ドゥッガ

チュニジア北部にあるドゥッガ
ローマ時代とビザンチン時代の遺物が残る遺跡です。
2011年1月訪問

写真はキャピトルと隣接するマーキュリー神殿、風の広場


ドゥッガはチュニスの南西約100キロ、チュニジア北部の内陸にあります。ドゥッガは元々は紀元前4世紀にヌミディア王国が築いた街。ヌミディア時代は「トゥッガ(丘の上)」と呼ばれていました。その名の通り、遺跡は600mの丘の上にあります。

紀元前3世紀にはカルタゴ支配下に入りますが、第2次ポエニ戦争でカルタゴが敗北すると再びヌミディア王国が支配するようになります。その後、ヌミディア王国がローマ帝国によって滅ぼされるとローマの支配下に入り、後2〜3世紀には繁栄の絶頂期を迎えました。その後、次第に衰退し、ビザンチン時代には要塞とされたようです。1997年にローマ・ビザンチンの複合遺跡として世界遺産に指定されました。


劇場



遺跡入口にあるのが劇場。駐車場のすぐ前にあります。保存状態の良い劇場で、なんと80%がオリジナルだそうです。2世紀に造られたもので、3500人を収容でき、15mの高さがあります。


劇場からしばらく石畳の道を歩きます。
保存状態の良い道です。排水の跡らしきものも見えますね。
ドゥッガは丘の上の都市で平らなところが余りありません。道には滑り止めの線などの工夫もあります。
そして、道を進むと大きな神殿・キャピトルが見えて来ます。

   


風の広場

遺跡入口から進むとキャピトルの手前に広場があり、風の広場と呼ばれています。冒頭の写真もキャピトルを風の広場から撮ったものです。

風の広場と呼ばれるのは、ラテン語で東西南北の風の名前が彫られた石が敷かれているから。
広場の北側にはキャピトルと並ぶ形でマーキュリー神殿があり(左下)、東にもビザンチン時代の神殿、そして南側は商業地区となっています(右下)。マーキュリーは商売の神様ですし、ここは商業の広場だったのでしょう。キャピトルとの間にはビザンチン時代に造られたという壁があります。

   


キャピトル

風の広場の横に立つキャピトルは、やはり一際目を引きます。
   

この神殿はジュピター(ゼウス)、ヘラ(ジュノー)、アテネ(ミネルヴァ)の三神に捧げられたもの。
砂岩で出来ていて、6本のコリント様式の柱が見事です。柱の高さは8mあります。
左上の写真でも内部の壁龕が見えますが、実際には写真に写っている壁龕の左右にも小ぶりの壁龕があり、かっては、ここに三神の像が祀られていました。中央のジュピター(ゼウス)像は6mという大きさだったそうです。

神殿上部
分かりにくいですが、レリーフは鷲に変身して美少年ガニメドをさらうゼウス。
屋根の下には48の花の飾りが彫られています。




フォルム



キャピトルに隣接して西側にあるのがフォルム。公共広場です。
キャピトルを挟んで東側に風の広場(商業広場)、西側がフォルム(公共広場)という構造です。
かってフォルムは35本の円柱で囲まれていたといいますが、現在はほとんど何も残っていません。
ただ、寄進者を示す石碑(左下)と広場を飾っていたであろう彫刻(右下)が残っていました。

   

フォルムにはビザンチン時代(6世紀)に要塞化された時の壁も残っています。

フォルムからは北に向かう道もありますが、南に進みました。



奴隷市場

フォルムのすぐそばに広場があります。
広々とした良い広場と思ったら、実は奴隷市場なのだそうです。



広場の4か所に四角く芝が植えられていますが、ここに檻があり、奴隷が入れられていたとのこと。

う〜〜ん、という気がしますが、実はここは撮影ポイント。

市場入口の門が綺麗に残っていて、門を額縁のようにしてキャピトルを撮ることができます。



キャピトルが小高い丘の上に建っているのが分かります。



道を進むと左手は遺跡を見下ろす形。木立の中の神殿らしき建物が気になるなあ(左下)。
右手はキャピトルを遺跡越しに見上げる形(右下)。

   



居住区

ローマ時代の居住区を見下ろせる場所に出ました。



丘の上から下まで住居跡がびっしりと残っています。
2世紀から4世紀にかけてのドゥッガの人口は1万人。多くの家庭があったのでしょう。
見事なモザイクも発見されていて、
モザイクのあった家はモザイクの内容からディオニッソスとユリシーズの家と呼ばれます。

   

もっとも、モザイクは既に遺跡からバルドー博物館に移されています。
バルドー博物館にも行ったので、ここで写真を載せておきます。

まずはオデュッセウスとセイレーンのモザイク

左の船にはオデュッセウス。右には足が鳥のセイレーン。
セイレーンの歌声に惑わされないようにオデュッセウスは自分の体を柱に縛っています。
オデュッセウスのそばにいる4人は耳栓をしています。


こちらはディオニッソス(バッカス)のモザイク。


船上の若い男性がディオニッソスだそうです。
海賊に襲われた時にディオニッソスが友人を魚に変えて逃がすシーン



リビコ・プュニック廟

道を進むと木立の中に塔が見えました。



これは紀元前3世紀のヌミディア王国の王子の墓。
3階建ての塔の姿をしています。
この墓からはカルタゴ語とベルベル語で書かれた碑文が発見されています。
ドゥッガの遺跡は、ほとんどがローマ以降のものなので、貴重なローマ以前の建物です。
もっとも碑文が大英博物館に運ばれる際に崩壊し、今の姿はフランスが修復したものですが・・・。



浴場と公衆トイレ

ローマ遺跡には欠かせない浴場(左下)と公衆トイレ(右下)も、もちろんありました。
   

浴場は温水と冷水、更にはサウナ室となかなか豪華です。
水道橋から水を流していたそうで、火を焚いていたトンネルも残っています。
公衆トイレは小ぶりでしたが、モザイクがかわいい。



トリフォリウムの家

入口に2本の柱が残るトリフォリウムの家。
トリフォリウムというのは四葉のクローバーという意味。
でも、実は売春宿です。


この売春宿、隣にお風呂もあって、当時の殿方はお風呂に行くふりをして通ったのだそうです。
しかし、現在のチュニジアはイスラム教徒ですので、色っぽいことは厳禁。
女性の胸にペニスを持つ両性具有者のモザイクもあったそうですが、今では博物館が保存しているとか・・・。

遺跡には復元図があり、かなり立派な建物だったことが分かります。
ここで発見されたガゼルのモザイクがバルドー美術館にあったので、載せておきます。

   




途中で見えた神殿らしきものが気になったので、自由時間にフォルムの北西側にも行ってみました。


アレクサンデル・セヴェルスの凱旋門

フォルム北側の道を西側に進んだところにあるアーチ型の門



3世紀に建てられた門だそうです。



貯水場?

門から更に西に進むと木立の中にこんなものが・・・



地図から判断する限り、たぶん、貯水場。
今は壊れていますが、かってはドーム型の水を貯める施設だったのではないでしょうか・・。
ちょっと面白い建物の遺構でした。



カエレスティス神殿

更に西に進むと美しい神殿がありました。
居住区に行く途中で、木立の中に見えた神殿です。



女神達に捧げるため、3世紀に建てられた神殿だそうです。
確かに柱も細身で女性的。美しい神殿です。

上手く写せなかったのですが、柱と壁が神殿を守るように背後を半円状に取り囲んでいました。



この神殿はビザンチン時代(5世紀)には教会に変えられたのだそうです。



ドゥッガの遺跡はシリアやリビアの遺跡に比べると小さな遺跡です。
でも、保存状態は大変良いですし、周囲が緑なのも気持ちがいい。
私はツアーだったので1日でドゥッガとブラ・レジアを廻ることができました。


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参考文献

21世紀世界遺産の旅(小学館)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。