パレンケ パカル王墓の発見で有名なパレンケ チアパス高地北端の山の中腹に位置し、 遺跡の中をオトゥルム川が流れる美しい場所です。 2002年12月、2014年3月訪問。 写真は十字の神殿から見た宮殿・碑銘の神殿
頭蓋骨の神殿・神殿13・碑銘の神殿 パレンケの遺跡に入ると、まずは建ち並ぶ神殿群が迎えてくれます。 右手手前から頭蓋骨の神殿、茅葺屋根があるのが神殿13、その奥隣が碑銘の神殿です。
頭蓋骨の神殿から見た宮殿です。 頭蓋骨の神殿から降りて先に進むと、碑銘の神殿と神殿13。 最初に訪れた2002年は朝もやの残る幽玄な雰囲気でした。 この時の印象が非常に強いです。素晴らしかったなあ。足元はぬかるんでましたが。 そして、これが2014年3月。午後の陽射しの中の姿です。
碑銘の神殿はやはりパレンケの建物の中でも立派で風格があります。 神殿にはレリーフがあるそうですが遠くからはよく分かりません。 かっては美しい屋根飾りもありました。 写真を比べてみると2002年の方が乾期の初めだったせいか緑が濃い気がします。 2002年。宮殿から見た碑銘の神殿
碑銘の神殿と宮殿が両方入る形で撮ってみました。結構後ろに下がらないと撮れません。 両者の位置関係が分かるでしょうか。 そういえば2014年は遺跡内の芝生が随分ときれいになっていました。 宮殿 宮殿は遺跡の中央付近、一段高くなった基壇の上に築かれています。 碑銘の神殿前の広場に面した階段から登るのが一般的。 基壇の高さは約10m。登るのは結構大変です。
パレンケの宮殿で見逃せないのが美しいレリーフ。 入口の壁にも、やや保存状態が悪いもののレリーフが幾つも残っています。
西の広場 宮殿に登って上の写真の部屋から奥に進むと、有名な塔があります。 そして、塔の左側に建物に囲まれた小さな広場があります。 ここは西の広場と言われています。
塔
塔の裏手に来ました。
東の広場 塔の裏手を進んで東の広場へ出ました。広い広場です。
上の写真の建物基壇部分にもレリーフはあるのですが、有名なのはこちらでしょう。 広場を挟んで上の写真のちょうど反対側を撮ったところです。 階段の両側にレリーフと、それを保護する屋根があるのが分かるでしょうか。
上の写真で階段右側にあるレリーフの2002年の姿。カビなのか汚れが酷かった。 2014年3月の同じレリーフ。すっかり綺麗になっています。カビを洗ったのか、漆喰を塗ったのか・・・。 こちらは階段左側の捕虜たち。2002年は、ほとんど真っ黒だったのに・・・。 綺麗ですが、ちょっと白くし過ぎたような気もしますね。 私的には2002年のこれくらいの状態が好み。 これは広場反対側の建物基壇部分にあるレリーフの2002年の姿です。
他にも宮殿の周囲を歩くと、古い基壇と思われるものが公開されています。 左下などは大きなマスクです。 宮殿の見学を終えて、次は十字グループに向います。 写真は宮殿から見た十字グループ。 十字グループは少し小高い場所にあります。後ろは山のようになってます。 そういえば2014年3月のメキシコ旅行で唯一ホエザルの声を聞いたのはパレンケでした。 山が深いのでしょうね・・・。 パレンケは遺跡内にオトゥルム川という川が流れており、宮殿近くは地下水路になっています。 十字グループは、この川を渡ったところにあります。 オトゥルム川にかかる橋を渡って振り向いた景色。 十字グループに向かう途中から見た宮殿。2002年の写真です。 オトゥルム川を渡って十字グループに行く途中にも、実は遺跡があります。 でも、残念ながら今は公開されていません。 仕方ないので、そのまま十字グループに進みます。 十字グループ
葉の十字の神殿から見た太陽の神殿(左奥)と十字の神殿(手前右)。 十字の神殿 十字グループの中で最も巨大なのが十字の神殿(十字架の神殿)です。
この十字の神殿はパレンケの撮影ポイントです。 神殿の頂上付近から見下ろした風景。 木立の奥に碑銘の神殿、宮殿。手前は神殿14。 手前は左から十字グループの太陽の神殿、神殿14。その裏手が碑銘の神殿。 宮殿をアップで撮ってみました。 ここからだと宮殿の裏手がよく分かります。 左手に階段がありトンネルのようなところが宮殿の地下への入口。 地下のベンチなどを見て、塔のあたりに出るという構造。 風景だけではなく、神殿にも見どころはあります。
アップの方が写るかと思って撮ってみました。 左下がキニチ・カン・バラム2世、右下が煙草を吸う老人。 葉の十字の神殿
挑戦したものの上手く写らなかったレリーフ。2014年の失敗作。 2002年の写真を少し調整したところ、 左の少年王の姿がかすかに浮かび上がりました。 太陽の神殿
太陽の神殿内のレリーフ。少しは見えるでしょうか。 ここでは真ん中に丸い楯と槍、右に成年の王、左に少年時代の王。 太陽の神殿はキニチ・カン・バラム2世が建てたものですが その隣の神殿14は弟のキニチ・カン・ホイ・チタム2世が建てたものです。 ここに残るレリーフは死の世界にいる兄と母なのだそうです。 実は、このキニチ・カン・ホイ・チタム2世は近隣のトニナーの捕虜となります。 王が捕虜となったことにより、パレンケは衰退していきます。 パレンケの繁栄はパカル王とキニチ・カン・バラム2世の2代の儚いものでした。 球技場 十字グループから宮殿の横を通って球技場へ。 この球技場の先にも北グループという建造物群がありますが、残念ながら時間切れ。 パレンケが終焉したのは9世紀 放置された宮殿は旅人などが雨風をしのぐ場所となりました。 それを思うと儚いパレンケの栄華なのですが パレンケは実に魅力に満ちた遺跡です。 美しいだけでなく、かっての霊気が残っているような・・・ なんとも言えない雰囲気がある場所です。 2度訪れたけれど、機会さえあれば、また行きたい。 中米の遺跡に戻る 参考文献 古代マヤ王歴代誌(創元社 サイモン・マーティン/ニコライ・グールベ著 中村誠一監修) 古代マヤ文明(河出書房新書ふくろうの本 寺崎秀一郎著) マヤ文明・密林に栄えた石器文化(岩波新書 青山和夫著) 古代マヤ・アステカ不可思議大全(草思社 芝崎みゆき著) メキシコ国立人類学博物館・日本語版・ボネーキ出版社 マヤ三千年の歴史・日本語版・ボネーキ出版社 古代メキシコ・日本語版・ボネーキ出版社 現地ガイドさんの説明を元にまとめています。 |
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