東部ジャワ遺跡巡り

火山の噴火等により10世紀以降ジャワの政治の中心は東部に移ります。
東部ジャワに点在する遺跡を王朝ごとにまとめてみました。
チャンディというのは「寺院」「霊廟」という意味です。
2005年5月訪問


クディリ王朝

クディリ王朝は10世紀から13世紀の初めころ栄えた王朝です。
ジャワ島東部の聖山ペナングンガンに築いたチャンディが残っています。

聖山ペナングンガン


このペナングンガン山、ジャワの霊山・聖地で「ジャワの須弥山」とまで言われているそうです。周囲には150もの寺院跡があるというから、凄いですね。

雲が出ていて、なかなか山の姿を拝めませんでしたが、なんとか山頂だけは雲が晴れてくれた時に撮ったのが上の写真。ガイドさんが見せてくれた本の写真では、ちょうど雲で隠れたあたりに4つの小さな山が中央の山頂をとりまくようにぐるりと囲んでいます。その姿がヒンズー教の霊山と似ているというところに信仰された理由があるそうです。


チャンディ・ベラハン

ペナングンガン山の東側にあるチャンディ。急な山道の先にあります。



チャンディと言われても小さな沐浴場にしか見えませんが、ここは沐浴場であると同時にクディリ王朝のアイルランガ王の霊廟でもあります。

写真のように、沐浴場には女神像が2体飾られています。右がラクシュミー、左がシェリー。ともにヴィシュヌ神の妻で、今は持ち去られていますが、女神像の間、つまり中央にヴィシュヌ神の像が飾られていたそうです。
そして、アイルランガ王はヴィシュヌの化身とされたんだとか。

おそらくここでも、ロロ・ジョングランでシヴァ神像の下にピカタン王の遺骨を納めたのと同じように、ヴィシュヌ神の像の下などに王の遺骨や爪・遺髪などを入れていたのではないでしょうか。
ヴィシュヌ神を拝むことが同時に王を祈ることになったのでしょう。そして、ヴィシュヌ神の像も王の姿を写したものだったと思われます。

この沐浴場の水は、山の湧き水を引いてあります。
霊山の湧き水で身を清めるということが、きっと霊験あらたかとされたんでしょう。
そして、その場所が、同時に王の霊廟ともされた、ということらしいです。

ヒンズー教に山岳信仰と祖霊信仰が合体しているというところでしょうか。

どうやら、山岳信仰・祖霊信仰は、ヒンズー教や仏教が入ってくる以前からのジャワの古い信仰で、次第にジャワ独自の宗教観が復活していったものらしいです。

また、ラクシュミーの乳房から水が出ているのは、豊穣のシンボルとのこと。

ラクシュミーといえば、日本では吉祥天ですが、随分と、姿が違うものです。

と、まあ、信仰面を考えるには、かなり面白い遺跡なんだけど、実は、チャンディ・ベラハンという遺跡はこれだけ。

正確には、左手にちょっとしたレリーフがあと1つだけ残っていますが。



チャンディ・ジョロトゥンド

聖山ペナングンガンの西側にあるチャンディ。ここも急な山道の先にあります。



ここも沐浴場兼霊廟だとのことですが、かなりの大きさです。ここは上記したチャンディ・ベラハンに祀られていたアイルランガ王の父であるウダヤナ王の霊廟です。

この沐浴場、今ではただ壁面にウダヤナ王の名前と977年を示す文字だけが残っているだけ。
しかし、かっては、中央にヴィシュヌ神が祀られていた他、美しい像がいくつも置かれていたとのこと。全て持ち去られてしまったんですね。ジャカルタの中央博物館に女神像があるそうです。




シンガサーリ王朝

シンガサーリ王朝は13世紀初めから終わりごろまでの約70年間続いた王朝です。
首都は現在のシンガサーリにあり、5代の王が続きました。


チャンディ・キダル

マラン郊外にあるチャンディ・キダル。美しい塔堂が残っています。

   

チャンディ・キダルは1260年ころ建てられたシンガサーリ王朝2代目のアヌーシャパティ王の霊廟であるとともにシヴァ神を本尊とするチャンディです。

幅広な中部ジャワ様式から細身の東部ジャワ様式への過渡期の建物と言われているのですが、残念ながら、チャンディの周囲に足場を組んでコケや雑草を落とす作業をしてたので、全体をしっかり見ることはできませんでした。中部ジャワと同じくカーラとマカラがセットになっていることや、カーラに下あごがあるという東部ジャワの特徴とかは、なんとか確認ましたが・・・。

このチャンディは基壇の側面のガルーダのレリーフでも有名です。ナーガの奴隷とされた母を解放するために、神のアムリタを奪うガルーダの物語が彫られています。右上はアムリタを入れた瓶を頭上に乗せるガルーダ。実に繊細で美しい彫りです。

実は、このチャンディは無理やりに再婚させられた母を慰めるために王(王子?)が建てたともいわれています。母を解放させてあげたいという王の気持ちが、このガルーダのレリーフとなったのだとか。



チャンディ・ジャゴ

マラン市の郊外、住宅街の真ん中にチャンディ・ジャゴはあります。
チャンディ・キダルからもほど近いところです。



チャンディ・ジャゴは13世紀に建てられたシンガサーリ王朝4代目の霊廟。ただ、後のマジャパイト王朝の時代に補修されたらしく、二つの時代が混在しています(この二つの王朝は血縁関係があったそうです)。

現在では、基壇と祠堂への入口部分だけしか残っていないけど、それでも、かなり大きく、かっては、さぞ立派な霊廟だったのだろうと思われます。

元々は仏教の霊廟だったということで、仏像とカーラが置かれていました。仏像は不空羂索観音。日本だと東大寺三月堂の本尊が有名ですね。顔が失われてしまったのが残念です。カーラも大きく立派な彫りです。



仏教寺院と言っても、13世紀の東部ジャワでは仏教とヒンズー教が混合していたため、基壇のレリーフには仏教の物語だけでなくヒンズー教の物語も彫られています。


下の写真は基壇一段目に描かれた仏教説話で、地獄を見に行った男のお話。写真の左の方に牛の形をした地獄の釜が描かれています。牛の背中にある丸いのは地獄の釜で煮られている人間の頭。写真の右端には牛頭の地獄の鬼らしいものもいます。




次は基壇二段目のマハーバーラタの一場面。賭けに負けて12年間、ジャングルで生活するというお話。デフォルメされた人物が多いのですが、美人や主人公は三頭身ではないのがわかりやすいですね。




他に、蛇の妻の浮気を友人が教え、嘘だと言う妻に対し、友人が真実を証明するというよくわからないお話(左下)も面白い。基壇二段目には十一重の塔も描かれていて、かってのジャコ寺院の姿ではないかと言われているそうです(右下)。十一重の塔だなんて、凄い寺院だったんですね。

   


左下は最上段側壁のレリーフ。クリシュナヤーナという物語のレリーフですが、なんといいますか、随分とボロブドゥールやプランバナンとは違うところに来てしまった感があります。優雅さは消え、おどろおどろしいというか、土着的というか・・・。

それでも、びっしりと彫り込まれたレリーフには別の魅力というか美しさがあります。右下は祠堂の側壁のレリーフ。隙間なく彫り込まれたレリーフは見事です。

   



チャンディ・シンガサーリ

マラン市の北15キロ。道を挟んで左右に巨大な守門神ドヴァラバーラが現れます。高さ4m。
私は身長1.65mですが右のドヴァラバーラに並んだら、頭がやっと像の手の平あたりでした。

   

守門神ドヴァラバーラは寺院や堂内を守るために、その入口に置かれる神です。この巨大なドヴァラバーラから車で数分移動したところにチャンディ・シンガサーリの祠堂がありました。かっては9つの寺院があったとのことで、境内も巨大な立派な寺院だったに違いありません。

チャンディ・シンガサーリは、シヴァ神を祀ると同時にシンガサーリ王朝最後の王(5代目)であるクルタナガラ王の霊廟でもあります。

実際に建てられたのは次のマジャパイト王朝になってから。
チャンディ・ジャゴもそうでしたが、シンガサーリ王朝とマジャパイト王朝は血縁関係があったので、前の王朝の王様の霊廟を建立したり、補修したりしているわけですね。

この霊廟は、中央の祠堂を4つの小さな祠堂が取り囲むように建てられています。

ヒンズーの世界観・須弥山を表しているもので王が世界の中心であることを意味しているらしいです。

この小さな祠堂や中央の祠堂には、かっては立派な像が置かれていたらしいのですが、ほとんどオランダが持ち去ってしまったそうです。

ガイドさんが見せてくれた写真集には、ここで発見されたとても美しい仏像が写っていました。
それこそ残っていたら東部ジャワの至宝と言われたであろう美しさです。
それが今では正面右側にアガスティヤ像が残っているだけなのが寂しい限り・・・。


ここには近辺で発見された仏像などで、持ち去られなかったものが幾つか置かれています。
左下は美しい仏像・・でしょうか。頭部がないので置いて行かれたんでしょうけれど、綺麗です。
右下は三尊仏かと思ったら、シヴァ神だそうです。よく見たらヨーニの上に乗っていました。

   



チャンディ・ジャヴィ

マラン市の北40キロにあるチャンディ・ジャヴィ



チャンディ・シンガサーリ同様、ここもシンガサーリ王朝最後の王クルタナガラの霊廟です。
かってはシヴァ神と釈尊が祀られていたというヒンズーと仏教の混合が強い建物です。屋根の頂上はストゥーパになっていました。

細身の美しい祠堂です。周囲には堀があり、蓮の花が咲いていました。




マジャパイト王朝

マジャパイト王朝は13世紀末から15世紀中ごろまでの約150年間続いた王朝です。
海上貿易で栄え、今のインドネシアと同じほどの領土を持っていたといいます。
7代の王が治め、都をモジョケルト市の南西トロウランに置きました。

この王朝の代表的な遺跡であるチャンディ・パナタラン、中部ジャワとの境にあるチャンディ・スクゥチャンディ・セト(チャンディ・チュト)については、それぞれ見どころが多いので別にまとめました。


チャンディ・ティゴワンギ

東部ジャワのパレという町の北東にチャンディ・ディゴワンギはあります。



ここは、15世紀のマジャパイト王朝時代の王子の霊廟なんだそうです。とはいっても、今では基壇部分しか残っていません。

それでも基壇部分にはレリーフがびっしりと彫り込まれていて、それがこの遺跡の見どころです。テーマはマハーバーラタに出てくる王子の一人であるスダマラの物語。シヴァ神の妻ウマーが夫によってドゥルガーに変えられてしまい、元の姿に戻るためにはスダマラ(サハデーヴァ)の助けがいるのだけれど、そのスダマラも囚われていて・・・という結構、複雑なお話。かなり好まれたお話らしく、チャンディ・スクゥでも同じお話のレリーフがありました。最後はシヴァ神にみんな救われるそうです。

写真はドゥルガーに戦勝祈願する母。




周囲の別の祠堂の基壇や彫刻も見事でした。

   



チャンディ・スロウォノ

チャンディ・スロウォノもパレの町の北東にあります。
チャンディ・ディゴワンギからは車で30分くらいです。



チャンディ・スロウォノもマジャパイト王朝の王族の霊廟で15世紀ころに建てられたものです。ここも、今では基壇しか残っていません。

しかし、ここの基壇のレリーフは凄い見ごたえがあります。ここのお話は、マハーバーラタの中でインドネシア化したアルジュナ物語。
簡単にまとめると、アルジュナがシヴァ神等の助けを借りて悪魔を倒す話なのですが、面白いのが神が助けを与える理由が彼が強いからとか高貴な生まれだからというのではなく、彼の瞑想などの「修行」によって「資格あり」と認められたから、というところ。ジャワ風の考えなんですね。

アルジュナの前にシヴァ神が姿を現すところです。




アルジュナが弓で悪魔を倒すところ。
この前の場面で天女が悪魔を誘惑して弱点が舌の先であることを聞き出していて
アルジュナは悪魔の舌の先に弓を射て倒します。



レリーフの人物は平面的でデフォルメされていて、かってのボロブドゥールやプランバナンのような優美さはありません。しかし、この壁面いっぱいに隙間なくびっしりと埋められたレリーフには別の繊細さがあり、なんとも言えない美しさと魅力を醸し出しています。ちょっと立ち去り難い遺跡です。

   



チャンディ・ティクス

モジョケルト市の南西約10キロのトロウラン
かってのマジャパイト王朝の都だった場所にチャンディ・ティクスはあります。



チャンディ・ティクスはマジャパイト王朝時代に作られた水浴場といわれています。特徴的なのは、レンガつくりであること。

この水浴場、中央にあるのが須弥山で、周囲は海を表わしているとか。つまりはヒンズー教の世界観を具現化した場所なんだそうです。中央の山を表わした建物の周囲には4つの小さな塔の様なものがあります。ペナングンガン山と同じですね。

ここは今では子供達の水浴び場になっています。私たちが写真を撮ったあと、子供達が来て水遊びをしていました。



チャンディ・バジャン・ラツゥ

チャンディ・バジャン・ラツゥもトロウランにあります。


チャンディと名前がついてはいるけれど、これは寺院や霊廟ではなく、マジャパイト王朝時代の「門」。

マジャパイト王宮の門であったのではないか、と言われています。

この門の両側に、かっては城壁があったのではないか、というのです。

つまり、門の向こうは、かっての王宮?


ロマンです。今は何も残ってないけど・・。

この門、近づくとレンガ作りであることが分かります。
マジャパイト王朝時代はレンガ造りの建物が多くなっていたんですね。

門の入口には、やはりカーラが彫られていて、綺麗です。

ちなみに、この門、地元では「中を通ると結婚できなくなる」と言われているらしいので、注意が必要です(笑)。




トロウラン博物館

トロウランには小さな博物館があります。マジャパイト王朝の都だっただけあって、マジャパイト王朝の説明が充実しています。マジャパイト王朝は現在のインドネシアと同じくらい広い地域を支配していたとか。貿易で栄えたということで、中国製の皿なども展示されていて、結構、勉強になります。海のシルクロード、というやつですね。

また、ここにはマジャパイト王朝のものだけでなく、東部ジャワの遺跡から出土したものが数多く展示されています。

一番の見どころは、右のガルーダに乗ったヴィシュヌ神でしょう。

このヴィシュヌ神像は、チャンディ・ベラハンにあったものだとも、チャンディ・ジョロトゥンドにあったものだとも言われています。

かなり大きくて、立派ですし、彫りも美しいです。

特にガルーダが動きがあって、素晴らしいですね。

かなり大きいので、チャンディ・ベラハンよりチャンディ・ジョロトゥンドにあったのではないかと思いますが・・・どうなのでしょう。

しかし、これだけのものが、どこにあったか分からなくなっているというのも、残念というかなんというか・・・。


ここの博物館、なかなか見ごたえのある博物館なのですが、ほとんど説明が書いてないんです。
もしかしたら、その多くが出土場所も分からないものなのかもしれません。


それでも、たとえば左下の仏像・・・でしょうか。とても美しい。なんともいえない優美さがあります。
また、右下は・・・なんなのでしょう。これは。よく分かりませんが、面白いです。
   


東部ジャワ遺跡巡り、実際には2・3日かけて廻っています。
1つにまとめたので長くなってしまいました。

遺跡が点在しているので移動は大変ですが、とても面白かった。
ジャワの山岳信仰・祖霊信仰は日本とも共通するところがあって、とても興味深かったです。
遺跡が魅力的なだけでなく、ジャワ東部の人達は穏やかで、とてもいい旅ができました。



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参考文献

ボロブドゥール遺跡めぐり(新潮社 とんぼの本 田枝幹宏・伊東照司著)
この本はジャワ島の遺跡巡りに必携の本です。

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。