チャンディ・セト(チャンディ・チュト)

ジョグジャカルタの東にあるソロの町から約2時間。
中部ジャワと東部ジャワの中間にあるラウ山の麓
精霊信仰で有名なチャンディ・セト(チャンディ・チュト)があります。
2005年5月訪問

写真は参道のリンガや亀の石組み。


チャンディ・セトは1470年ころ建てられたヒンズー寺院です。当時、ジャワ島ではイスラム教が力を強めており、古来からのヒンズー教徒が山の中に逃れて造営したものと考えられています。

ジャワ島では西からイスラムが入ってきて、ヒンズー教徒(マジャパイト王朝)は次第に東に追い詰められ、16世紀には、ついにジャワは全てイスラム圏となり、ヒンズーの王族の一部は海を越えて東のバリ島へと逃げたのだそうです。いわば、ジャワ島におけるヒンズー終焉期の寺院ですが、今でもこの地域の精霊信仰の総本山的な地位にあるそうです。

寺院に着くまで、結構な山道を登ります。バスは門前まで入るのが無理なので途中で降り、急斜面の山道を登ると、塔を2つに割ったような割れ門が見えてきました。割れ門の前に人物像が置かれています。よく見ると男女が背中合わせに座った像です。

   

この男女像・・・これまでボロボドゥールプランバナンの美しい彫刻を見てきた後だと、ちょっと同じ民族が造ったものとは思えません。ボロブドゥールやプランバナンは8世紀から10世紀にかけてのもの、ここチャンディ・セトは15世紀なのに、むしろ稚拙な印象を受けます。素朴と言ってもいいのかもしれませんが、優美とか繊細とかは感じられない造形です。

割れ門を通って進むと、寺院の全貌が見えてきます。どことなく懐かしいような雰囲気の寺院です。寺院は一番奥の本堂に向って三層のテラスになっています。




この参道に、なんとも変わったものがあります。最初の写真にも載せましたが、チャンディ・セトを有名にしている独特の石組みです。


この写真は入口方向から本堂方向を撮ったもの(冒頭の写真は逆方向から撮っています)。

一番手前に3つの丸と石棒のようなものがありますが、これはリンガだそうです。

次の三角形の上には、カエルやら鯰やらが彫られています。

その奥には、小さな円形の太陽のシンボル。

そして、一番奥が、亀。

亀は頭を西にしていて、なんか亀の下の石組みは羽根を広げたようにも見えますが・・・。

なんなんでしょ、これ。

次のテラスには左右に木造の建物があります。

これはプンドポという行事を行う場所なのだそうです。

プンドポの奥に、また割れ門があり、その先が本堂となります。

不思議な場所です。どこか、日本の神社みたいな雰囲気もします・・・。



次のテラスに登る階段の前に、いくつかレリーフが置かれていました。この人物像、3頭身です。

   

ボロブドゥールやプランバナンで見られた優美なレリーフとは完全に異なるものになっています。


上に登って行くと、小さな木造の祠堂があり、リンガや人物像(神像?)が飾ってありました。素朴な印象を受けます。花がたくさん置かれているのは現在も信仰の対象だからでしょう。

     



一番奥の本堂(写真左下)は石組みの、ちょっとマヤのピラミッドを小ぶりにしたような印象を受ける建物でした。しかし、もともとは、この本堂の上に木造の建物が乗っていたというので、本来の姿は今とはかなり印象が違うものだったのでしょう。写真左下は本堂に通じる割れ門と階段。

   


チャンディ・セトはラウ山の麓にあるので、この本堂を拝むと、自然とその背後にある山を拝む形になります。日本の神社でも山を拝む形のものは多いですよね。

ジャワでは古来から祖霊信仰が盛んで、この寺院も寺院であると同時に霊廟だったのではないかと考えられているそうですが、山と祖霊の結びつきというのは日本の民俗学でも良く語られるところです。精霊信仰というのはアニミズムですし、日本と似ているところが多いのではないでしょうか。

見学が一通り終わったところで、雨が霧に変わり、水墨画のような神秘的な風景が現れました。

この地に霊的なものを感じるのは当然と思えてきます。日本でも霊山と言われそうな場所です。





不思議な、それでいて、どこか懐かしい遺跡でした。



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参考文献

ボロブドゥール遺跡めぐり(新潮社 とんぼの本 田枝幹宏・伊東照司著)
この本はジャワ島の遺跡巡りに必携の本です。

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。