パカル王墓とパレンケの歴史 パレンケの碑銘の神殿から発見されたパカル王墓 マヤ世界で最初に発見された未盗掘の王墓でした。 パカル王墓とパレンケの歴史をまとめました。 ![]() 写真はメキシコシティ国立人類学博物館に復元されたパカル王墓 パカル王墓
正面から見た碑銘の神殿 パカル王墓はここから発見されました。 9つの基壇からなります。9はマヤ世界で死後の世界を示す数。 ![]()
パカル王の翡翠のマスクと翡翠の副葬品。オリジナルです(国立人類学博物館)。 再現王墓の手前に展示されています。マスクのオリジナルを見るなら人類学博物館、といった感じでしょうか。 この翡翠のマスクは1985年に一度盗難に遭っています。
なんとか石棺の蓋が撮れないかと頑張ったんですが無駄でした(左下)。 でも石棺の周囲の9人の王のレリーフは何とも言えない雰囲気。9は死の国の数。
この石棺と床の間に、2つの頭像が置かれていました。 普段、国立人類学博物館にレプリカが置かれていますが、マヤ展でオリジナルが展示されていました。 まずは、12歳で即位した時のパカル王の姿とされている頭像。パカル王妃との説もあるようです。 成人女性というよりは、幼さの残る少年のような気がするので、私は通説支持。
もう一つの頭像がこれ。同じくマヤ展で展示されていたオリジナル。 成人したパカル王の姿と言われています。 結構細面で、翡翠のマスクとの共通点もあるような気がしますし、幼い時の面影も残っているような・・・。
それにしても凄い写実力。 パカル王は603年生まれで683年に亡くなっています。 7世紀に、これだけの技術があったとは驚くばかりです。 日本だと飛鳥時代?止利仏師のころ? パレンケの歴史
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キニチ・ハナーブ・パカル王
キニチ・カン・バラム2世 パカル王が80歳で亡くなった後、王となったのはパカル王の息子であるキニチ・カン・バラム2世でした。 宮殿の東南側に位置する十字グループの神殿群はキニチ・カン・バラム2世が建てたものです。 写真は宮殿から見た十字グループ ![]()
左下は国立人類学博物館、右下はマヤ展の展示品。
キニチ・カン・ホイ・チタム2世
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![]() 上のレリーフをアップしたものです。
最後にマヤ展で展示されていたパレンケ出土の漆喰のマスク。 多くの本で紹介されている優品です。 思索的な表情が素晴らしい。 ![]() パレンケの芸術性の高さを示す一品ではないでしょうか。 ティカルやカラクムルのような大国ではなかったものの パレンケの優美さはマヤ屈指のものだと思います。 中米の遺跡に戻る ![]() 参考文献 古代マヤ王歴代誌(創元社) 中村誠一監修 マヤ文明・密林に栄えた石器文化(岩波新書) 青山和夫著 図説古代マヤ文明(河出書房新社) 寺崎秀一郎著 メキシコ国立人類学博物館・日本語版・ボネーキ出版社 マヤ三千年の歴史・日本語版・ボネーキ出版社 古代メキシコ・日本語版・ボネーキ出版社 古代マヤ・アステカ不可思議大全(草思社) 芝崎みゆき著 |
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