ルンビニ

お釈迦様がお生まれになったルンビニ園
かっての王宮の庭園はインドとの国境にほど近いネパールにあります。
生誕の地として四大仏跡の一つとされ、世界遺産にもなっています。
2012年12月訪問

写真は母であるマーヤー夫人を祀るマヤデヴィ堂とアショカ柱


後に悟りを開き仏陀となれられるガウタマ・シッダールタ(ゴータマ・シッダッタ)は釈迦族の王であるスッドーダナ王(淨飯王)と后であるマーヤー夫人(摩耶夫人・マヤデヴィ)の長男として生まれました。
生まれた年については諸説があり、紀元前5世紀ころとしか分かりません。日本では仏陀・お釈迦様の誕生日を祝う降誕会を4月8日に行いますが、南アジアの仏教国ではインド暦第2の月の満月の日に誕生したとされています。

マーヤー夫人は六本の牙を持つ白象が胎内に入る夢を見てシッダールタ王子を懐妊し、臨月に入って出産のため実家に帰る途中、王宮の果樹園だったルンビニ園で休んでいる時に産気付き、シッダールタ王子を出産したと言われています。

ルンビニのホテルにあった地図を写してみました。写真下に水色で縦に細長い四角がありますが、そこがルンビニ。ルンビニの左には釈迦族の都カピラヴァストゥ(ネパール説)、ルンビニの右にマーヤー夫人の故郷デヴァダハのコリヤ国があり、ラマグラマにはストゥーパも残っています。



地図を見ると、マーヤー夫人がカピラヴァストゥの王宮を出て、実家のあるデヴァダハを目指すルートの途中にルンビニ園があったということがよく分かります。

右の写真はルンビニ入口にあったルンビニの全体マップ。

ルンビニは1956年の世界仏教連盟総会において、その修復が急務と決議され、更に1970年の国連決議によりルンビニの開発が進むことになりました。

ルンビニ開発のマスタープランは日本の丹下健三によるもので、大きく3つの地区に分けられています。

地図の一番上が新ルンビニ村。法華ホテルなどのホテルやレストランがあります。

上から二番目は仏教施設群。水路を挟んでミャンマー・タイ等々世界各国の仏教寺院が並びます。

そして三番目の丸く円で囲まれた場所が聖なる庭園。

シッダールタ王子が生まれた場所に建つマヤヴデヴィ堂やアショカ王柱、そしてマーヤー夫人が出産前に沐浴したという聖なる池がある場所です。


ちょっと前までは土産物屋や物売りが多かったということですが、聖なる庭園周辺は土産物屋も一掃されていました。リキシャを降りてから、聖なる庭園までは少し歩きます。


聖なる庭園の入口で靴を脱ぎ、靴を預けて中に入ります。
大きな建物がマヤデヴィ堂。堂の右、道の正面にはアショカ王柱。



インドの観光地の多くはゴミが散乱していますが、ここはゴミひとつ落ちていません。
どうやら仏教徒が常に掃除をして清浄な状態を保っているようです。
チベットの人たちが捧げた色とりどりの祈りの旗で遺跡は飾られています。


マヤデヴィ堂の前にアショーカの木が植えられていました。



ルンビニ園で休んでいたマーヤー夫人が園内を散策し、アショーカの木に咲く美しい赤い花に見とれ、花を手折ろうと手を伸ばそうとした際、王妃の右脇からシッダールタ王子・お釈迦様が生まれたとされています。2500年前にマーヤー夫人が手を伸ばしたアショーカの木はさすがに残ってはいません。この木は記念に新しく植えられたもののようです。

伝説によれば、お釈迦様の誕生は次のように伝えられています。

マーヤー夫人の右脇から生まれたお釈迦様を神々が受け止め、お釈迦様は母を傷つけることなく生まれました。

生まれたばかりのお釈迦様の足元には蓮華が現われ、天からは2人の竜王が水と湯を注ぎました。
日本の降誕会でお釈迦様の像に甘酒を注ぐのは、このお話から来ています。

そして、生まれたばかりのお釈迦様が、七歩歩み、天上天下唯我独尊と述べたというのは有名なお話。七歩というのは迷いの世界である六道(天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)を越えたことを意味するそうです。

このマーヤー夫人の右脇からお釈迦様が生まれたという伝説のシーンは古代から多くのレリーフに彫られました。

写真はマトゥラー博物館に展示されていたお釈迦様の一生を描いたレリーフの生誕部分。


アショーカの木に手を伸ばしたマーヤー夫人の右脇から生まれようとするお釈迦様を神が受け止めようとしているところです。

マーヤー夫人がお釈迦様を産んだとされる場所は古代から敬われていたようで、紀元前3世紀にアショカ王が生誕の正確な位置を示すマーカーストーンを置き、アショカ石柱を立てました。


マーカーストーンの周囲は、紀元前3世紀から煉瓦造りの僧院が建てられ、現在、その地を保護する形で、マーヤー夫人を記念するマヤデヴィ堂が建てられています。

少し古い本を見ると、小さな祠堂で、中の撮影もできたようですが、現在は周囲の僧院も保護する形の大きな建造物になっていて、内部の写真撮影は禁止されています。

マヤデヴィ堂の内部は、煉瓦造りの古い僧院の基礎部分が残り、中央付近には七段の基壇の上に置かれたマーカーストーンをガラス越しに見ることができます。
そして、その上にはお釈迦様の生誕を描いたレリーフが展示されていました。

このレリーフは後にイスラムによって破壊されたのか顔などが削られていて保存状態はよくありませんが大きなものです。
上に載せた写真と同じくマトゥラーで造られたもので、4世紀に造られた赤い砂岩製。
上の写真と違うのは、生まれた後、地に立つお釈迦様も彫られているところです。



私たちが見学中、ずっと一人の仏教徒がマーカーストーンを拝み続けていました。
マーカーストーンにはお釈迦様の足跡が残っているとも言われています。後に置かれたものであることからすると、合理的に考えれば足跡が残っているはずはないのですが、熱心な仏教徒にすればお釈迦様生誕の地ということが何より大切なのでしょう。


アショカ石柱(左下)
アショカ石柱というと4匹の獅子が乗る姿が教科書などでお馴染みですが、
ここの柱の上には馬が彫られていたそうです。蓮華の部分が残っていました(右下)。

   


アショカ石柱の周囲は座って祈りを捧げる人や記念撮影の人たちで賑わっていました。

このアショカ石柱には文字も残っています。ルンビニで買った本によると日本語訳は次のとおり。

「神の寵児ピヴァダシ(アショカ)王は、彼の統治20年に公式訪問を果たした。釈迦牟尼仏はここで生まれ、それゆえ(誕生地点の)マーカーストーンは礼拝され、石柱は建てられた。世尊はここで生まれたので、ルンビニ村の税金は8分の1に下げられた」

税金が8分の1とは凄い優遇措置ですね。

この石柱について7世紀に訪れた玄奘は「アショカ王によって建てられた尖塔に馬の像が掲げられた石柱があった。後に石柱は邪悪な竜から発した稲妻によって中ほどが破壊され、上部が地面に転落した」と書いています。


マヤデヴィ堂のすぐ脇にはマーヤー夫人が出産前に沐浴をした池があります。



ルンビニで買った本によると、この池は王宮の庭園だったルンビニ園のほぼ中心に位置していたそうです。お釈迦様が生まれる前からあった池で、池の北東と南西に2つの掘り抜き井戸も発見されているということでした。現在の姿は修復・復元されたものです(写真の青い蓮はビニール製の造花)。

また、お釈迦様誕生の伝説が生まれる前、「マーヤー夫人は実家に戻る途中、ルンビニ園で休んでいる時に突然陣痛に襲われ、この池で身を清め、身を支えるものを探しながら北東に25歩進み、満開の花が美しいアショーカの木の枝を支えにしてシッダールタ王子を産んだ」・・・と伝えられていたそうです。確かに、池からマーカーストーンの位置は25歩くらいかもしれません。

マーヤー夫人はシッダールタ王子出産後、わずか7日目に亡くなっています。王妃の身で野外での出産は大変なことだったに違いありません。マーヤー夫人が懐胎に際して見た白象が胎内に宿る夢は夢占いにより、「転輪聖王(てんりんじょうおう 全世界を治める理想的君主)もしくは仏陀の誕生を意味する」とされていました。マーヤー夫人は命を懸けて偉大な人物を産んだわけですね。


池の反対側の木の下では各国の僧侶が祈りを捧げていました。
よそ見している人もいるけど、そこは御愛嬌。




木の下には小さな涅槃仏が置かれていました(左下)。
池を挟んで見たマヤデヴィ堂とアショカ石柱(右下)。

   


自由時間に少し散策してみました。
池の周囲には多くの奉納塔や僧院の跡が残っています。

   



ラマグラマのストゥーパ

ルンビニ観光の後、マーヤー夫人の故郷に残る八分起塔・ラマグラマのストゥーパを見に行きました。八分起塔というのはお釈迦様の遺骨を8つに分け、各国が建てたストゥーパです。法華ホテルの人の話では車で1時間ほどということだったそうですが・・・。実際には1時間半以上かかり、着いた時には既に日が落ちていました。

八分起塔は後にアショカ王によって開かれ、仏教を広げるため、お釈迦様の遺骨はインド各地のストゥーパに分けられるのですが、ここの八分起塔だけは開かれていません。アショカ王が開けようとした時、竜王がストゥーパを取り巻いて守ったのだそうです。つまり、ここには今でもお釈迦様の遺骨の8分の1が眠っているわけです。それを考えると実は凄いありがたいストゥーパです。

夕闇の中のラマグラマのストゥーパ
ストゥーパの上の木は菩提樹・パッカル・カルマ・ガジュマルという4つの木が合体したもの。





四大仏跡(生誕・成道・初転法輪・入滅)はお釈迦様自身がアーナンダに語ったことに由来します。
私はこの生誕の地ではお釈迦様より母マーヤー夫人に気持ちが動きました。
シッダールタ王子誕生後、僅か7日で亡くなったマーヤー夫人の気持ちはどんなものだったのでしょう。


故郷(カピラヴァストゥ)
成道の地(ブッダ・ガヤー)    初転法輪(サールナート)
伝道の地・王舎城(ラジギール)  大学(ナーランダ)
伝道の地・祇園精舎・舎衛城(サヘート・マヘート)と奇跡の地(サンカーシャ)
釈尊最後の旅(ヴァイシャーリー〜クシナガラ)


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参考文献

「仏陀誕生の地 ルンビニは招く」(パサンダ・ビダリ著)
ルンビニの法華ホテルで買った本です。非常に参考になりました。

「ブッダの生涯」(新潮社とんぼの本 小林正典・三友量順著)
「ブッダの生涯」(創元社「知の再発見」双書 ジャン・ボワスリエ著)
「原始仏教」(NHKブックス 中村元著)
「原始仏典」(ちくま学芸文庫 中村元著)
「『ブッダの肉声』に生き方を問う」(小学館101新書 中野東禅著)


基本的には添乗員さんの説明を元にまとめています。