キリグア キリグアはグアテマラ高地からカリブ海に注ぐモタグア川の流域にあります。 遺跡の周囲は広大なバナナのプランテーション。 2012年5月にようやく訪れることができました。 この遺跡はマヤ最大の石碑や獣形神と呼ばれる彫刻で知られます。 写真右がマヤ最大の高さを誇る石碑E、キリグア遺跡の大広場の中央付近にあります。 全長は11mを越え、地表に出ている部分だけで7.46m。重さは30tもあるそうです。
カック・ティリウ・チャン・ヨアート(カワク空)
石碑の上の方に全身像の文字、下は簡略化された文字。 違いが分かるでしょうか。 石碑Dの全身像の文字 文字というより、もはや絵画です。 アップで撮ってみました。 遺跡入口付近には石碑A(下左)、石碑C(下中央)も並んでいます。 石碑Cには紀元前3114年にあったというマヤ世界の天地創造が書かれている(下右)ということで 2112年がマヤ歴最後の年で世界が滅びるという話の関係で人気だったものです。 どちらも775年建立。マヤ文字も綺麗です。 獣形神B
広場の中央付近にある石碑E(左)と石碑F(右) キリグア観光の目玉の一つでしょう。 どちらも地上部分だけで7mを越える巨大なものなのでどうしても全体を撮ると小さくなってしまいます。 10K離れた石切り場から運んできた石で作られているのだそうです。 この2つの石碑は北向き・南向き双方に王の姿が彫られており、Eは北向き、Fは南向きの写真。 石碑E(左)の王は剣を持っています。 マヤ王は笏を持つことが多く、剣を持つ姿というのは珍しいのではないでしょうか。 石碑F(右)の王は両手を広げて空に祈るような姿から「空に向かう両手」と言われているとか。 石碑Eの南側 コパンの丸彫りと違い、キリグアでは立体的に彫られているのは顔の周辺部分のみ 全体的には平面的な彫り方になっています。 Eは771年、Fは761年に建てられています。 石碑E・Fから少し離れたところに広場に背を向ける形で石碑Hがあります。 これはカック・ティリウが751年に建てたもの。 コパン王斬首後13年。現存するカック・ティリウ王の石碑の中でも古いものです。 これは色々と変わった石碑です。まず、顔が丸い。オルメカの影響ともいいますが・・ 次に王の頭飾りは雨神チャックで頭飾りがテオティワカン風なんだとか。 背面の文字が斜めなのもテオティワカンの影響とか(左下)。コパン石碑Jとの類似も指摘されています。 素人考えですが、なんとなくコパンの丸彫りを真似したかったんじゃないかと思えます(右下)。 石碑J
カック・ティリウ王によるコパン王斬首については謎が多いです。 コパンの権威の中村誠一教授は、王のコパンへの執着の強さから、 カック・ティリウ王と18ウサギは親子だったのではないかという説を唱えています。 738年のコパン王斬首から一代でキリグアの隆盛を築いた王は785年に亡くなりました。 60年にも及ぶ在位でした。 空シュル カック・ティリウの次の王は空シュルと呼ばれます。785年に即位しました。 彼は石碑は全く残しておらず、3つの獣形神を残しています。 獣形神G
アクロポリスへ通じる階段の手前に獣形神Pと獣形神Oが、それぞれ祭壇とセットであります。 獣形神P
獣形神Pをアップで撮ってみました。 トウモロコシの神?のアップ。 確かに、何かを引き抜いているような手の形です。 横から見ると、こんな感じです。下の方に人の姿が彫られています。 背面には大きな神の顔 獣形神Oと祭壇 獣形神Pのすぐ隣に獣形神Oと祭壇があります。 こちらの祭壇は彫りがシンプルなためか、 踊る人物像がよく分かります。 空シュル王の治世は短く、10年か15年だったと言われています。 ヒスイ空 空シュル王を継いだのがヒスイ空王です。 彼は僅かな石碑しか残していません。 大広場の南側・アクロポリス寄りに石碑が残っています。 石碑I まず、石碑I。背面の彫りは細かく見事ですが、正面の人物像は小ぶりで最盛期を過ぎた感があります。 この石碑にはカック・ティリウ王の栄光が語られている他、 キリグアの2つの守護神を巻き込んだ火に関係する「はじまりの出来事」と その6日後の18ウサギ王の斬首 そして、カラクムル王との接触について彫られているそうです。 カラクムルといえばティカルの宿敵 キリグアは元々コパンと共にティカルの影響下で建国したはずなのですが・・・ ここらへん、ちょっと不穏。日本の戦国時代みたいな権謀術策の世界? 石碑K これはキリグアで最後の王の石碑です。 なんとなく終焉を予感させます。 アクロポリス 大広場から階段を登るとアクロポリスに出ます。 ここはキリグアの王族たちの宮殿等があったと考えられています。 写真右下の建造物1B−1には3つの部屋があり、 中のベンチにはキリグアのヒスイ空王とコパンの16代王が共同で儀式を行ったことが書かれているそうです。 なかなか気持ちのいい空間です。 そして、音響効果が素晴らしい。ここでも儀式が行われたのでしょうね。 ヒスイ空を最後にキリグアの王の記録は消えます。 他のマヤ古典期の都市と同じように滅亡を迎えたようです。 キリグアではチチェン・イッアで有名なチャック・モールが発見されていることから ユカタンから移住した集団がいたのではないかとも言われますが それも短い期間だったようです。 グアテマラの遺跡に戻る 中米の遺跡に戻る 参考文献 マヤ文明を掘る コパン王国の物語(NHK BOOKS 中村誠一著) 古代マヤ王歴代誌(創元社 中村誠一監修) 古代マヤ文明(河出書房新社 ふくろうの本 寺崎秀一郎著) マヤ文明(中公新書 石田英一郎著) マヤ文明(岩波新書 青山和夫著) 古代マヤ・アステカ不可思議大全(草思社 芝崎みゆき著) 現地ガイドさんの説明に基づいています。 |
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