ブッダ・ガヤー お釈迦様が悟りを開いた地ブッダ・ガヤー ガウタマ・シッダールタは、ここで悟りを開き、仏陀となりました。 四大仏跡の一つである成道の地は世界遺産にもなっています。 2005年12月、2012年12月訪問 写真はマハーボーディー寺院 ![]()
尼連禅河(ナイランジャラー河) スジャータ村近くの橋の上からの風景です。 乾期の尼連禅河には水がほとんどありません。 シッダールタは悟りを開く前に、この河で沐浴をしたと言いますが、乾季ではちょっと無理っぽいです。 スジャータ村の近くからはシッダールタが悟りを開く前に修行した前正覚山が見えるということですが、 実は2005年に訪れた時も、2012年に訪れた時も、どちらも前正覚山は見えませんでした。 ただ、悟りを開いた地に建つマハーボディ寺院は良く見えます。 ![]()
スジャータ村 苦行を捨てることにしたシッダールタですが、体は衰弱し切っていました。 衰弱していたシッダールタに乳粥をふるまい、介抱したのが村の長者の娘スジャータです。 インドで乳粥を食べてみましたが、甘くて、こってりしたお菓子風味のお粥でした。 彼女の名前にちなんで、今では村の名前もスジャータ村と呼ばれています。 スジャータの家があったという場所に建てられたストゥーパが近時発見され、修復整備されていました。
どうせならスジャータをもっと可愛く作って欲しかった・・・。 のどかな風景の中を歩いてストゥーパに戻ります。 ![]() 次は、いよいよマハーボーディー寺院です。 マハーボーディー寺院
寺院内に祀られている仏像は11世紀のパーラ朝のもの。毎日衣を変えています(左下)。 本堂周囲は仏塔や数々の仏で飾られていました。
![]() 仏足石も置かれています。
反対側に廻って菩提樹と金剛法座を見てみました(左下)。 右下は柵の間から苦労して撮った金剛法座。
寺院を取り囲む欄楯にはレリーフが彫られています(左下)。 現在のものは、ほとんどがレプリカですが、見ていくと面白い。ただ、人が多すぎますね・・・。 金剛法座の少し先に地面に蓮の形の石が置かれている場所があります(右下)。 悟りを開いてから3週目に仏陀が歩いた所に蓮の花が現われたという伝説に基づきます。
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4週目の場所に移動します。 寺院の右側には多くの奉納塔が並び、多くの仏教徒が瞑想しています。 神々が小屋を作ったという場所には小さなお堂が建てられていました(右下)。
私たちが訪れた日は、物凄い数のチベット僧が集まっていました。 なんとチベットの高僧カルマパ17世の説法がある日だったんです。 2005年も「間もなくダライ・ラマが近くで説法を行うのでチベット僧が集まり始めている」と聞きました。 もしかしたら年末年始にはチベットの高僧がブッダガヤで説法が行うことになっているのかもしれません。
中国から亡命したカルマパ17世は次世代のチベット亡命者の中核になるとされている高僧です。 チベット語の説法は理解不能ですが、同じ場に居合わせることが出来たのはありがたいことです。 今度は寺院の左側に移動。 アショカ王柱(左下)の奥に池があり、ちょっと変わった像が置いてあります(右下)。
夜のマハーボディ寺院 マハーボディ寺院は夜間はライトアップされています。 昼の賑わいとは違って、神秘的な美しさ。 ![]() 昼間は目立たなかった場所まで美しい。 ![]() 本堂だけでなく、小さなお堂も照らされていました。
金剛法座周辺。夜になっても多くの信者たち。
とても静かです。仏教徒ならではの静かさ。
ブッダ・ガヤーは仏跡巡りのハイライトでしょう。 かってはマハーボーディー寺院の中まで物売りが付きまとって五月蠅い限りでしたが 現在は物売りは中に入れないようで、静かに観光ができます。 代わりに世界各地からの仏教徒が増えました。 仏教徒っていうのは実に静かなものですね。 寺院を一歩出ると町は喧騒にあふれていました。 生誕の地(ルンビニ) 故郷(カピラヴァストゥ) 初転法輪(サールナート) 伝道の地・王舎城(ラジギール) 大学(ナーランダ) 伝道の地・祇園精舎・舎衛城(サヘート・マヘート)と奇跡の地(サンカーシャ) 釈尊最後の旅(ヴァイシャーリー〜クシナガラ) 南アジアの遺跡に戻る ![]() 参考文献 「仏陀誕生の地 ルンビニは招く」(パサンダ・ビダリ著) 「ブッダの生涯」(新潮社とんぼの本 小林正典・三友量順著) 「ブッダの生涯」(創元社「知の再発見」双書 ジャン・ボワスリエ著) 「原始仏教」(NHKブックス 中村元著) 「原始仏典」(ちくま学芸文庫 中村元著) 「『ブッダの肉声』に生き方を問う」(小学館101新書 中野東禅著) 基本的には添乗員さんの説明を元にまとめています。 |
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