ミトラ

オアハカから東へ46キロ
モザイクの美しいミトラ遺跡があります。
2003年1月訪問



ミトラはモンテ・アルバンを築いたサポテカ族の都市で、9世紀から12世紀に栄えたとされています。モンテ・アルバンの衰退に従って、徐々に人が移動してきたようです。

遺跡は石柱のグループ、南の中庭のグループ、教会のグループの3つに分かれていて、ともかく美しいモザイクが見どころです。


石柱のグループ

石柱のグループはホールに6本の石の円柱がある建物を中心とした区域です。
写真は石柱のある建物を北の中庭から見たところ。
一番保存状態の良い建物でもあります。


メキシコで買った本によると、ミトラ遺跡は「司祭が居を構えたところで、司祭は生ける神であり、天体観測を行ったり、法律を作ったり、祭礼を司っていた。そして、司祭は支配者からも恐れられていた・・・」とあります。16世紀のスペイン人が残した記録だそうですが、真実なら、この建物でサポテカの司祭が暮らしていたことになります。

美しいモザイクはサポテカ族の美意識を表すものといえますが、モンテ・アルバンでは全く見られなかったモザイクはどのようにして発展したのでしょうか。北ペルーの遺跡に似たようなモザイクがあるとして関係を考える説もあるそうです。
北ペルーより近いウシュマルなどのプウク様式との関係はないんでしょうか。
ミトラの栄えた時期はウシュマルなどプウク様式が栄えた時期と重なりますし、どちらもモザイクが大変美しいですが・・・。ウシュマルの尼僧院とか雰囲気が似てる気がするんですけど。


上の写真の建物入り口付近を飾るモザイク。幾何学的なデザインです。
   


左下は6本の石の円柱のあるホール(円柱の間)。ホールの長さは38m。
右下は建物内のモザイク
   


この建物の中には軽いシュロなどでできた屋根が復元された部屋などもありますが
何よりも美しいモザイクにうっとりです。




南の中庭のグループ

北の中庭のグループに隣接して南の中庭のグループがあります。


ここにも上の写真のようなモザイクの美しい建物が残っています。南の中庭には地下墳墓があり、そこにある生命の石柱という柱に抱きつくと、余命がわかるというので、石柱に抱きつこうとする人たちで賑わっていました。



教会のグループ

少し離れたところに教会のグループがあります。


教会のグループというのは、サンパウロ教会の裏手にあります。

ここはスペイン人による文化破壊の現場でもあります。

右の写真はサンパウロ教会。
1590年に建てられた教会だそうです。

よく見ると、教会の一部にモザイクが残っているのがわかります。

この教会、本来あったミトラの建造物を利用して建てられているのです。
遺跡の上に、遺跡の石材を利用して建てられているわけです。

キリスト教の布教という点からは、ミトラの遺跡も異教徒の否定すべき建造物だったのでしょうか。異教徒の司祭の建物を壊すことが布教のために必要だったのでしょうか。

ミトラの美しいモザイクを見ていると、こんなに美しいものを破壊して気にならなかったのか不思議です。

教会の裏手に残っている建物の保存状態は決してよくはありません。

それでも残っているモザイクは非常に美しいです。



建物上部をモザイクが飾っています。
   


日陰に入ってしまうと暗くなってしまうのが残念ですが、それでも美しいですよね。
   



ヤグール

ミトラ遺跡の近くにヤグール遺跡という小さな遺跡があります。サポテカ族もしくはミシュテカ族が築いた遺跡で、8世紀から12世紀に栄えたと考えられています。余り修復も進んでいませんが、地下墳墓や6つの庭の館と言われる複雑な建造物、それにジャガーとも雨蛙とも言われる石像などがあります。

左下はヤグールの球技場。右下は遺跡全景です。
   



ミトラ遺跡とヤグール遺跡を合わせて見るといいのではないでしょうか。



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参考文献

古代メキシコ 日本語版(ボネーキ出版社)メキシコ国立人類学博物館にて購入
古代マヤ・アステカ不可思議大全(草思社 芝崎みゆき著)
マヤ・アステカ遺跡へっぴり紀行(草思社 芝崎みゆき著)

現地ガイドさんの説明によるところが多いです。