カバー

ウシュマルから18キロほどのところにあるカバー遺跡
下の写真のようにチャーク神の顔で埋め尽くされたコッツ・ホープ(仮面の神殿)で有名。
2002年12月、2004年8月、2014年3月訪問

写真はコッツ・ホープの壁を埋め尽くすチャーク神の顔。2004年8月撮影

特に記載のない写真は2014年3月のものです。

ウシュマルのあるユカタン半島西部はプウク(丘陵地帯)と呼ばれ、ウシュマル同様の建築様式・プウク様式が認められる幾つかの遺跡都市があります。

ウシュマルは古典期マヤの都市が衰退し始めた750年ころから栄え始め、多くのマヤの都市が崩壊した900年ころから一気に人口が増え、その後1100年ころまで栄えた、というちょっと変わった都市です。このウシュマルの隆盛にやや遅れた900年ころから1200年ころにかけてプウク地方では幾つかの都市が栄えました。古典期マヤの都市が衰退した後に、それに代わるように栄えたわけです。このため、マヤ中部の人達が移って来たのではないかと考える説もあります。

これらのプウク地方の都市は、ウシュマルの姉妹都市もしくは衛星都市だったと考えられていますが、その中でもカバーはウシュマルに次ぐ大都市でした。


国道で車を降りると、すぐに遺跡入口。
遺跡入口を入ると2つの建造物が目に入ります。
右の丘の上にあるのがコッツ・ホープ(仮面の神殿)、左奥が宮殿です。



遺跡入口に地図がありました。上が東、下が西になっています。

上の写真のコッツ・ホープ(仮面の神殿)と宮殿は地図の一番上に書かれています。カバー遺跡観光のメインです。

その下に細い線がゆるいカーブを描いていますが、これが国道。
実はカバー遺跡は遺跡の中をメリダとカンペチェを結ぶ国道が走っていて、コッツ・ホープと宮殿がある東側と西側に分断されているんです。道を作るときは遺跡のことがよく分かっていなかったんでしょうね。

地図で道の下、すなわち国道を挟んで反対側が西側となります。地図で見ると西側にはグラン・ピラミッドを始め、多くの建造物があるのが分かりますが、残念ながら、ほとんど発掘が進んでいません。

それでも2002年・2004年に来た時には、グラン・ピラミッドは単なる緑の丘だったのが、2014年は木が無くなって建造物があるのが分かる程度になっていたので、まあ、少しづつ発掘作業は進められているのでしょうけれど・・・。

西側で現在、見ることができるのはマヤ・アーチの門くらいのものです。


まずは遺跡のメイン、コッツ・ホープを目指します。

コッツ・ホープ(仮面の神殿)は入口から一段高い丘の上にあります。

近づくと、階段があって、その手前に円柱がありました。
どうやら男根信仰のようです。
古典期マヤ(250〜900年)の遺跡では男根信仰は目に付きませんでしたが、後古典期の遺跡、特にプウク地方の遺跡では男根信仰が目立つようになっています。

円柱の奥の階段を登って基壇の上に進みますが、この基壇は自然の丘を利用して造られたものだそうです。

しかも、これは単なる基壇ではなく、地下に空洞を造って雨水をためる地下貯水槽が造られているのだとか。
この地下貯水槽をチュルトゥンと言い、プウク地方の都市には欠かせないものだったそうです。

というのもプウク地方は付近に川も泉もありませんし、マヤ中部のジャングルに比べると乾燥しています。
そこで人々は地下に貯水槽を造り、水を貯めたわけです。


基壇を登ると正面奥がコッツ・ホープ(仮面の神殿)。手前は広場となっています。



この広場には2つ見どころがあります。
1つは先ほど書いたチュルトゥン。
左下の円形のものがクルトゥク上部。右下はウシュマルにあったチュルトゥンの説明図
   

この地下貯水槽・チュルトゥンのおかげで、この地方の人口が急増したとも言われています。
もっとも貯水槽があっても雨が降らなければどうしようもないわけで、それだけに雨神チャークへの信仰は篤かったんでしょうね。


もう1つの見どころが神殿前の祭壇。美しいマヤ文字が残っています。
   
残念ながら解読はされていないとのこと。


コッツ・ホープに近づく前に右手を見たら・・・・神殿跡でしょうか。
広場には修復を待つのか石片が並べられていました。





コッツ・ホープ(仮面の神殿)

さて、いよいよカバー遺跡のメインであるコッツ・ホープです。
下の写真は2004年8月撮影


プウク様式では建物の壁の上半分をモザイク装飾で覆い、下半分は素地のままにしておくのが普通ですが、この建物では壁全面が上から下までびっしりと雨神チャークの顔で埋め尽くされています。その数、なんと約260。

チャーク神の特徴は象のような鼻。本来は右下の写真のように鼻がくるりと巻いていました。神殿の「コッツ・ホープ」というのも「巻かれた敷物」という意味で、この鼻の形に由来しています。

しかし、長い歳月で、ほとんどの鼻は左下のように途中で折れてしまっています。
この鼻、どう見ても象の鼻ですが、マヤの人達は象を見たことはなかったそうです。想像だけでこのような鼻を思いつくなんて凄いですね。この神殿、とことんチャーク神尽くしで、部屋の入り口にもチャーク神がいて、鼻が階段みたいになってました。踏んでいいんでしょうか、神様の鼻を・・・。

   


これはメキシコシティの国立人類学博物館に展示されているコッツ・ホープのチャーク神
本来の姿が良く分かります。不思議な綺麗さです。
壁面全てが、このような保存状態の良いチャーク神で覆われていたら・・・。


これまでチャーク神を「雨神」と書いてきましたが、実は最近では「山の神」とする説も有力になってきているそうです。コパンでのマヤ文字解読が進み、これまでチャークと考えられていたものがウイッツ・モンスター、ウイッツという「山の神」とすべきではないかとの説が有力になってきているのです。でも、山の神とする説でも、雨・水との関係を全く否定するものではないそうなので、一応「雨神」「チャーク」ということにしておきます(今後、学説が大きく動く可能性はありますが)。

たとえばチャーク神の目の上に○がいくつか刻まれていますが、これはテオティワカンでも見られた水のデザインではないか、とのこと。良く見ると、鼻の横にも○の模様が彫られています。



それにしても、ここまでチャーク神の顔で埋め尽くすとは・・・
   
ここまでの情熱、やっぱり雨・水を強く欲する気持ちの現れなんじゃないでしょうか。



チャーク神以外のデザインも見逃せません。
2つの紐がからまっているようなのは蛇
ジグザグ模様は太陽、そして花びら




チャーク神を堪能したので神殿裏に向います。
途中で咲いていた花(左下)と、かすかに頂上が見えたグラン・ピラミッド(右下)
   




神殿裏側

この神殿、裏に廻ると表情が一変します。




チャーク神の姿が綺麗に消えました。
下部は抽象的なモザイク模様で覆われていますが、上には人物像が置かれています。
支配者の像なのでしょうか。



なかなか力強い男性像です。
後ろの壁のレリーフが綺麗。羽根でしょうか。羽毛のあるヘビ?



実は、この像がカバー遺跡の名前の由来となっています。
カバーとは「力強い手」という意味。
この像の手、欠けているのか・・・。奇妙な形です。
かっては蛇を持っていたという説もあるそうです。
   
元々は、この2体だけでなく、もっと多くの人物像があったような気がします。


神殿にはレリーフもありました。戦闘シーンのようです。
   




宮殿

宮殿はコッツ・ホープ(仮面の神殿)に隣接した一段低い場所にあります。




この建物の前にも広場があり、男根信仰に関連するような円柱が置かれていました。儀式を行う広場だったのでしょうか。

かっては、この広場を囲んで四方に建物があったようです。

宮殿と呼ばれる建物は、良く見ると2階建。

2階には建物中央付近の階段から上がったようです。

2階には7つの入り口があり、そのうちの2つは中央に飾り柱が立っていました。そのため一見すると入口は9つあるように見えます。

1階部分は屋根が崩れて落ちてしまっていますが、いくつもの部屋があったことが分かります。

右の写真の階段のあたり、壁に柱のレリーフが残っていました。
どうやら1階部分の壁は同様の柱のレリーフで飾られていたようです。

屋根飾りはほとんど壊れていますが元々は2段の屋根飾りだったのでしょう。



宮殿から見た風景
コッツ・ホープの他にも多くの未修復の建造物があります。2002年12月撮影



宮殿前の広場を抜けて遺跡入口に戻ります。

後ろから見たコッツ・ホープ(左下)と横から見たコッツ・ホープ(右下)
   



遺跡東側を見たところで、今度は道路の反対側に渡って西側を歩きました。
ジャングルの中、日陰が多いのが助かります。
建造物の跡らしきものはたくさん残っていますが修復はいつになることやら・・・(左下)。
途中、ちらりとグラン・ピラミッドが木々の間から見えました(右下)。
   



しばらく歩くと、門が見えて来ました。




かってはこの門からウシュマルに通じる道が続いていたということです。そっけない感じの門ですが、カバーとウシュマルの強いつながりを示すものといえます。

 



ウシュマル観光のついでに是非足を延ばした方がいい遺跡です。
修復が進んだら、凄い都市が現れるんじゃないでしょうか。



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参考文献

マヤ三千年の文明史 日本語版(ボネーキ出版社)メキシコ国立人類学博物館にて購入 
古代メキシコ 日本語版(ボネーキ出版社)メキシコ国立人類学博物館にて購入
図説古代マヤ文明(河出書房新社ふくろうの本 寺崎秀一郎著)
マヤ・アステカ遺跡へっぴり紀行(草思社 芝崎みゆき著)

現地ガイドさんの説明に基づくところが多いです。