロディテの目に真珠が埋め込まれていたのだとか。
   

アンフィトリテというのはポセイドンの妻の名前だそうです。



漁業の家

アンフィトリテの家から狩猟の家近くに戻って漁業の家を見学。
ここも地下に入れます。中庭があるだけでなく、噴水まであります(右)。
右の写真で穴の開いた石が並んでますが、ここから水が出たのだそうです。
   

ここには魚やタコのモザイクが残っていますが、あんまり保存状態は良くありません。



石畳の残る、のどかな道を歩きます。
ところどころに円柱が転がっています。


緑が豊かな場所です。このあたりは雨も多いそうで小麦と大麦の産地なのだそうです。
冬は雪も降るのだとか。幸い、私が行った日はぽかぽか陽気でした。



フォルムとアポロ神殿



のどかな道を南に進むと、フォルム(公共広場)に出ます。すぐ、隣に石柱が残っているのはアポロ神殿だそうです。フォルムにはマルシェ(商店街)も隣接していたということで、かっては店が並ぶ中心街だったのでしょう。





劇場

フォルムの少し先に劇場が残っています。
余り大きな劇場ではありませんが、保存状態が良いですね。
舞台にはクマのモザイクがあります。




のどかな景色と地下住居という面白さ。
アフロディテの美しさは素晴らしく、写真撮りまくってしまいました。
雨が降ると観光できないというので注意が必要です。
私はツアーだったので、1日でブラ・レジアとドゥッガを廻ることができました。


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参考文献となるものを探せませんでした。
現地ガイドさんの説明を元にまとめています。