バルセロナ

スペイン第2の都市であり、カタルーニャ州の州都
ハンニバルの父が建設したとの伝説を持つバルセロナ
ガウディやピカソの見どころもいっぱい。
2018年3月訪問

写真はピカソの壁画のあるビル


フランスに接するカタルーニャ地方はスペインでありながら独自の歴史を持つ場所。8世紀のイスラムによるイベリア半島征服後、スパインでは北部に逃れた西ゴート王国の残党がレコンキスタ運動(国土回復運動)で徐々に勢力を回復していきますが、9世紀にカタルーニャ地方をイスラムから奪還したのは西ゴートの残党ではなく今のフランスを中心としたフランク王国でした。
フランク王国はイスラム勢力に対する緩衝地帯としてカタルーニャ地方にスペイン辺境領を置きます。その後、フランク王国がフランス・ドイツ・イタリアに分裂し弱体化したこともあり、10世紀に辺境領バルセロナ伯はフランク王国から独立し、他のスペインのキリスト教国とともにレコンキスタに参加するようになりますが、カタルーニャ地方はスパインの中でも独自の道を歩んでいきます。

ゴシック地区

バルセロナで最も古い歴史を持つゴシック地区



ゴシック地区はバルセロナ発祥の地。伝説ではカルタゴの勇将ハンニバルの父が前230年に街を建設したとされています。その後、前205年からローマの支配下となりました。

ゴシック地区に建つカテドラルはローマ時代のアウグストゥス神殿の跡に建てられたもの。カテドラルの右手にはローマ時代の城壁が後の建物に取り込まれる形で残っています。

現在のカテドラルは3代目で、13世紀から15世紀にかけて建築されました。

10世紀にフランク王国から独立したバルセロナ伯は、12世紀に王がアラゴン王女と結婚してアラゴン・カタルーニャ連合王国を成立させます。
カタルーニャ・アラゴン連合王国は地中海に進出し、13世紀にはシチリア、15世紀には南イタリアのナポリ王国を支配するようになり、地中海の覇権を握る強大国となっていきます。

15世紀、アラゴン王フェルナンドはカスティーリャ女王イサベルと結婚し、1492年にレコンキスタを完成させました。
カテドラルはまさにカタルーニャの黄金期に建てられたものということができます。


カテドラル



カテドラルはゴシック様式

ゴシックの特徴・ 交差ヴォールトと尖塔アーチ
 主祭壇の下は守護聖人サンタ・エウラリアの墓

主祭壇右を出ると回廊
回廊には小さな礼拝所や美術館が並びます。
 
 ガチョウがいる池もありました。

カテドラルの裏手に回ると、色々と面白いものが目に付きます。
変な象もいました。本でしか知らない象を想像して造ったものだそうです。
   

カテドラル裏手の細い道を歩いていくと、三方をゴシック様式の建物で囲まれた広場に出ます。

王の広場




この広場は王の広場と呼ばれていて、周囲の建物は元々はバルセロナ伯の宮殿で、後にカタルーニャ・アラゴン連合王国の宮殿となったもの。

15世紀、アラゴン王フェルナンドはカスティーリャ女王イサベルと結婚し、1492年にレコンキスタを完成させました。同じ年にイサベル女王の支援を得たコロンブスが新大陸を発見しますが、コロンブスが新大陸発見を報告するために女王に謁見したのは、ここなのだそうです。宮殿入口の階段はコロンブスも上った階段なのだとか。

コロンブスの新大陸発見はスペインに富をもたらしますが、皮肉なことに大航海時代の始まりは地中海貿易の衰退をもたらし、カタルーニャ地方は衰退していきます。
しかも、1700年にスペイン・ハプスブルグ家が断絶してスペイン継承戦争が始まるとカタルーニャが味方したカールは当初こそ優勢だったものの、結局敗れてしまいます。勝利してスペイン王位についたフェリペ5世はカタルーニャを徹底的に抑圧・冷遇しました。不遇の時代が続きます。

次にカタルーニャが輝くのは19世紀にスペイン唯一の産業革命が興り、経済力を背景に多くの芸術・文化が花開くようになってからのことです。

王の広場の先にも古い建物が並びます。
ゴシック様式より古いロマネスク様式の建物も残っていたりして、何とも言えない風情。

   


カテドラル周辺をぐるりを廻ってカテドラル正面に戻って来ました。
実はカテドラル正面近くにはピカソの壁画がある現代的な建物があります。
ゴシック様式の建物と、こんな現代的な建物が混在しているのがゴシック地区の魅力。
20世紀を代表する画家であるピカソは1881年にスペイン南部のマラガで生まれ、
13歳から19歳でパリに移住するまでの10代をバルセロナで過ごしました。

   

真ん中は闘牛?楽しさがあふれた壁画です。



4GATS(クアトロ・ガッツ)

ゴシック地区には若き日のピカソも通ったレストランがあります。
4人の芸術家が中心となった「4匹の猫」クアトロ・ガッツは若い芸術家の溜まり場でした。
 
 

お料理も美味しかったです。


ピカソ博物館

ゴシック地区にあるピカソ博物館は、かっての貴族の邸宅を利用した博物館。ピカソの生涯を通じた作品、特にピカソ10代のころの作品が数多く展示されているのが特徴。14歳や15歳の時点で既に伝統的絵画として完成しているというか・・・素晴らしい技術に圧倒されます。

パリに移住してからの青の時代やキュビズムなどの様々に変遷する作風を見ていると本当に一人の画家の手によるものかと疑うほどです。
好みは分かれるでしょうけれど、私が一番感動したのはフランコ独裁の時代の絵画でした。

1936年から始まったスペイン内戦時代、ピカソは共和国政府を支援し、反フランコ・反ファシスムの立場を貫きます。しかし、1939年、スペイン内戦がフランコの勝利に終わり、フランコ独裁政治が始まった結果、ピカソはスペインに戻ることができなくなってしまいました。
このころのピカソの作品はスペインへの思いや望郷を感じさせるものが多く、胸が詰まります。
次第に崩壊していくベラスケスの「女官たち」の連作。同時に描き続けた鳩の連作。絵を描き続けることで次第に元気を取り戻していったす様子が展示された作品から伝わってきます。
結局、ピカソはスペインに戻ることなく1973年にフランスで亡くなります。フランコが亡くなったのは、その2年後のことでした。

1957年 「ラス・メニーナス」
ベラスケスの傑作「女官たち」もピカソにかかるとこうなります。


マルガリータ王女は泣いているように思えます・・・。
このころピカソは幾つかの連作を凄い勢いで描いていきます。
描き続けることで自分の力を取り戻していったのでしょうね。

1957年「ジャクリーヌの肖像」 ピカソ3人目の妻。
ピカソの死後、後追い自殺をしました・・・
 
 1957年「鳩」
地中海を見つめる鳩の連作の一つ。


カタルーニャ音楽堂

スペイン風アール・ヌーボともいうべきモデルニスモの提唱者モンタネールの代表作
ゴシック地区の狭い路地にいきなり現れる世界遺産です。

外観
 
 大ホール

凄い感動したので、カタルーニャ音楽堂も独立してまとめました。とっても綺麗です。
バルセロナの建築家と言うと今ではガウディばかり有名ですが、
存命中はモンタネールの名声の方が高かったと言います。


アシャンプラ地区

産業革命が興った結果、19世紀にバルセロナの街は大きく発展します。
都市拡張計画で区画整理されたのがアシャンプラ地区。
バルセロナのシンボルであるサグラダ・ファミリアもアシャンプラ地区に建っています。


サグラダ・ファミリアについては独立してまとめました。

アシャンプラ地区を歩いていると色々な角度から建設が進むサグラダ・ファミリアが見えます。
   

19世紀に整備されたアシャンプラ地区には当時提唱されたモデルニスモの建築が数多く残っています。特に当時のブルジョワ達が競って家を建てたパッセイジ・デ・グラシア通りにはガウディの建てた建物が幾つも残り、バルセロナの見どころの一つとなっています。

ガウディ作 カサ・ミラ
 
 ガウディ作 カサ・バトリョ


新市街

バルセロナの街はその後も発展・拡大を続けます。
グエル公園は当初は市の郊外でしたが、今では周囲に市街地が広がっています。

グエル公園




グエル公園やカサ・バトリョなどのガウディの代表作はガウディの建築物として独立してまとめました。


モンジュイックの丘

バルセロナの街の南西に位置するモンジュイックの丘は標高173m。

展望台からの眺めはバルセロナが地中海に面した港町であることを思い出させます。
ゴシック地区とか歩いてると忘れちゃうけど、港町なんだなあ・・・。


バルセロナの街は神戸の姉妹都市なんですって。

展望台からの眺めを楽しみました。バルセロナの街が一望できます。

丘から見える古い建物・・・カテドラルだと思います。


サグラダ・ファミリア
 
 現代建築 トーレ・アクバル

モンジュイックの丘では1929年万博の会場となっただけでなく、
1992年のバルセロナオリンピックのメイン会場にもなっています。

オリンピック・スタジアム

1992年のバルセロナオリンピックのメインスタジアム


ツアーでは時間がなくて、ゆっくり回れなかったけどモンジュイックの丘には見どころが多い。
万博やオリンピックのメイン会場になったことから、その関連施設が多いのですが、
ミロ美術館のように優れた美術館もあります。
ミロ美術館も行きたかったんだけど、それ以上に行きたかったのがカタルーニャ美術館
イスラムによってキリスト教徒がスペイン北部に追いやられた時代、ロマネスクの美術館として有名です。

カタルーニャ美術館
建物は1929年の万博の時に建てられたもの
 
 美術館前から見たサグラダ・ファミリア
展望台からの眺めとはちょっと角度が違う


カタルーニャ美術館前からの眺め



バルセロナ、とっても楽しかった。
お洒落で活気がある街。
観光に丸2日使いましたが見どころも多くてとても廻りきれません。
滞在型の旅行でゆっくり楽しむのが良い街なのでしょう。
独立したくなるのも少し分かった。


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参考文献

添乗員ヒミツの参考書魅惑のスペイン・紅山雪男著・新潮社
プロの添乗員と行くスペイン世界遺産と歴史の旅・武村陽子著・彩図社
21世紀世界遺産の旅・小学館

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。