コパン 古典期マヤの遺跡の中でも最東南に位置するコパン。 グアテマラから国境を越えてホンジュラスに入ると、あっという間に到着です。 コパンは優れた天文学と丸彫りと呼ばれる優雅な彫刻で有名。 2004年8月と2012年5月に訪れました。 特に記載していない限り写真は2012年撮影です。 写真は石碑H、後ろに祭壇G、石碑F
遺跡入口のビジターセンターにある遺跡の復元模型。 左側の平坦な広い場所がグラン・プラザ(大広場)。ここに優美な美しさで知られる多くの石碑があります。 グランプラザの右にはマヤ古典期最大の球技場があり、そのすぐ奥に神聖文字の階段。 階段の上の一段高くなっているのがアクロポリス。神殿が並びます。 そして、もっとも右側の一段低くなっているのが王族たちの居住地区です。 現在のコパンは芝生や木々の緑と白い石碑・建造物が美しいですが かっては模型のように地面には白く石膏が敷かれ、建物や石碑は赤く彩色されていました。 グラン・プラザ グラン・プラザには背が低いピラミッド(石舞台)が1つあり、石碑はその付近に置かれています。 石碑の多くは13代王ワシャクラフーン・ウバーフ・カウィール(18ウサギ)が建てたもの。 この王はマヤ文字の形から、長く18ウサギと呼ばれていました。 18ウサギの建てた石碑には全て王自身の姿が彫り込まれています。 描かれているのは様々な神に扮した王や儀礼の際の姿。 儀式の際、民衆を前に石舞台で王が踊り、その姿を彫ったものではないかとも言われています。 (撮影2004年) グラン・プラザの石碑は石碑A以外は全てオリジナル。 石碑Aのオリジナルは遺跡内の石彫博物館で保存展示されています。
石碑Bの全体像(左下)と背面(右下)、右下の写真では後方に石碑Cも写っています。 石碑Hも美しいです。トウモロコシの神に扮した18ウサギ王 頭飾りが見事ですが、その飾りにトウモロコシの神が描かれているのだそうです。 石碑Bでも紹介しましたが、これらの石碑、背面も見逃せません。
グラン・プラザの18ウサギ王の石碑としては、他にも石碑4・石碑Dがあります。 グラン・プラザには石碑以外にも下のような祭壇もあります。 これは16代王が置いた双頭の蛇(撮影2004年)。
煙イミシュの石碑から更にグランプラザを南に進むと球技場が見えて来ます。 球技場の近くにも12代王煙イミシュの石碑がありました。 王のレリーフは保存状態が悪いのですが、マヤ文字が見事です。(2004年撮影) 球技場 少し離れたところから見た球技場と神聖文字の階段 神聖文字の階段は神殿26の階段。保護のため、幌がかけられています。 近くから見た球技場。後方の階段はアクロポリスに通じる階段。
現在のコパン遺跡では、コンゴウインコが飼育されています(2004年撮影)。 コンゴウインコはコパンのシンボルであるだけでなく、ホンジュラスの国鳥になってます。 左下は球技場のマーカー。コンゴウインコの頭がマーカーになってます。 右下は球技場の上の建物を飾るコンゴウインコのオリジナル(博物館)。猛々しさを感じます。爪が凄い。 (どちらも2004年撮影) この球技場完成から4か月後の738年4月、18ウサギ王は従属国キリグアの王によって斬首されます。 神と同一視され、栄華を誇った王の屈辱的な死です。 神聖文字の階段 球技場に隣接する神聖文字の階段
幌がかかっているので、ちょっと薄暗いのが残念 神聖文字の階段には5人の王が座っています。テオティワカン風の衣装なのだとか。 マヤって国に何かあるとテオティワカンを持ち出しますね。
神聖文字の階段はアクロポリスに通じる階段と隣接しています。 アクロポリスの神殿11に通じる階段です。 階段の前に屋根付きの石碑がありますが、これは15代王のもの グループが階段に座って見学していました。
アクロポリス 既に述べたようにアクロポリスはコパンの遺跡の中で小高い丘のようになっています。 神聖文字の階段はもちろん、神殿11に続く階段も今は登れないので、横の木々の間を通って登ります。 ジャングルのようですが、ところどころに石組みが残っています。 石組みからも分かるように、アクロポリスは人工の丘です。
写真はアクロポリスに登って最初に目に入る光景。西広場と呼ばれる場所です。 左手が神殿11、正面右手に神殿16があります。
神殿11
神殿11の前には、こんなのもありました。クロコダイル? こちらは妙にかわいい。 現地ガイドさんが言うには、神殿11の上には大きなクロコダイルがあったのだとか・・・。 マヤでは世界はワニの背中に乗っていると考えられていたそうです。 神殿16
石彫博物館にある、オリジナルの祭壇Q 神殿16の下に埋まっているロサリラ神殿の原寸大レプリカ これも石彫博物館の展示品 ロサリラ神殿は10代王月ジャガーが初代王キニチ・ヤシュ・クック・モに捧げた神殿です。 こんな凄いものを、そのまま埋めちゃうなんて、マヤの人たちって凄い。 このレプリカは石彫博物館の目玉のひとつ。 石彫博物館の展示物とコパンの歴史は別にまとめてみました。 コパンの歴史と石彫博物館 神殿16の横を道なりに進むと、途中右手にエル・セメンテリオと呼ばれる場所が見えます。 アクロポリスより一段低くなっており、王族たちの居住区と言われています。 神殿18 エル・セメンテリオを見下ろしながら道なりに進むと神殿18があります。 神殿18は、コパン最後の16代夜明けの空王が埋葬されていた神殿です。
この神殿のレリーフは保存状態が悪いものの、とても美しい。 下の方には、こんなレリーフがありました。神様の顔でしょうか。(2004年撮影) 東広場 神殿18から更に進むと東広場 東広場はとても気持ちのいい場所です。 ここには興味深いレリーフが多いです。 左下はジャガー。ちょっとかわいい。2匹います。夜の象徴。 右下は巨石人面の立体浮彫。こちらは太陽の象徴。 広場の上にも面白いものがありました。
この東広場には神殿16の地下に通じるトンネル入り口があります。 東広場のジャガーのレリーフの先に入口、その背後に神殿16が写っています。 西広場からぐるりと道を廻りこんで観光して来ましたが、 実は西広場と東広場は神殿16などを挟んで隣り合っているんですね。 2012年のツアーでは2つのトンネルに入ることができました。
美しいマヤ文字 左下はハグアル・トンネル内部の古い神殿のレリーフ 右下はコルテ、横に入った線はかってのアクロポリスの地面に敷かれた漆喰の跡。 コルテを見ることができるのは、遺跡を流れていたコパン川がアクロポリスを削っていったから。 かっては、このコルテのところをコパン川が流れていたそうです。 再び東広場に戻って、今度は広場の上の建物群を見学 広場を囲む階段の上に建物が幾つも残っています。 正面左から、ポポル・ナ、神殿22、神殿21。
ポポル・ナは14代王の時代に建てられた貴族と合議を行った場。 神殿22は18ウサギが建てたもの。天上界・地上界・地下界を表わしているとか。 これはレプリカ。本物は石彫博物館にあります。 でも、神殿22の彫刻は興味深いものが多いので撮ってみました。
建物の横を歩いていくと、神聖文字の階段や球技場を見下ろす場所に出ます。 かってのコパンの想像図が置かれていました。 神殿11から神殿26(神聖文字の階段)と球技場を見下ろす王たちの姿です。 本当に美しくて気持ちのいい遺跡です。 コパン遺跡見学には幾つかルートがあるようです。 2012年は博物館→アクロポリス→グランプラザの順に回りましたが 2004年の時は逆ルートでした。 コパンには日本の無償資金協力がなされており、遺跡入口にJIKAのプレートもあります。 中村誠一教授の発掘は有名で、日本と縁の深い遺跡です。 写真には撮れなかったけど、 コンゴウインコの群れが遺跡を飛び回る姿は素晴らしかった。 コパンの歴史と石彫博物館を見る 中米の遺跡に戻る 参考文献 マヤ文明を掘る コパン王国の物語(NHK BOOKS 中村誠一著) 古代マヤ王歴代誌(創元社 中村誠一監修) マヤ文明(中公新書 石田英一郎著) マヤ文明(岩波新書 青山和夫著) 古代マヤ・アステカ不可思議大全(草思社 芝崎みゆき著) ナショナルジオグラフィック日本版・2007年8月号 基本的に現地ガイドさんの説明に基づいてまとめています。 |
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