チャンディ・スクゥ

ジョグジャカルタの東にあるソロの町から約1時間半。
中部ジャワと東部ジャワの中間にあるラウ山の麓
チャンディ・スクゥは見どころの多いヒンズー寺院です。
2005年5月訪問

写真は本堂前


チャンディ・スクゥからは1416年から1459年までの碑文が発見されており、15世紀に建立された寺院と考えられています。当時、ジャワ島にはイスラムが浸透しつつあり、ヒンズー教徒は東ジャワに追い詰められつつありました。この寺院は東ジャワのマジャパイト王朝のものです。



入口の山門



この山門、「人間を食べる怪物の門」と言うそうです。よくみると、怪物のレリーフが残っています。

また、この山門の内部にリンガと女性器の結合を示したレリーフ(左下)があり、そのことから、この寺院は「エロチック寺院」とも呼ばれているそうです。
ガイドさんの話では、地元の人にとっては、「あ、あのエッチな寺院ね、うふふ」という感じの寺院なんだとか。確かに、ヒンズー教寺院って、イスラムの人にとっては、そんな存在なんでしょうね。

考えてみればイスラム教が浸透した後もヒンズー教の寺院を破壊しないで保存してくれているジャワの人達は度量が大きいですよね。場所によっては異教の寺院は破壊されつくしたのに。
     



寺院は遺跡公園のように整備されています。寺院は入口を西に向け、東に向かって徐々に高くなっていく構造。三層からなっています。一・二層は特にみるものはありませんが、三層目に来ると、本堂だけでなく、様々な彫刻・レリーフが置かれています


まずは本堂から説明します。この本殿、「マヤのピラミッドに似ている」とよく言われるらしいですが、正面の階段は人一人が登るのがやっとの広さで、ここらへんはマヤとは違いますね。何よりも、かっては頂上部分に2mもの巨大なリンガがあったという話もあって、そんなものがあったら、随分印象が変わるんじゃないかと思います。



本堂の前には大きな亀の石像もあります。上の写真だと2匹しか写りませんでしたが、実は3匹います。ヒンズー教では、神が不老不死の薬を作るための乳海攪拌を行ったとき、亀がマンダラ山を支えたという神話があるので、その亀かもしれません。


左下は本堂の左前にある石造テラスに置かれたレリーフ。馬蹄型の中に二人の人物が描かれていますが、これはマハーバーラタに出てくる英雄ビーマとバラタ・グルだそうです。
右下の写真は近くにあった石柱のレリーフ。ガルーダが綺麗でした。
   



レリーフと言えば、これは印象強烈でした。




これはガネーシャでしょう。しかし、こんなユニークなガネーシャは見たことがありません。8世紀から10世紀にかけてボロブドゥールやプランバナンの美しいレリーフを刻んだジャワの人達は15世紀には明らかに方向性を変えているようです。



下のレリーフでも人物像の変化が明らかです。これは古代ジャワ文学のスダマラ物語のレリーフ。



夫のシヴァ神の呪いで体を魔的なドゥルガーに変えられてしまったウマーがサハデーヴァ(スダマラ)に会うシーンです。右のサハデーヴァは木に縛りつけられ、頭だけの幽霊に脅かされています。木の後ろにはサハデーヴァの従者が隠れています。中央がドゥルガー。左の二人はドゥルガーの従者。

ウマーが元の姿に戻るためにはサハデーヴァの助けがいるのだけれど、そのサハデーヴァも囚われていて・・・というお話。
サハデーヴァもドゥルガーも最後はシヴァ神に救われ、ドゥルガーも元のウマーの姿に戻るのだそうですが、このレリーフ、ユニークと言うか、親しみやすいというか・・・・。


現地ガイドさんによると、ボロブドゥールプランバナンの後、ジャワ独自の感性による、いわばジャワの国風文化が開花したものなんだそうです。確かに、日本でも大陸からの文化が入って天平・貞観美術が花開いた後に国風文化が開花して、それまでと全く異なる定朝様式の仏像とかが造られるようになりますが・・・。


それにしても、同じ民族でも時代によって美術・芸術って変わるものなんですね。左下のレリーフなど、3頭身で、昔のテレビゲームの登場人物たちのようです。


   



ガルーダの像が数体残っていました。
後ろに文字も彫られていました。





実にユニークな遺跡でした。
ボロブドゥールやプランバナンとは全く違うジャワです。



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参考文献

ボロブドゥール遺跡めぐり(新潮社 とんぼの本 田枝幹宏・伊東照司著)
この本はジャワ島の遺跡巡りに必携の本です。

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。