チュニスとシディ・ブ・サイド

チュニジアの首都チュニス。
マグレブ屈指の近代都市であると同時に歴史豊かな街です。
近郊のシディ・ブ・サイドは白と青の美しい別荘地。
2010年12月〜2011年1月訪問

写真はシディ・ブ・サイド



チュニス

チュニジアの首都チュニスは人口約200万人、チュニジア第一の街であるだけでなく、カイロに次ぐ北アフリカ屈指の大都会です。カルタゴ空港に向かう飛行機からはシチリア島が眼下に見え、チュニスがいかにヨーロッパに近いかを実感します。ローマからは僅か1時間ということで、古代から地中海貿易で重要な位置を占めていたというのも、ヨーロッパではチュニジアは遺跡とサハラ砂漠を楽しむリゾート地として有名で、観光立国が図られているというのも納得です。

チュニス新市街。綺麗な街です。

   


街中で見かけたベン・アリ大統領の看板。

チュニジアは資源に乏しい小国でありながら、アラブ諸国の中では成長率もトップクラスで社会も安定していました。
だからこそ観光客を呼び込むこともでき、観光立国を図ることもできたわけです。

しかし、2011年アラブの春の先駆けとなったジャスミン革命がチュニジアで起こりました。

2010年12月、青年が焼身自殺を図ったのをきっかけにデモが始まり、2011年1月14日、ベン・アリ大統領の海外亡命により革命は成就します。

私がチュニジアを訪れたのは2010年12月末から2011年にかけての年末年始。まさに革命まっただ中だったことが後で分かりました。
右のベン・アリ大統領の看板は、この後すぐに引き倒されたはずです。

今思えば、自由時間に大統領官邸のそばに行ってはいけないと言われたり、チュニス市内の観光は縮小されていたと感じるものの、正直な話、物騒な思いは一切しませんでした。

ただ、若い人の失業率の高さは各地で伺うことはできましたが・・・。


植民地時代の面影を残す大聖堂(左下)。チュニジアはフランスの植民地でした。
チュニジアの偉大な歴史家で哲学者でもあるイブン・ハルドゥーン像(右下)。
   


メディナ

メディナ(旧市街)はアラブ・イスラムの歴史を感じる街並みです。
写真はメディナ入口のフランス門。


チュニスのアラブの街としての歴史は7世紀に始まります。ビザンティンに勝利したアラブは当初、内陸のケルアンを首都としますが、13世紀にチュニスに遷都します。16世紀に入るとオスマン帝国時代の支配下に入りますが、ヨーロッパとアフリカの中継地点として繁栄を続けます。
メディナ(旧市街)ではアラブ・オスマン時代の建造物が残り、スーク(市場)が賑わっています。

   


夜はメディナ内のお洒落なレストランで夕食となりました。
左下はシディ・ユセフ・モスクのミナレット。八角形の特徴的なミナレットはオスマントルコ時代のもの。
右下がレストラン内部。伝統音楽を聴きながらの夕食でした。

   



バルドー博物館

チュニスで外せない観光地がバルドー博物館。オスマン帝国時代にチュニジアを統治していた地方長官の宮殿を利用した博物館で、チュニジア各地から発見されたモザイクを中心とした美術品が集められています。特にローマ時代のモザイクは見事で世界最大規模と言われます。

博物館は宮殿の壁を利用してモザイクを展示しています。
左は剣闘士やライオンなどのモザイク。
   


地中海に面したチュニジアでは海神が大人気。
頭にカニのハサミを付けているのがオケアノス。oceanの由来となった古い海神です。
左のモザイクではオケアノスの下に三つ又の槍を持つ海神ポセイドンとビーナス。
   

海を支配する神としてはポセイドンが有名ですが、どうやらオケアノスは海そのものを表すようです。

左下はポセイドンの息子トリトン。右下では半人半馬のケンタウロスが戦車を引いています。
   


下の2つはドゥッガのディオニッソスとユリシーズの家から発見された有名なモザイク。
左が柱に体を縛りつけてセイレーンの歌を聴くオデュッセウス。
右はディオニッソスが友人を魚に変えて海賊から逃がすシーン。。
   
大きい写真はドゥッガに載せておきました。


次の2つはビーナス(アフロディテ)。愛の女神ビーナスは船乗りの守り神でもあります。
   


スースのそばから発見されたポセイドンのモザイク。周囲には四季が女性で表されています。


左下はポセイドン。右下は四季を表す女性。彼女は冬。冬だけ洋服を着てます。
   


この博物館は建物自体も美術品です。宮殿だけあって優美で豪華。
   



シディ・ブ・サイド

チュニス北東約17キロ。シディ・ブ・サイドは海に面した美しい場所です。「シディ」とは聖人に付ける称号。13世紀に活躍したスーフィ教団のアブ・サイドの廟が丘の上にあることから付いた名前で、その後、別荘地として発達しました。
シディ・ブ・サイドは白い壁とチュニジア・ブルーとも言われる青が美しい街。金持ち達が自分の家を装うことを競い合い、結果的にチュニジアで最も美しい街と言われるようになりました。

左下はシディ・ブ・サイドの目印ともいうべきカフェ・デ・ナット。
周囲には土産物屋が並びます。窓の青い飾りは鳥籠からイメージしたものだそうです。
   


街の散策は楽しい。ドアの装飾も競い合っている感じです。
     


地中海を見下ろすカフェ・シディ・シャバーン。
下はヨットハーバーになっています。



ジャスミン革命には帰国後びっくりしました。
今はツアーも再開しているようですし、落ち着いたのでしょうか。
チュニスはカルタゴやドゥッガ観光の拠点ともなる街でホテルも近代的でした。


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参考文献

世界遺産を旅する2(近畿日本ツーリスト)
21世紀世界遺産の旅(小学館)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。