ドゥシャンベ
タジキスタンの首都ドゥシャンベ
首都とされて百年も経っていませんが
かっての小さな村は今も発展を続けています。
2015年9月訪問

写真はルダーキー広場


ドゥシャンベとは「月曜日」という意味。かって月曜日に市が立ったことに由来する名前です。ドゥシャンベはタジキスタン西南部のヒッサール谷に位置し、肥沃な場所で農業が盛んでしたが、20世紀初頭までは小さな村にすぎませんでした。それが1929年、ソ連によりタジク・ソビエト共和国の首都に指定され、スターリンにちなんだスターリナバードと名付けられます。スターリン批判が高まった1961年にドゥシャンベの名前に戻りました。

1991年9月9日にタジキスタンはソ連から独立しますが、独立に熱心だった他の中央アジアの国々と異なり、特に資源もないタジキスタンは独立には消極的というか様子見のような状態だったようです。

ドゥシャンベは独立後も首都とされましたが、初代大統領はソ連時代の書記長が横滑りで就任する形でした。この初代大統領、余り政治力がなかったようで、まもなくタジキスタンは内戦に突入。ドゥシャンベでも市街戦が繰り広げられるようになります。

国連の主導で1997年に停戦合意がなされますが、1998年には国連監視団の秋野豊氏が殉職されています。

内戦後、国内が落ち着いた21世紀に入ってからは順調な経済成長も続いているとのことで、ドゥシャンベの街も急速に拡大しています。

街の中心にあるのはタジキスタンの英雄、イスマイール・サーマーニーの像。かってのレーニン広場でレーニン像が立っていた場所に立てられています。レーニン公園もイスマイール・サーマーニ公園と名前を変えました。

イスマイール・サーマーニーは中央アジア最後のペルシャ系の王朝を興した人物
ペルシャ系の人々が住むタジキスタンの英雄となっています。
訪れたのが夕方で逆光だったのが残念。朝に訪れると朝日をあびて輝いています。
   

イスマイール・サーマーニ公園は噴水がさわやか。
ルダーキー公園とも隣接して市民の憩いの場となっています。
公園から見える巨大な国旗はサウジアラビアに抜かれるまで世界一の大きさでした。



チャイハナ・ラハト



ドゥシャンベの昼食はここでした。実に綺麗なレストラン



この建物、建設自体は20世紀ながら、ブハラ・ハン国時代の建築様式を取り入れているのだとか。
お料理も美味しかったです。

   



国立古代博物館



歴史好き、遺跡好きには絶対外せないのが国立古代博物館。タジキスタン各地の遺跡からの出土品が展示されていて、実に見ごたえがあります。タジキスタンの遺跡のほとんどは日干し煉瓦でできていて、遺跡を訪れても、かっての姿を想像するのは困難。この博物館で出土品を見ることで初めてかっての姿を想像できるようになります。
ただ、この博物館、写真撮影が自由(フラッシュは禁止)の時と禁止の時があります。館長がいると撮影禁止になるという噂ですが、行ってみないと写真が撮れるかどうか分からないのが困ったところ。私が行ったときは幸い撮影自由でしたが、禁止の場合は本も絵葉書も碌に売ってないのでかなり残念なことになってしまいます。ちなみに撮れるときはカメラ代も不要です。

 アキナケナス剣の象牙の鞘
アケメネス朝(前4世紀)の逸品
 グレコ・バクトリア時代
ギリシャ風人物像(前3〜前2世紀)


サラズム

ペンジケント近郊のサラズム遺跡
5000年前の原始都市サラズムはタジキスタンで最初に世界遺産に登録されました。
遺跡からは女性の墓が発見されていて、彼女はサラズムの王妃と呼ばれています。


多くのビーズや金製品に飾られて眠る女性
サラズムの研究は、まだまだこれからのようです。
サラズム遺跡についてはペンジケントの中でまとめています。


ソグド人の時代

ソグド人の遺跡から発見された壁画は実に見ごたえがあります。
まずはペンジケント遺跡(5〜8世紀)から有名な2品

 ハープを奏でる女性
 天幕の下の宴会(部分)

ペンジケント出土の壁画についてはペンジケントの中でも、まとめています。


次の2つは保存状態が悪いのですが・・・・やはり、大きな壁画でした

 左上に2つの車の付いた輿のようなものが・・
輿を運んでる?
 馬に乗る人でしょうか?戦闘シーン?
左下には倒れた人の姿も・・


 馬に乗る貴人
鬚が立派
 三つ目で歌舞伎の隈取のようです。
ヒンズーの影響?


ソグドの神でしょうか。手が4本あります。これもヒンズーの影響??



仏教徒を描いた壁画。蓮の花を持ってるのが仏教徒の証なんだとか。



壁画は数多く展示されており、ブンジカット出土の壁画も興味深かった。
イスタラフシャンの中でまとめています。


仏教伝来

アジナ・テパから発見された13mの涅槃像(7〜8世紀)


インドで生まれた仏教はパキスタン・アフガニスタンを経て中央アジアに入り、中国に伝来したと考えられています。実際、タジキスタンの隣国ウズベキスタン南部のテルメズ周辺からはカニシカ王で有名なクシャーナ朝(1〜3世紀)の仏教遺跡が数多く残っていて、クシャーナ朝時代に仏教は中央アジアに一気に広まったと考えられています。また、2世紀に中国を訪れた訳経僧の安世高は安息国(パルティア)、すなわち今のイラン周辺の王子でした。

ところが不思議なことに、タジキスタンで発見された大きな仏教遺跡は、ずっと後世のものばかり。タジキスタンへの仏教伝来の時期は謎のままなのです。

 仏教壁画。下の方にお釈迦様のお顔
足の組み方から仏像だと分かります。
 


イスラム時代

現在のタジキスタンはイスラム教徒の国です。
もちろん、イスラム関係の物も展示されていました。

詩が刻まれた石
ムガール帝国初代皇帝バーブルのサイン入り
 
 かわいいんで思わず撮ってしまった・・
香炉?

実に見どころが多い博物館なのですが、心配なのは見学していると「・・・地震?」と思うほど揺れること。涅槃仏が重すぎるのか・・・・。床が抜けないか不安です。この建物の強度計算はどうなっているのでしょう。貴重な出土品は是非守り続けて欲しいものです。



ヒッサール要塞

ドゥシャンベ近郊のヒッサール要塞


ヒッサール要塞はドゥシャンベから西へ約25qのところに位置します。ここにはソ連時代に破壊されたブハラ・ハン国時代(16世紀〜20世紀初頭)の要塞が復元されています。なんでも間もなく街の建設3000年祭があるらしく、それに合わせて復元されたんだとか。要塞前では公園の整備が進められていました。これもお祭りに合わせてのことなんだろうなあ・・・。
ヒッサールは三方を山で囲まれ、カハルメント川・シルケント川が流れる豊かな土地で昔から農業が発達していました。そのため、紀元前10世紀からの古い歴史があるんだそうです。

しかし、ちょっと綺麗に復元しすぎているような気も・・・

復元された城門
 
 10世紀の城門の基礎

10世紀の基壇が残るということはブハラ・ハン国以前から要塞とされていたんでしょうね。

中に入るとテーマパークのようです。

復元したものの説明図
ローマ劇場まであります・・・本当にあったのか?
 
城門を入ると、かってのバザールを復元
建物の中はお店屋さん。
 


それでも、城門内に残る、かっての城壁は迫力があります。
丘の上にはかっての要塞・王宮があり、二重の城壁で守られていました。



お祭りに合わせて整備が進む要塞前ですが
古い建物も残っています。


写真左奥から、基壇だけ残るかってのキャラバン・サライ、その右隣は16世紀の神学校
神学校は今は博物館になってます。その前に基壇だけ残る16世紀のモスク
そして、写真右奥が18世紀の神学校


16世紀の神学校を利用した博物館は、小さいながら地元の風俗を展示してて面白かった。
思わず写真を撮ってしまったのが、民族衣装のイラスト
     


民族衣装っていいですよね。
     

タジキスタンの女性たちは今でも鮮やかな柄を好んでいます。


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参考文献

興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国(森安孝夫著・講談社)
中央アジアの歴史 新書東洋史(間野英ニ著・講談社現代新書)
文明の十字路 中央アジアの歴史(岩村忍著・講談社学術文庫)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。